登戸村の、加登屋さんと炭屋番頭さん <C268>
前回2月29日に来てから3月3日まで、中3日間空いています。太陰暦では2月30日まであるため、勘違いしやすいところです。なお1778年3月3日は太陽暦だと3月31日になります。
3月3日は桃の節句である。
父・百太郎に登戸村へ練炭を売りにいくことなどを説明し、あっさり許可を得た。
木炭加工・七輪に関することでは、ある程度の枠の中ではもう何をしてもよい、という風である。
それだけ、義兵衛に憑依している俺・竹森貴広を信頼してくれている、ということなのだろう。
それならば、頑張って村の状態を良くするという期待に応えていこう。
工房に着くと、助太郎は米に留守中の作業を指示していた。
細山組には粉炭作りをしっかりさせるように、昼休憩はきちんと採るように、と細々指示している。
助太郎がいない時には、米がこの工房を仕切ってもらうことになっている。
さて、今日は桃の節句なので、昼の茶菓は少し特別なものをオカミサンに用意させているそうだ。
サプライズという演出なのだろうか『米や梅には伏せておいて大休憩のときに驚いてもらうのだ』と教えてくれた。
助太郎も芸が細かい。
とは言っても、準備するのは焼き栗だそうで、この程度で特別というのは、なんと素朴なことだろうか。
もし、ここにケーキやシュークリームといった甘味が出せたら、どれほど驚いてくれるのだろうか。
改めて240年後の飽食の世界との差を実感した。
さて、今回登戸村に持って行く目玉は、助太郎が作りだした強火力練炭8個だ。
これを大事に丁寧に包んで荷梯子に載せる。
それ以外に、七輪・3個、普通練炭・24個、薄厚練炭・120個、炭団・280個の、全部で24貫=90Kgを二人で運ぶ。
少し軽いが、3里=12kmの距離の半分は山道なので、この程度が安全に運ぶ限界とみての荷作りになっている。
金程村から細山村までは登り下りの多い道だが、細山村から五反田村までは下り一本、そして五反田村から登戸村までは川沿いの平坦な道なので、出だしだけ用心すれば良い。
昼前には登戸村・加登屋に到着した。
「金程村から義兵衛と助太郎が練炭を持ってきました」
大きく挨拶をすると、奥から頭に白い手ぬぐいを巻き、割烹着を着た主人が出てきた。
丁度、昼用の料理を支度している最中だったようだ。
「これは、これは、このところ3日も置かず来て頂いて練炭を補充して頂けるので安心です。
今日は、どれ位お持ち頂けたのでしょうか」
「昼の準備で忙しい最中に申し訳ありません」
そう言いながら、荷梯子を一端降ろし、見せる。
「炭屋さんに納める分を入れて、これで全部です。
七輪3個は加登屋さんの分ということですが、練炭・炭団については、炭屋さんでどれだけ売れたかによるので、炭屋さんに預けた残りが加登屋さんの分ということで、今回もご容赦願います」
「ああ、そういうことですか、判りました。
それよりも、義兵衛さんがお帰りになったすぐ後、炭屋の番頭さんが直々にこの店に来られて、なんとあの七輪と練炭の組み合わせを、言い値の4000文で買っていかれました。
なんでも、そのまま江戸の本店に持ち込むということでした。
練炭を卸してもらっていることに文句を言いそうでしたが、こちらが経緯も含めて聞いていることを知ると、愚痴をこぼしながら帰っていきました。
その後、炭屋さんの看板を毎日見ていたのですが、薄厚は昨日消されていましたので、直ぐに売り切れたのだと思います。
普通練炭は、相変わらず320文と出ていますから、まだ売り切れていないようです。
炭屋さんの中でどんなことが起きているのか、早く聞いてきてくださいよ」
何が起きているのか、興味深々といったところなのだろう。
「ところで、今回は火力の強い練炭というご要望に沿ったものを持ってきました。
助太郎が作ったものです」
こう言って、助太郎を押し出す。助太郎は強火力練炭を1個取り出し説明を始める。
加登屋の主人は、二人の間に丸いお腹をグッと割り込ませてきて、強火力練炭の方へ手を伸ばしてきた。
「こちらがご要望の練炭となります。
まだ量産前の試作品なので、全部で8個しか作っていません。
とりあえず燃える所を見て頂いて、どれ位の需要があるのか、どれだけ作ったほうがいいのかをお教え頂ければと思います」
目をキラキラさせている加登屋さんへ、助太郎が話し始めている。
「話の途中で済みませんが、炭屋さんの動向も気になるので、ここは助太郎に任せてちょっと行ってきます。
とりあえず普通を10個、薄厚を80個、炭団を240個持っていきます。
