爺様からの課題 <C2552>
工房に戻った義兵衛は米さんに、館の爺様から出された課題について、相談を持ち掛けてみた。
「この工房で働いている娘達に、婚姻についてどう考えているのか、直接意見を聞いてみたい。また、その聞き取りを行う過程で、作業者・管理者の適性有無を確認したいのだが、どうかな」
「義兵衛様が直接に、ですか。それは駄目ですね。全員同時に聞けないのであれば、後になるほど本音とは違う内容になりますよ。
こういったことについては、それぞれの意見を梅さんがすでに聞き取っております。ああ、その内容は弥生さんが引き継いでいますので、この事務棟の中で弥生さんに御尋ねください。
ここに生産棟で働く全員の名簿があります。後で弥生さんからそれぞれの身上なりなどを報告させて、その上で気になる者を数名選び、別の手すきの時間を選んで直接聞き取りをすればよいと考えます」
当初順番に呼び出してヒアリングするつもりだったのだが、先に済ませた者から内容が伝わり答えにバイアスがかかるらしい。
竹森氏の元いた世界であれば、アンケート用紙を配って一斉に回答させれば良いのだが、そういった訳にはいかない様だ。
そのことを一応提案してみたが、即座に否定された。
「そういった方法はあるのかも知れませんが、皆の手を止めてまですることとは思えません。
皆、読み書きはできますが、そんなことで今練炭や小炭団を作る手を止めるのは如何でしょう。優先すべきは生産です。
それに、自分が書いたものが義兵衛さんの手元に残る、というのは脅威なので、御止めください。
墨紙は要りますし、ましてや寺子屋を出る位の年頃の者となると、本音など書けるはずもありません。
色々難しいことに取り組まねばならないのだとは思いますが、どうぞ、御考え直ししてください」
アンケート方式は米さんからきっぱりと拒絶された。
確かに、アンケートするとなるとここに居る米さんや春さんも対象となる。
それに逆の立場で、御殿様からの命ということで同様の調査が行われたとすると、自分でもまず反発してしまうだろう。
自分でもされるとイヤと思うことを強要しようとしていたのかと考えると、確かに追い込まれていたようだ。
「そうだったな。米さんの言う通りだ。
まずは、弥生さんからそれぞれの様子を聞くことにしよう」
多少とも愚図る米さんを押すと、生産棟から弥生さんを連れてきてくれた。
弥生さんは梅さんの後釜となっているが、製造の班長の一人でもある。
今は自分の後任となる班長を必死に育てながら、製造量では他の班に劣らぬよう作業もこなしているところなのだ。
「忙しい所申し訳ないですが、ここで働いている者達のことを教えて頂きたいのです」
「申し訳ないのですが、今直ぐということでなくても良いのでしたら、今日の作業が終わった後にして頂けないでしょうか。私一人がこの午後抜けると、小炭団の日産量がおおよそ2000個ほど少なくなってしまいます。これはとても困ることですよね」
これまた思わぬ反撃にあってしまった。
練炭は3つの班で、小炭団は5つの班で製造しているのだが、班毎に日産量を競う仕組みになっている。
弥生さんが半日抜けると、いや、今呼び出されている瞬間も班としての生産量は落ちているに違いなく、それを気にしているに違いない。
「いや、申し訳なかった。では、今日の終業後ということにしよう」
義兵衛の声が終わらぬ内に、弥生さんは深く一礼すると作業棟のほうへ駆けていった。
「義兵衛様、今の作業棟の中は万事このような状態のですよ。作業棟では今日一日を全力で、事務棟では10日先までを見据えて作業が滞らないよう全力で仕事をしています。こういった中、助太郎様はそこをきちんと弁えて、私と梅に仕切りを一任しておりました。今、義兵衛様が新たに何かなさろうとすればするほど、反発を覚える方が増えるように思えます。
状況が落ち着くまで、今までと違うことを始めるのは控えたほうが良いのでは。
長ければ5年、ここで足止めなのでしょうから、急ぐことでもないのではないかと思います」
この工房については立ち上げからかかわってきた、と義兵衛自身は思っていたのだが、ここで作業している者は助太郎こそが立役者という認識をしている。
