大丸村の堤防 <C264>
余計な一言から堤防の話しになってしまいました。
「さて、洪水対策じゃが、何か存念がおありな様子じゃったので、聞かせていただこうかのぉ」
貫衛門さんが七輪をかかえて正面に座り直し、顔を前に突き出して聞いてくる。
突然弩アップになった皺だらけの顔にのけぞる義兵衛である。
俺は義兵衛さんに洪水の起きる概要と被害担当という概念を大急ぎで伝えた。
七輪の熱をあごに直撃された貫衛門さんが元の姿勢に戻り、落ち着いてから説明を始めた。
「すこしくどくなりますが、おおよその原理から説明します。
一般に雨が降ると、その水は地面に染み込みます。
そして、時間をかけて地中を通り外へ流れ出します。
この染み込みと流れ出しですが、森や林が大きな役割をになっています。
木が全く生えていない所、地面が固い所では水が染み込まず降った量だけそのまま流れ出します。
それに比べ、森では降った雨が地面に蓄えられ、そこから徐々に吐き出されていきます。
これを、森が自然の貯水池になっている、と言います。
洪水は、雨がどこにも蓄えられることがなく川へ流れ込んでくることから起きます。
流れが束になって大きくなってから扱うのは大変難しくなります。
それを防ぐためには、小さな流れの内にこれを蓄え、降った雨を一度に流すのではなく、少しずつ流すようにすることが肝心です。
例えば、川の上流で禿ている山や斜面があれば木を植え森にし、雨をそこで少しでも食い止めるようにします。
また、小さな沢は流をせき止める堤防を作り、流れ出す水の量が、天候によらずいつも同じになるよう調節するようにします。
まず、これが降った雨を少しでもその場に留めて洪水の元となる川に流れださないようにする方策です」
ここで一息入れる。
「次いで、小さな流れが合わさって、大きな流れとなってしまった後の策です。
大きな流れは、まず分断して小さな流れに分けます。
そして、それぞれを押さえ込むことが重要です。
大きな流れを食い止めるというのは、それはそれで重要なのですが、食い止めきれなかった場合の後の策が出来ていないと、全滅の憂き目に会います。
まず、川岸にきちんとした堤防を作るのは必要ですが、この堤防を守るため流れを鎮める堤を河原に作ります。
これで勢いを多少とも分断されることになり、流れも勢いも変わるので、堤防が削られることが減ります」
理解してもらうために、ちょっと間をおく。
実は次の話しが難しいのだ。
「次が難しいのですが、堤防に壊れやすいところを作ります。
流れを鎮める堤にあえて弱点を作るのです。
ある程度大きい洪水になると、この決めたところで堤防が切れます。
それで、流れを分断して少し小さな流れを作り出します。
この堤防が切れることで、洪水の勢いが削がれるようになるところに設定するのが大事です。
そして、切れるところや水の勢いが判っているので、被害が出る水田をある程度限定できます。
この時、水田を限定し過ぎると勢いを弱めることに失敗し、想定以上に被害範囲が拡大することになります。
正に稲を作っている水田を調整池として使うことに抵抗があるかも知れませんが、この調整池になる水田が被害担当です。
ここが犠牲になることで、堤防の他の部分や他の水田が救われるという作りを考えるのです。
増水した水がどこへぶつかり、どこの堤防を壊してどう勢いを削るのか、洪水後どう水を抜いて早く回復を図るのか、までを計画しておくのです。
勿論、被害担当水田だけで済まない洪水も起きる可能性はあります。
であれば、それを越える洪水はどのようなものかを想定して、被害を次の段階の最小限に食い止め、またどう復旧するかまで視野に入れて計画すれば良いのです。
これが『被害担当の水田を事前に決めておく』ということです」
一通りの説明を終えた。
話し終わって、貫衛門さんの顔を観察する。
驚愕の表情が続いた後、手の平を見て、それから義兵衛のほうへ顔を上げた。
「これは本当に驚いた。
上流に植林し堰を作るという道理に、まず驚かされた。
