甲三郎様の巡視 <C256>
サブタイトルに反して、前日登戸から帰るところから話しが始まります。
■安永7年(1778年)2月下旬 登戸村 → 金程村
加登屋へ戻ると、主人が待っていた。
「炭屋さんは、どれ位の値段で小売すると言っておったかのぉ」
「普通を260文、薄厚を80文で出すそうです。
帰りがけに、小僧さんが立て看を出していましたよ」
「そんなものじゃろう。
ならば、普通を230文、薄厚を70文ということにしてはどうじゃ。
七輪と合わせて6200文(=13万円)を支払うことにさせて貰おう」
思いもかけず大金を手にすることになってしまった。
「ありがとうございます。
あと、炭屋さんには委託量を倍増するよう要求されたので、これに応じます。
なので、数日中にまた練炭を持ってきますよ。
ところで、糀屋さんの蔵の賃貸料はどれ位になったのでしょうか」
「うむ、蔵の1階部分を半分借りる形になるので、年1両は欲しいと言われておる。
ちょっと高いとは思ったが、どうやらこれが相応の相場のようじゃ。
頂いた火鉢と練炭を3個持っていったので、懐柔できるかと思っていたのだが、難しいものよのぉ。
とりあえず借りるのは、今年の夏以降になるといっておいたが、それでよかったのかな。
借主は、金程村ではなく加登屋とさせてもらったぞ」
「それで結構です」
米を一度に出し入れすることがない限り、加登屋のところの一時置き場だけ意識すれば良いようだ。
これで、蔵の件は決着したと思って良い。
「あとお願いがあります。
極秘として欲しいのですが、実はこの練炭を作るのに布海苔を使います。
いつもこの村に来ると、布海苔を買い集めていますが、僕が来るたびに買いあさっているととても不自然です。
なので、少しずつ買い集めて頂きたいのです。
量は、そうですね、毎日50文(=750円)分といった所です。
今日はこれから色々な店を回って買いあさりますが、よろしくお願いします」
それから、義兵衛は加登屋さんから代金を受け取ると、それをしっかりとしまい込んだ。
そして、三度この村でありったけの布海苔、2000文=5万円相当分を買い付けて金程村への帰途についた。
懐には7448文の銭と背中の荷梯子には2000文の布海苔。
意気揚々と飛ぶような足取りで村に急ぐ。
新月に近いこの時期、途中の細山村で陽がトップリと暮れてしまったが、寺子屋通いで慣れた道だけに、手探りでも進める。
真っ暗な家の戸を叩き、家の中にやっと着くことができた。
すでに寝ようとしていた父・百太郎を起こし、書斎に明かりを灯して首尾を報告する。
まずは、7448文=186200円の銭を広げて見せ、登戸村で起きている練炭の高値について説明をした。
「最低でも100文位と思っていた練炭が、このように高く売れるとは、思いもよらない事態です。
あと、この高値・品薄を背景に、委託手数料を3割から2割に減らさせることができました。
もっとも、その代わりに委託品の練炭は2倍の量を置くことを約束させられましたが」
「うむ、大体内容については了解した。
委託手数料の圧縮は良く思いついた。
あと、甲三郎様の視察は明日午後ということになった。
まず、この家にお迎えし、そこから工房へ行き説明を行う。
それから、戻って茶菓でもてなしをして終わりという段取りだ。
彦左衛門(助太郎の父)と助太郎には連絡済みだ。
今日戻ってきて助かったぞ。
お前ももうゆっくり休むが良い」
母に冷や飯を出してもらい、それを大急ぎで食べると、就寝した。
翌朝、まずは工房へ向う。
助太郎だけでなく、手伝いは寺子屋組の3人も含め全員が比較的程度の良い衣服になって、緊張して控えている。
娘組二人は普段は木炭作業で真っ黒になっているが、今日は襷掛けなんかしていて、とても汚れ仕事をしてるように見えない。
甲三郎様がお見えになられた時には、少しの作業を上品にして見せるよう、昨夕練習をしたそうだ。
石臼や鑢、混ぜる盥、型などの道具類はきちんと並べられている。
ザク炭の俵も、粉炭を貯める場所もきちんとしている。
練炭を乾燥させる場所も、出来上がった練炭を保管する場所も、整然と半製品・製品が積みあがっている。
申し分ない。
七輪作りのところは見せない方向だが、万一注意が向いたときも踏まえ、ざっと掃除はしてある。
強火力の実験で試作した場所は、覗かれないように囲ってある。
どうやら、準備は完了しているようだ。
助太郎は、皆と受け答えの練習をしている。
義兵衛はとても満足する状態であることを伝え、家に戻った。
家でも座敷に上がってもらうべく、準備万端になっている。
さて、昼過ぎになり、白井与忽右衛門さんの案内で椿井甲三郎様が徒でやってきた。
ご家来衆が2人に喜之助も加わり、総勢5名のご一行である。
一度座敷に上がってもらい、小休止のあと、名主・百太郎と孝太郎、義兵衛の3名が加わり8名で工房に向う。
工房前では、大工の彦左衛門が待っており、先導していく。
工房の中では、助太郎が案内と説明をする。
寺子屋組は木炭を石臼で粉炭に加工する作業と粉炭を集め貯める場所へ移す作業をしている。
粉塵が舞わないようにとても注意しながらである。
米は、盥に入っている捏ねた炭を型に詰め、それを「トトン」と軽快な音を立てて固め型押しをした後、「ポン」と抜く作業をする。
梅は、型から出た薄厚練炭4個を重ね、普通練炭に仕上げる作業をする。
個数がまとまると、木箱に入れ、乾燥室に運び込む。
手が空くと、乾燥室から乾いたであろう練炭を木箱で持ち出し、寸法が許容範囲に入っているか冶具で確認し、重量を計測して合格品を製品置き場に移す。
傍目には全くスムーズに見える作業である。
甲三郎様は、それぞれの所で手伝いの者にちょっとした質問をしている様だ。
米への質問は、生産性に関する問いで、答えるのが難しかったようで、米の手が止まる。
すると「悪かった、手を止めるではない。別なものに聞くのでそなたは答えずとも良いぞ。それより作るのに集中して励んでくれ」と言っている。
どうやら生産数量目標をお尋ねだったのだが、今日のことなのか、そうでない普通の目標なのかを迷ったようだ。
これは、助太郎から薄厚100個が日産目標だが、失敗も少なからずあるので96個が出来ればよしとしている、との説明をして事無きを得た。
一通りの巡回が終わり、工房入り口での彦左衛門のお辞儀に送り出されて、伊藤家へ向う。
上機嫌な甲三郎様からの質問には、義兵衛が卒なく応える。
やがて時間が来て、名主・百太郎が門のところで深くお辞儀して送りだす。
これで、一連の儀式が終わる。
義兵衛も俺も、工房の面々が気になっており、一行の姿が見えなくなると大急ぎで工房へ向った。
すると、工房の面々は皆、助太郎の家の座敷で茶菓をもてなされて楽しんでいた。
茶菓といっても、干し柿とお茶である。
とりあえずボロを出さずに済んだことで良しとしよう。
午後は鋭気を養い、明日から頑張るんだ、という考えは大当たりだろう。
手伝いの面々は、それぞれの両親へ土産話・自慢話ができるに違いない。
その両親もまた、狭い村の中で娘・息子に自慢話をするに決まっている。
昨日、今日と生産は停止したままだが、お偉い方の予告された巡回とは、このようなもの、なのである。
偉い人が巡回するというのは、結構ストレスになるのではないでしょうか。
次回は、細山から助っ人が工房へ来る、という話です。
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