大丸村・芦川家への訪問 <C261>
2月30日の話になります。(太陰暦では30日まであります)
七輪・練炭の実物を見せて実演します。が、すぐ商売の話しになってしまいます。
■安永7年(1778年)2月下旬 大丸村
懐には、200文のお捻りを2個、焼印の案を書いた紙を一枚。
背には七輪3個、普通練炭12個、薄厚練炭60個、炭団30個をくくりつけた荷梯子。
荷物は14貫(=52kg)相当だが、しっかりした足取りで義兵衛は金程村を出た。
北へ向う道の途中で、手ぬぐいの目印をつけたところで西へ向う。
足を踏みしめ、枯れ草を踏みつけて小さな歩幅で進むうちに、見覚えのある平尾村から坂濱村を結ぶ道に出た。
そこから北へ向い、鶴川街道に出ると三沢川に沿って北東方向へ歩き、百村に出る。
百村から山沿いの山崎道を北西へ向い、府中街道に出る前に円照寺境内近くに至る。
その近くに芦川家がある。
「ご無沙汰しております。
金程村の義兵衛が練炭を持って参りました」
門脇のくぐり戸が開くと、見覚えのある下男が顔を出した。
「これは、これは、ご隠居様が今か今かと心待ちにしておりました。
さあ、こちらにおいで下さい」
義兵衛は玄関を入って土間に荷を降ろし、座敷へ上がった。
座敷では、芦川貫衛門さんが円座に座って待っていた。
「おお、よく来なされた。
あの話を聞いて以来、待ち遠しくてしかたありませんでしたぞ」
「いやぁ、村に戻ると大変なことが持ち上がっており、こちらへ来るのが遅れてしまいました。
献上した練炭に興味を持たれたお殿様が、練炭を作っている場所を視察したいとの仰せでして、その対応で随分時間を取られました。
作業場所を清掃し、作業をお見せできるように並べ直し、作業する人に質問が来た場合の答えを用意し、事前に練習したりしました。
しかし、本番が終わるとお殿様は上機嫌になったようで、それ以降、話がとても通りやすくなりました。
大人達が言うには、お殿様の後ろ盾があるので、多少の無理は利くようになるそうです。
やっていることは、何一つ代わってはいないのに、権威とは不思議なものです」
「ほほう、それは良い経験をなされた。
ほれ、七輪のご焼印も煎じ詰めれば同じようなもんではないのかな。
義兵衛さんは、その歳にして、もうその理屈には気がついておるのじゃろう。
いやぁ、誠に賢いお子じゃ。
それで、七輪と練炭を早う見せておくれではないか」
義兵衛は土間に降り、荷梯子から七輪・普通練炭・薄厚練炭・炭団をそれぞれ1個降ろし、それを手にして座敷に戻った。
「これが七輪です。
この中に普通練炭か薄厚練炭を入れます。
そして、上面に火をつけると、穏やかに練炭が燃えていきます。
薄厚練炭だと、だいたい1刻(=2時間)、普通練炭だとその4倍の時間かけて燃え尽きます。
燃えている間は、いつも一定の熱を安定して出しています。
火力は、この七輪の下側の空気穴で調整します。
閉めると火力は弱くなりますが、長持ちします。
大きく開けると火力は強くなりますが、先ほど言った時間くらいは保ちます。
空気穴から扇で風を送り込むと、熱は普通の炎と同じ位出ますが、灰が舞い上がることもあるので注意が必要です。
七輪の中蓋は、燃えている練炭の火を消すときに使います。
空気穴を閉め、中蓋を上から落としますが、火が消えるまで結構時間がかかります」
この説明を聞きながら、貫衛門さんは七輪を手にしてあちこち触っている。
覗きこんだり持ち上げて底を見たり、ひっくり返したりしている。
「確か、これ一組はこちらに頂ける、ということじゃったの」
「はい、その通りです。
ここに持ってきたのは、それぞれ1個ですがこれは無償で提供させて頂きます。