まあ、そこは判る。
洪水から村を守る堤防を守る河原の堤という発想もよく判る。
しかし、一番の驚きは、わざと弱いところを作るという発想だ。
まだその考えがよく消化できていない。
ゆっくり考えさせてくれ」
普通、こういった風に考えることはないので、当然の反応だと思う。
しばらく考えたあと、貫衛門さんは厳しい顔をして立ち上がり、奥へ行って地図を取り出してきた。
そして、義兵衛の前に広げたのだ。
「これがこの大丸村近辺の地図じゃ。
今、義兵衛さんが言ったことを一緒に考えてもらいたい」
「僕は金程村の人間なので、多摩川の流れ具合や水の勢いがどれくらいか、ということを知りません。
なので、実際にはこういった考えを、水の流れを良く知る方に理解頂いて進めるのが良いのではありませんか」
「まあ、そう言わずに。
ここの土地の人間でないからこそ、言えるということがあるかも知れん。
土地の人間だと、あそこに誰が住んでおる、とか、ここは切れたら困るとか言いそうじゃないか。
そうなると、良い考えも出るのが止まってしまうこともある。
さあ、どうじゃ」
そこまで言われたらと仕様がなく、広げられた地図を覗き込む。
「まず、多摩川に山が接近している場所がありますね。
対岸は下河原と是政の間位の芝間というところですかね。
そのちょっと上流・西側の分倍河原古戦場のところに堤をこさえて、多摩川の勢いを山にぶつけ、その跳ね返る勢いを是政の東側、田分村方面に逃がしませんか。
それから、山沿いに大丸村に回りこむところに小石の山を築き、堤防に掛かる勢いを削ぎます。
そして、是政への渡船の乗り場のところの堤防を壊れるところと見定め、そこから入ってくる洪水の水を大丸村の北側で止めて堤防の裏側で西へ流すよう二段目の堤防を作る。
こうすると、1段目の堤防を越えてきても二段目の堤防の外の水の流れで勢いが弱められます。
最後は府中街道を盛り土して三段目の堤防を作ります。
ただ、これをすると、結構な水田が堤防に飲まれてしまいます。
また、被害担当の地域は水田には適さなくなるかも知れません」
「確かに、渡船の乗り場付近は弱そうじゃし、あそこより西は砂地なので、水田にはなっておらん。
桑畑にしておったと思う」
そのような話をするうちに、貫次郎さんが帰ってきた。
「申し訳ございませんが、僕は今日中に金程村に戻る予定でおります」
そう申告すると、二人は相談を始めた。
長い相談になった。
「お待たせして申し訳ないです。
ここに置かれた練炭の半分の代金として、丁銀と豆板銀で2000文相当を用意させて頂きました。
残りの練炭については、委託販売ということで了解しましたので、次回こちらにこられた折に清算させて頂きます。
あと、父が次来た時は是非泊まっていってもらいたいと申しております。
なんでも堤防を一緒に見て欲しいということで、私も後で父から構想をゆっくり聞きたいと思っています。
出来れば、私にも直接お話を聞かせてください。
今日は本当にありがとうございました」
本当に名残惜しそうに、貫次郎さんは言う。
本当は、先の計画もあり権限のある貫次郎さんとは親交を深めておきたいのだが、今はそれよりも七輪に焼印を入れる案件を早く織り込みたい。
そして、いくら提灯があるとは言え2月も晦日で、月明かりはない夜なので、夜中になる前に金程村に辿りつかねばならない。
名残惜しいとは思いつつ、用意してもらった銭を貫次郎さんから受け取り、挨拶をして芦川家を出る。
前回訪問した時と同じように、貫衛門さんと貫次郎さんは門までお見送りしてくれたのだった。
感想の所で修正のため0時投稿困難と返信していましたが、多少の手直しをして71話(4月1日0時投稿分)までは継続して0時更新をします。ただ、いろいろとご指摘頂いたところまでは至っておりません。
次回は、翌日の午前、工房で焼印を作成する話です。会話で主要工房メンバの性格を出したいと考えててを入れました。
感想・コメント・アドバイスなどよろしくお願いします。




