桔梗さんへの聞き取り <C2557>
館から工房へ戻る道で、義兵衛は里の模型で筒から見た様子を思い浮かべながら、風景と照合するかのように見渡してみた。
「こうやって改めて見ると、気付きがあるなぁ。安兵衛さんは鏡の付いた筒から見ていないので、何に感動しているのか判らないかも知れんなぁ」
「いや、義兵衛さん。私はそれどころではありません。館の爺様から見せられた精密な模型、あれの意味する所を考えると一体どれだけ強烈な思いをしたか、とても口にはしきれません。もう、殿(北町奉行・曲淵甲斐守)に来て頂いて、直接見てもらうしかないのでしょうね。とりあえず報告はしますが、それでどこまで伝わるか。幸い、面前で直接報告する訳ではないので、そこがせめてもの救いですよ。
違和感を覚えるのが、知行地に限っている所なのです。もはや戦国時代ではないのに、今時領地を守るなぞあり得ません。もし戦となれば、どなたかの配下で知行地など関係なく赴くことになりましょうに。周りを敵に囲まれて領地を守るなぞ時代錯誤も最たるものです。そこは椿井家として何らかの思いでもあるのでしょうが、敢えて私が口を挟むこともないでしょうね。
もっとも、もっと説明が難しいのが寺子屋のことです。領民の保護がそこを治める者の務めなど、その保護を受ける面々に教えているなんか、そうなった経緯を聞きたがるに違いありません。いや、このことを知ったら我が殿は庚太郎様を奉行所に呼び出すに違いありません。義兵衛様からも一言伝えておくべきかと思います」
「いや、爺様のことだから、きっとこのことは報告するに違いない。しかし、こちらが何もしないのも変か。二度手間になるかも知れんが、江戸の紳一郎様へ文を出すしかないかな。江戸に行った助太郎と梅がどこへどう納まったのかも気になるし、武家相手の料理比べの算段や、萬屋の華さんの準備も気になっている。
そうか、華さんに文で問い合わせすれば、裏を読むことが必要となるような返事は来ないから楽かも知れん」
色々と報告する先や、問い合わせの結果得られる情報の裏表を読むことなど、10代の小童が考えるはずもないことを二人揃って頭をひねって考えている様は、よくよく見ればどこか変なのだが、当事者たちは一向に気付いていない。
金程村の工房に戻ると、米さんが怖い顔をして待っていた。
「遅い。義兵衛様、遅すぎます。弥生さんが『今朝は桔梗さんに聞き取り準備をさせて待たせているのに』と、怒ってますよ」
「いや、それは判っていたが、館での報告で爺様から色々と言われていて…………」
「米さん。桔梗さんとは、昨日言っていた武家の娘さんですよね。直ぐ呼んでください。
義兵衛様、早速ですが聞き取りしましょう。ここでいくら言い訳をしても時間の無駄です」
その通りで、米さんが納得したとしても時間が戻る訳でもない。
いつの間にか安兵衛さんが仕切っているあたり、力関係が変わってきているのか、里ということで義兵衛の気が緩んできているのか、どうでもいいようなことだが、これから長く里にいるとなると関係も微妙に変化するのかも知れない。
米さんが生産棟へ行っている間に義兵衛は気持ちを切り替える。
弥生さんと桔梗さんが連れ立って事務棟にやってきた。
「話の間中は米さんを借りていますよ。生産に穴を開ける訳にはいきませんので。
話が終わって桔梗さんが戻って来たら、米さんを戻しますよ。春さん、弥生班の目標・小炭団を1000個減らすのを忘れないでね」
小炭団1000個はおおよそ1両分の売り上げに該当するのだが、これだけの金額目標を口頭であっさりと減らさせるとは、弥生さんは只者でない感じだ。
ともかく、あっさりとこう伝え終わると弥生さんは小走りに生産棟へ戻っていった。
実質工房を取りまとめている米さんをいいように使うあたり、流石に梅さんの後継だけのことはある。
土間の真ん中では、ぽつんと桔梗さんが残されて所在なさげに立っている。