追加の練炭は1個あたり200文でお譲りするお約束です。
薄厚練炭については、お話しておりませんでしたが、1個65文でお譲りしたいと考えています。
あと、炭団というものもお持ちしました。
こちらは1個20文となります」
「あっはっはっはっは、実は聞いておるぞ。
登戸村で、炭屋が普通練炭を320文、薄厚練炭を100文で先日から売り出しておる。
それを承知の上で、先に約束した安値で良いと言うのか。
お前さんも、流石に百太郎の息子よ、のう。
売って歩くのに、儲ける気はないのか。
これは面白いことを言う」
「いやぁ、登戸村のことをお見通しでしたか。
あの高値は品薄が招いた一時的な騒動と思っております。
七輪との組み合わせでないと火が長持ちするという特徴は活きないはずなので、直に納まりますよ。
そうすると、高値で掴んだ人は炭屋を恨むでしょうね。
金程村は練炭で恨まれたくはありません。
なので、落ち着くであろう値段でお譲りする次第です。
ただ、炭団だけは違います。
こちらは七輪とは違い、普通の火鉢にくべて使います。
大きさは皆同じなので、普通の木炭より使い勝手は良いはずです」
「なるほど、本当に先を見ておるのじゃのう。
長い目で信用を得ようとするのは、良いことじゃ。
さて、七輪に火をつけてみたいのじゃが、やって見せてくれんか。
だれぞ、火を着けるので、やり方を一緒に見ておいてくれんか」
先に案内してきた下男が見にきた。
義兵衛は七輪の空気穴を開き、七輪の中に入れた普通練炭に紙縒りを乗せ、囲炉裏の火を縄に移すとこれを紙縒りに押し付けた。
紙縒りは直ぐに燃え上がり、燃え尽きた。
練炭の上面に赤い光が一杯に広がるのを確認すると、空気穴を閉じ、七輪を貫衛門さんへ押しやった。
貫衛門さんは、七輪を引き寄せると、上側に手をかざしたり、側面を手で撫ぜたりしている。
「なるほど、面白い。
これで湯を沸かして見せるというのが通り相場と聞いておる。
おい、これに載せる金網と、水を入れた鉄瓶、湯飲み茶碗をいくつか持ってこい」
下男は返事をして引込むと、やがて物を持って現れた。
金網を敷き、鉄瓶を載せ、空気穴を開く。
上面の赤い光がどう変わるのかを確かめるように覗き込みつつ、七輪の熱さを手の甲で確認して回っている。
「今回持ってきた荷にこの七輪が3個あったが、この家と円照寺以外で、どこぞに分ける所があるのかぇ」
ただただ人の良い爺様だ、とまでは思ってはいなかったが、流石に100人以上の家人の責任を一身に担ったこともある御仁だけのことはある。
抜け目なく、しっかり見ている。
「先日、この周囲の村や、場合によっては府中宿まで売りに行きたいというご要望を述べられておりました。
もし、そのようなご希望があるのであれば、売り物の見本も必要かと思い、余計に1個持ってきました。
ちなみに、登戸村では加登屋さんにこの七輪を扱ってもらっています。
七輪1個に、普通練炭6個、薄厚練炭15個を付けて、全部まとめて金1両という値段で小売してみる、と聞いています。
七輪の値段を除いた練炭だけの値段だと、今、芦川家では2175文(=約54000円)で金程村から買うことができます。
七輪はまだ焼印によるご加護がついてないものですが、800文(=2万円)位で売れればと思っています。
すると、もし登戸村の加登屋さんと同じ値で売ることが出来れば、芦川家は1125文の利益を得ます。
ただ、売れなければ、不良在庫を抱えることになります」
ここで、一息入れる。
「お尋ねしますが、芦川家ではこういったお商売を、府中宿で行うこともなされるのですか」
村の大地主が売りに行くというのは、結構難しいものなのです。




