上麻生村の事情 <C2562>
上麻生村に飢饉対策用の備蓄米50石を貸すという爺様の提案に義兵衛はぎょっとした。
「園十郎殿。高石神社の巫女が、時期と期間を指定して飢饉になると言っており、しかも、それが御公儀の執政をする方々に伝わっての触れなのだから、巫女の地元として無策では示しがつかぬであろう。それゆえ、触れに従う恰好が要るとは思わんか。
こちらとしては、ただ三井殿に50石を預けているだけで、そこから利息を取るつもりはない。毎年古くはなるが、そこは村から上がる新たな年貢と入れ替えれば済む話だ。もちろん、不要になればその時点で当家に返してもらえば良い。
ただ、実際に飢饉となった折に領民保護のため使うということならば本望である。当家から上麻生村領民やそこに来た難民の為に使用して貰いたいと申し出した時は、これに応じて欲しい。その場合は、米の返却は無用になされたい」
上麻生村に置きはするものの、貸出先は三井家という点と米の放出に椿井家が関与する点が肝の提案となる。
爺様の口調は丁寧だが、他領の領民への扱いに口出ししており、普通は受け入れることはできない提案なのだ。
だが、上麻生村で難民の足止めをするのは椿井家の領民を守るために必要なことに違いない。
そして、貸し出す50石は、充分出せる量であることも重要な点だ。
「ただ、設置場所は三井家の屋敷ではなく、坂を下った村の真ん中にしてもらいたい。そうさな、津久井往還道から古沢村へ向かう分岐があろう。その辻に貯蔵場所を設けてもらいたい」
園十郎さんは顔一杯に渋面を広げて苦慮している。
「いずれにせよ、殿へ打診してからの返答となりましょう。
御公儀には、米を借りていることは伏せ『飢饉用の米が村内に備蓄されている』とだけ返答すれば良いのですな。ただ『この米の使用については椿井殿の指図も受ける』という所は、ちと難儀ではありますがな」
「辻に殿様が用意した御救い米があるということだけで、村の者は安心できます。
飢饉になり皆が飢えている時になれば、
我々百姓は巫女の話を何度も聞かされており、そうなったらどうしようか、と怯えておったのです。昔・先代の頃は取れ高の半分相当の米を年貢として納めておりましたが、当代になってからは米作の出来・不出来にかかわらず村から335石(玄米838俵)を年貢として納めることになっております。
豊作の時は、いつもの年より多少多めに米が手元に残ります。しかし、そのような年に限って米の値が安く、思ったような銭を得ることが出来ません。農具や野良着なんかは、米の出来にかかわらず銭を出して買うものなので、どうしても手元の米を多く手放すことになり、結局はいつもと同じ程度の米しか残りません。
高石神社の巫女のお告げは知っておりますが、このような状態なので、村には余裕はなく、飢饉の噂に怯えているにもかかわらず対処は何も出来ていないのです。そういった中、領民のことを考えて殿様が村の中に米蔵を置く、ということがあれば励みになります」
義兵衛の所でも、去年であれば同じような状況だっただけに、気持ちはよく判る。
金程村だと名主の持つ蔵に新米が積みあがる直前に、どれだけの米俵が残っているかが備蓄量というギリギリの勝負になる。
そして、備蓄とは言いながら、この残った米に相当する新米を地廻りの米問屋に卸して銭に替え、支払いに充てていたのだ。
ただ、金程村では収穫時期である秋ではなく、春まで持ちこたえることで、安値で売るということを避ける知恵はあった。
勿論、冬場に作った木炭を卸して金子に替え、これを年貢の一部に充てることで直接納める年貢米の量を軽減させていた。
そういった積み重ねを背景に、工房の利益を年貢の代替えとできる考えが領民に受け入れられている。
ともかく、余分の米を持つことに甚七さんは乗り気になっている。
「辻の場所に米を蓄えておく蔵については、この冬場に村の者を集めて用意しておきますので、椿井様から備蓄米を借りる算段は御殿様に了解してもらってくだされば有難いです。
