名主・百太郎への相談 <C258>
いろいろと降り積もった問題について、名主である百太郎に相談するという、タイトル通りの内容です。
こういった相談をすることで、課題整理することが時には必要です。話しをするうちに実は大した問題ではなかったと判ることも多いのです。
家に戻ると、百太郎への相談である。
「工房へ細山村の樵家から二人が手伝いに来てくれました。
これから、毎日計4俵のザク炭を持ってきて、粉炭を作る作業をしてくれます。
ただ、全部で20俵ということで、手伝いは5日後で終わります。
なので、一昨日登戸村で練炭を売った費用で、また細山村からザク炭を手当てしておきたいと考えます。
その中の6000文で、まず30俵を買い付けしてください。
あとは、どれだけ細山村にザク炭があるかに依ると思います」
「甲三郎様の巡視があったことで、随分話がしやすくなったことは実感できているか。
お殿様が、練炭作りを村の特産として認めてくださったのだぞ。
多分、白井さんは『細山村も協力しています』位のことは言っているに違いない。
なので、前回のように銭を広げて協力をお願いする、という所作はもうしなくても良くなったのだ。
極端な言い方をすると『後で清算するから、細山村のザク炭を全部寄越せ。それから粉炭作りのところも協力しろ』で済むのだ。
なにせ、お館が、代理にせよお殿様が後ろについて下さったのだ。
まあ、そういった背景もあって、白井さんは早速に木炭の手当て、人手の派遣に動いたのだろう」
なる程、代理にせよお殿様がからむと、上からの圧力がかけられ、はかどり方が違うのか。
内心そう思うと、社会人時代の会社の中のあり様も同じだった気がする。
『これは社長プロジェクトだ』って担当は大威張りで予算は分捕るし、人はコキ使っていたもんな。
ここいらは、江戸時代からちっとも進歩してないよ。
「では、細山村への折衝はお願いできますか。
それと、手伝いで来て頂いている、米と梅ですが、大工の彦左衛門さんのところで与かりたいという話が出ています。
朝夕の食事と寝泊りする場所は、彦左衛門さんのところで用意するそうです。
奉公に上がるようなもの、とそれぞれの家に説得してもらいたいのです。
そうすると、それぞれの家から来るのではなく、工房と直結しているので、練炭の生産を上げることができます。
これも、話して頂けると助かります。
そして、巡視の影響で遅れていた登戸村への練炭の運搬ですが、明日行ってきてもよろしいでしょうか」
畳み掛けるようにお願いを重ねた。
「細山村のザク炭の残量は、明日にでも確認してこよう。
そして、残量が0になるまで、毎日4俵運んで粉炭にする作業を続けるよう、依頼してくる。
ただ、受入の場所は大丈夫か。
毎日練炭にするのが2俵だとすると、どんどん粉炭が積みあがってくるだけだぞ。
ある程度溜まったら、使う分だけ粉にすることを考えたほうが良い」
確かに、的確なアドバイスだ。
「後は、米と梅の家への説得だな。
今でも奉公しているようなものだし、勢いがある今なら、特に問題もなく了解されると思う。
夕方前に話をしてきてやろう。
後は、登戸村だな。
ワシも練炭の売れ具合や値段が気になっているのだ。
村の将来を占う大事な要素なので、気合を入れていって来い」
「実はまだまだ相談があります。
水車の構想が見直しになっています。
実は、水車のために作る貯水池の土を七輪の材料にしようと目論んでいました。
しかし、先日指摘されたように、村の中に水車を作るのは得策ではありません。
しかも、細山村から人を出して粉炭を作ってもらえるようになると、一層水車という考えはなくなります。
無為に田を潰す訳にはいきませんので、充てにしていた粘土を取ることができなくなりました。
どこか、粘土を調達できるところはないでしょうか」
これは、差し迫って非常に困った問題なのだ。
「ワシの知る限り、この村の中で良い粘土はない。
田の下にある粘土が七輪に良いというのは、見えないだけにワシも気づいていなかった。
田の表土を削いで、下の粘土を取り出し、また被せるということはできるのかな」
「保水力が無くなる心配があります。
しかし、粘土を取り出した後に、山土を入れてそこに被せれば、大丈夫な可能性はあります」
「ならば、先に自由にして良いといった田の半分か、そのまた半分を使ってまずは試してみてはどうかな。
4分の1だけ掘り起こして下の粘土を取り山土で埋める。
そして、今年普通の田として稲を植えて、どの程度差が出るか見るということでも良い。
畝で仕切れば、田の残りの部分への影響もある程度抑えられるだろう。
ともかく、それで急場を凌ぐということでどうかな。
金程には無いが、細山村には焼き物にできる粘土があるかも知れない。
明日、ついでに聞いてこよう。
で、これ以外の相談とは何かな」
「大丸村の件です。
円照寺へ納める七輪と練炭を持参し、その上で焼印を押すことの初穂料での交渉が待っています。
まだ、事前交渉の位置づけですが、締結の時には来て頂きたいのです。
多分、芦川貫衛門さんは昔話をしたくて待っていると思います。
登戸から戻ったら、大丸村・円照寺へ事前交渉の続きをしに行きますが、その次は一緒に行ってもらいたいと考えています。
そして、金程村から大丸村に行く経路ですが、最初に行くときはよく判らず真っ直ぐ北へ向ったのですが、そうすると崖の上に出てなかなか麓の村に降りることができませんでした。
帰るときに良い道はないかを聞いたら、鶴川街道を坂濱村まで行き、そこから平尾村にいく道の途中から、金程村に直接出る道を教えて貰いました。
直接出る道は、だいたい平坦ですが、尾根伝いのような所でしたので、二つの村の境目かなと思います。
この道は、獣道に近い感じでしたが、踏み固めて広げると便利です。
できれば、きちんとした道にできるように、いずれ平尾村・坂濱村に話を通したほうがいいと考えます」
「道をちゃんとしたものにする話は、土地の権利がからむ話だけに、意外に難しいぞ。
特に、どちらの村の持ち物なのかがはっきりしない場合は、どちらかに肩入れすることになるので、立場が悪くなることもある。
正式な話をする前に、まずは既成事実を作ってしまうのが得策だと思う。
事実、そうやって出来てしまった道のほうが多い。
円照寺との交渉締結の件は了解した。
ワシも芦川貫衛門さんと久しく話をしていないので、行きたいと思っている。
お前の話の中で気になるのは、芦川家が府中宿を拠点に甲州街道沿いに七輪・練炭を販売するというところだ。
芦川家は、府中宿に拠点を持っていないはずだ。
どうやって販路を作るのかが見えない。
次に大丸村に行ったときに、このあたりのことをきちんと聞いてきて欲しい。
もし、しっかりした話が出来ていないようであれば、販売は周辺の村に留めるように忠告してきて貰いたい」
確かにその通りだ。
相手の情熱に浮かされて、実現性の確認を怠っていた。
まだまだ、知恵が、注意が足りていない事を自覚したのだった。
木炭加工については課題が絞られてきました。
次回は、登戸の炭屋さんのところに練炭を運んでいくと、というお話です。
この話の中で登場する旗本の「椿井家」ですが、細山村(190石)・金程村(70石)・万福寺村の一部(50石)、以外にも、下菅村の一部を知行地として拝領されていることを見落としていました。その石高190石と結構大きいので、ちょっとあせっています。(300石級ではなく500石越え級の旗本になるので、お城での仕事のランクが変わります)いずれにせよ多摩丘陵の山沿いという辺鄙な場所には違いないのですが、米経済主体の江戸時代ではあまりいい思いをされてない感じはあります。
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