それは特に後から動員されてきた寺子屋組の面々に顕著と言う。
その中で突如江戸から舞い戻り助太郎と入れ替わった義兵衛は、まだ仲間と認識されていないのだと米さんは断じた。
こうまで言われては、どうしようもない。
「それもそうか。しかし、何か良い仕組みを考えて報告せねば、館の爺様は納得しないのだろう。困ったものだ」
義兵衛は弱気に愚痴にも似た言葉を口にすると、安兵衛さんが面白い提案をした。
「義兵衛様、一変になにもかもと考えるからややこしいのですよ。いつもなら、どうにか解決していたではありませんか。
以前にとてもできそうにない難問を解決する時に語っていませんでしたっけ。問題を細かく分けていく方法を。
館の御爺様の心配する事柄を整理し、その事象と原因を要素毎に細かく分け、因果を踏まえて抑え込む方策を考えていく、というのはどうでしょう。
おそらく一番懸念されているのは、飢饉の折によそ者が村に流入することで起きる治安の悪化でしょう。工房の者の婚姻による技術の流出、縁故者の流入・増加はその末節でしかありません。
いつものように、スパッと考えをまとめてくださいよ」
視点がいささか狭まっていたことに気付かされた。
右腕とも思っていた助太郎と梅さんが抜けたばかりなので無理もないのだが、義兵衛にはそれを押してまで何とかして欲しいという思いを背負わされているのだから、焦りから方向を見失ってしまったのだろう。
いつもなら助け船を出してくれる竹森氏も、人恋沙汰がからんでからは一向に助言をくれていない。
ふと気になって米さんの様子見ると、頬を上気させ賞賛するかのような表情で安兵衛さんを見つめている。
ここでは誰も凹ますことができなかった義兵衛をやりこめているのを喜んでいるかのようだ。
それを見た義兵衛は、なぜかスッと気持ちが落ち着いた。
「飢饉と認識される前に里へ住もうとする百姓については、元居た村の名主から移住の理由を明確に記した書状をもらい、住みつく村の名主からの身元引受状を貰うようにする、ということではどうだろう。要は、勝手にこの里へ移住されては困る、ということを判らせるのが肝心なのだ。ただ、この里が独自に決めた所で上手く行くような感じではないよなぁ。
そうか。この手続きを経ないで村に住もうとする者は、追い出しても良いという法をお上から公布してもらうよう働き掛けるのが良いかも知れない」
実際に多くの百姓で江戸の人口が膨れ上がるのを抑止しようと、寛政年間に松平定信が帰農令を出しているのだが、効果はともかくこれを先取りすれば良い。
良い案を思いついたと一人で悦に入っていると、春さんが尋ねてきた。
「義兵衛様。周囲の村で飢饉が深刻な事態となり、例えば飢えて死にそうな赤子を抱いた母子がこの村に入って来たなら、それを一体誰が拒めましょうか。飢饉となった時に押し寄せる百姓についても、名主同士の同意が無ければ追い返すのですか。今はともかく、以前であれば飢饉の時に、私が売られる破目になったかも知れないのです。この里とて他人事ではありません。
ああ、成程。それで『飢饉と認識される前』と回りくどい言い方をされたのですね。
それで、飢饉となった時は、別な方法になるのですか。どんな捌き方があるのでしょうか」
『飢えて死にそうな赤子を抱いた母子』という具体的なイメージを意識させられてしまった義兵衛は『うっ』と詰ってしまった。
まずもって、ここは江戸ではないことを忘れていた。
飢饉の折は村境である細山村の神明社境内で毎日施粥でも行い、それで正気を取り戻したらそこから引き返して貰えば良いと思っていたのだが『あそこへ行けば食える』と知られてしまうと、それを目当てに人が集まる可能性も出て来る。
村の外側に、施粥をあてにした者達が群れを成して住んでしまうことだって充分あり得るのだ。
そして、いつまでも対応するとなると、備蓄した米の消費が見込み以上に増え、大飢饉を乗り切る所ではなくなってしまう。
冷たい言い方だが、自助努力が足りなかった者達の尻拭いをするために、皆が時間を惜しんで働いている訳ではない。
自分達は慈善事業をしている訳ではないのだ。
春さんは理解してくれるのだろうか。