話の具合では、残した分から、また、炭屋に持っていくこともありますので、了解ください」
「判りました、義兵衛さんも大変ですなぁ。
しかし、助太郎さんの持ってきた火力の強い練炭は楽しみでしょうがありません。
説明は後にして、まず火を点けてくださいよ」
主人は、奥へ引き返すと七輪を持ってきた。
「あっ、もうちょっと待ってください、鍋や鉄瓶なんか準備しますので」
もう、義兵衛のことは眼中にないようだ。
義兵衛は、荷を所定の数量にくくり直し、後を助太郎に任せて加登屋を出た。
「こんにちは、金程村の義兵衛です、練炭をお持ちしました」
炭店の入り口から奥へ向って大きな声で挨拶すると、頭が少し薄くなった炭屋番頭の中田さんが、手揉みしながら出てきた。
「このところ間も空けずに、練炭を直ぐに持ってきて頂けて大変助かります。
まずは、委託されている練炭の売れ具合ですが、薄厚練炭が全部掃け、普通練炭が少し残っている状態です。
売り上げは13440文(=約34万円)で、金程村の取り分は10752文(=約27万円)になります。
こちらの代金をすぐ用意しますので、お待ちください。
この金額ですと、それなりの本数の丁銀が入ります。それとも一層のこと小判を2両お入れしましょうか」
「いいえ、銀と銭でお願いします」
一瞬『小判で』という話にグラッときたが、小判は飾っておくか仕舞っておくには良いが、使い勝手が悪い。
登戸村で手に入れた銭を回すことで、色々なことを進めているのだ。
炭屋だって、練炭を置いておくだけで黙っていても3日間で現金で2688文(=約7万円)も懐に入ったのだからホクホクのはずなのだが、番頭さんに何故かいつもの勢いが無い。
番頭は店の小僧に代金を持ってくるように言いつけると、話を続けた。
いや愚痴を言い始めた。
「金程村の練炭は、手前だけでなく加登屋さんにも卸しておるのですよね。
まあ、委託販売の間だけという条件でしたので仕方ありませんが、炭屋に売る物がなくて小料理屋にこれがあるというのは、面白くありませんなあ」
「金程村から登戸まで約3里ありますので、直ぐに練炭が渡せないという状態になるのが見えていました。
委託販売ということなので、炭屋さんの所に大量に売れない物を置かせてもらう訳にもいかない、という最初の話がありましたので、一時蓄えておく場所が必要という判断から加登屋さんに相談して、糀屋さんのところの蔵を借りる算段まで済ませているのですよ。
まだ、商品が積みあがってはいませんが、普通練炭・薄厚練炭を蔵に積み上げておいて、炭屋さんから不足なので渡せという要請があれば村から運ぶのではなく、この糀屋さんの蔵から出す、ということで進めようとしているのです。
こういった背景で、加登屋さんは金程村の出先という格好で、練炭などを置かせてもらっています。
そして、練炭は炭屋さんの店頭で表示しているものと同じ値段で店頭で分けても良いし、行商してもよいという話でよかったのですよね」
炭屋の中田さんは渋い顔をしながら頷いた。
「今回は、この店に運んできた分以外にも多少の量があり、加登屋さんのところへまだ置いています。
最初にきちんと納得いく値段を設定して頂ければ、木炭と同じように卸すことができたのに、残念なことです。
あと、七輪は炭ではないので、加登屋さんで商ってもよいものとして話を進めております。
こういった金程村との取り決めに関して、本店は何か言っておりますでしょうか」
愚痴のお返しは皮肉である。
義兵衛も世間の垢に染まり始めてしまったようだ。
炭屋の中田さんは、揉み手を止め、全く苦りきった顔をしている。
多分、色々早まったことをしてしまったのを悔やんでいるに違いない。
「実は、加登屋さんのところで、新しい七輪に練炭を付けて売っているというではありませんか。
こちらには、最初の競りで家の小僧が気を利かせて手に入れた改造火鉢だけなのですよ。
そして、この店は炭屋なのに委託販売の練炭しかなくて、それもどんどん売れていくもんで本店に持っていく暇も物も無いという悲惨な支店ですよ。
本店に再度伺いを立てるなら、新しい七輪を持って行くしかありません。
そこで、大枚をはたいて七輪を買いましたよ。
何が悲しくて、炭屋が練炭を小料理屋から買わねばならんといかんのか。
それも言い値でなんて、悔しくて涙が出ましたよ。
そして速攻で金1両に値するこの一組を持って本店に行き、主人に紹介しましたよ」
大変な目にあったことは想像に難くない。
次回は、炭屋番頭さんの愚痴オンパレードになります。そして転機が訪れます。
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