それから『年貢米の一部を金子で代替えする』ということですが、上麻生村でも同じようにできませんでしょうか。
実の所、椿井様の所で入用とされる木炭を買ってもらったり、また他村から伝手を得て木炭を送り込んだ運賃など、大季払いの証文なのですが結構な金子分あります。季払となる年末には50両に届くと見ておりますが、これを年貢米の代わりに御殿様の所へ納め、その分の年貢米を戻して頂き、証文を椿井様に戻して50石の備蓄米を得る、というのはどうでしょうか。
この米は買い入れなので、椿井様の指図を受けずに済みます」
ただ、額面通りとなるこの方法だと三井様のうま味は無い。
三井家から米問屋に渡す年貢米50石分が減り、得られる金子が減る・あるいは返済される借金が残るという結果になるだけなのだ。
園十郎さんは顔一杯に広げていた渋面を更に深めた。
「園十郎様。こちらに出入りする米問屋では米50石をどのような値で買い取っておるのでしょうか。
その金額によっては、わずかですが御家が利を得ることも考えられます」
悩み所だったのか、義兵衛の言葉に顔を上げて直視してきた。
「そのような些細なことは知らぬ。
米問屋には、知行地の駿河国・上中ノ郷村からの年貢も含め毎年500石程金子に替えてもらっており、それで江戸屋敷での暮らしを維持してもらっておる。米の代金には借財の利息や借り換え手数料なども含まれておることから、当家から渡す米を1割も減らすとなると、承知させるのには難儀するやも知れぬ」
米問屋に財布を握られている可能性が高いことに気づいた。
椿井家でも昨年までは借財でギリギリの所まで追い詰められていて、500石取りにしては大きすぎる1000坪の江戸屋敷を屋敷替えして金子を浮かし、それを借財の返却に充てる相談まで出始めている所だったのだ。
村で木炭加工という新たな産業を起こしかけている工房が、途方もない利益を生み出す可能性に気づいた御殿様・もしくはその弟君である甲三郎様が、寺子屋に通う子弟を労働力として差し向け、工房運営を大人達から保護する格好で支援と取り込みを行った。
その結果、まだ手にしてはいないのだが、大名に匹敵する規模の財政基盤を得ることに成功しているのだ。
御殿様の膝元ではない金程村で、子供の手による小さい手工業工房が立ち上がったばかりの時に、御殿様が強引に介入することで出来た体制とも思える。
他領の村に来て、そこの御殿様の内情を聞くにつけ、寺子屋で結びついた椿井家領地で、金程村・細山村であればこそ成すことができた技に違いないと強く思った。
「年貢米の売り渡し金額を『些細なこと』と言うのは如何なものだろうか」
安兵衛さんが小さく独り言のように言うが、なんとなくこの里の事情・椿井領との差が判ったような感じだ。
おそらく、ここ上麻生村のありようが普通の旗本知行地なのだ。
義兵衛が常日頃より銭金勘定を重視して動き回っているのに同行しているせいか、かなり感化されてきているのが判る。
曲淵様は、江戸に戻った勝次郎様にもこういった感性を持ってもらいたくて義兵衛に同行させていたのだろうが、家の都合で断念せねばならなかったのは至極残念なことに違いあるまい。
「とりあえずの提案ですので、三井様によく申し上げてから返答を下され。
それで、来月に若君(椿井金吾)が里へ戻り、ついでに村の周囲を散策したいとの意向があり、その件でのことになるのだが……」
義兵衛も初耳となる金吾様の行動予定が、爺様の口からポンポンと飛び出す。
どういった道順を辿るとか、どこで何を見るのか、誰と会いたいのかなど、どうやら詳細まで詰め終わっているようだ。
本来説明は義兵衛の役目のはずと思うのだが、工房に籠ってばかりいたので仕方ないのだろう。
「まあ、予定はこんな具合ですが、後は書面にてお渡し致しましょうぞ。もし何かしらの不都合があれば事前にお知らせくだされ」
紋切り型の挨拶を済ませ、一行は三井家を辞去した。