「そこで立っていては話もできぬ。こちらの都合で色々と聞きたいと呼び出したのだから、まあここの座敷にあがってきなさい」
桔梗さんは義兵衛の申し出に従い、土間から座敷へ上がった。
「桔梗さんは、確か小平家の二女で寺子屋3年目だったっけ。毎日、細山村からこの工房に通っているそうだが、苦労はないか」
「はい、工房への往復として小半時かかるのを認めて貰えているので、私としては助かっています。でも、だからと言って班の目標が減る訳ではないので、居る時は人一倍働くこと、不合格品を出さないことを心掛けています。基本的には得意な計量を担当していますが、時々輪番で型詰めの役が回ってきて、そのような時は細かい所に神経を使います。今は担当していませんが、今後は型外しの役を加えると弥生さんから聞かされています。
両親からは『寺子屋での習い事はともかく、工房で任されているお仕事は御殿様の役に立つことなので、決して気を抜かぬように』と毎朝言われて送り出されております。ただ、細山の館からの通いは私以外に1年目の男の子が一人だけで、その子の足が遅いため、どうしても工房に着くのが遅れがちになります」
歳に似合わず、しっかりと自分の考えを述べている。
ここで、今回聞き取りの趣旨を説明して考えを聞いた。
「将来の身の振り方なぞ考えたこともありません。梅さんのように振舞えれば幸せなのかもしれませんが、私は武家の娘として家の為に生きていかねばならない、と思っております。
義兵衛様の御内儀となられる華様ですが、館から寺子屋に通われるのであればその往復には、勿論同行致します。ですが、工房で生産班の一員として練炭を作る作業をするのはどうでしょうか。私には難しいことのように思えます。義兵衛様の御内儀様と一緒に真っ黒になって作業するというのは想像できませんし、何より連携ができないでしょう。一通り現場を体験してみたいということであればそれは有るかも知れませんし、そこで秀でた能力を示せば班長達は欲しがるかも知れません。そうでなければ、米さんや梅さん、それに春さんのような立場に置いて、そんなものかと受け入れることもできましょうけどね。
伊藤様や白井様の嫁様については、米さんや梅さんより年配でございましょう。名主を支える御仕事もありましょうから、この工房へかかわるのはそもそも無理ですし、まずは館に住む武家の奥方様と連携を取るのが先でございましょう」
まずは、手っ取り早く言えば『よそ者に現場の作業は任せられない』ということのようだ。
それに、作業場でのことが華さんを通じて筒抜けになるのも問題があると思われる。
華さんの手先が器用であれば作業員としての目はあるが、そうでなければ事務棟で雑用をしてもらうしかなさそうだ。
新しく名主となった兄・伊藤孝太郎と、同じく隣村の新名主・白井喜之助の嫁様は、当面館への通いとなる感じだ。
武家の奥方は、周囲の村娘か江戸から連れて来た娘達であり、立場としては似たようなものであるため、そういった交流を通して慣れていってもらうしかない、という貴重な示唆なのだ。
とりあえず必要なこと聞けたので、桔梗さんは生産棟に戻ってもらった。
「工房で華さんの仕事は難しいのでしょうか。私の仕事を手伝って貰えると助かるのですが」
耳を聳てていた春さんがそう呟く。
確かに、商家の娘としてお婆様から商売のことを仕込まれている可能性はある。
そうだとすれば、帳簿類の管理など春さんの仕事と被る部分があるに違いない。
この時代の標準的な商家の帳簿と、いささか独自に発展させてきた工房の経理作業を掛け合わせることで、思わぬシナジー効果を産み出すかも知れない。
「春さん。それはなかなか良い案です。華さんに算盤など計数の心得があれば是非手伝いしてもらいましょう。その時はよろしくお願いしますよ」
義兵衛がそう言い終わるかどうかの時に米さんが事務棟に戻ってきた。




