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爺様の思い <C2551>

■安永7年(1778年)10月11日(太陽暦11月29日) 憑依270日目 晴


 定例となった館への報告を終えると、館の爺様から話があると引き留められた。


よねの件については、あれから江戸の殿へ向け文にて事情を説明しておる。早くとも今日の夕刻に殿は目にされるであろうから、それから助太郎に内情を確認されるであろう。この件で先方の御奉行様へ話を持ち掛けるようなことはないと思うが、20日の興業では行き会うこともあろう。その折に、御奉行様から何か言われるかも知れぬ。

 それでなあ、安兵衛様。米の件について、貴公から御奉行様へはどのような内容を報告しておるのか、言いにくいとは思うがワシに教えてはくれまいか。我が殿にだけ負担をかける訳にもいかんのでな」


 どのように構築されているのか義兵衛は全く気付いていなかったのだが、どうやら安兵衛さんから奉行所へ直結した連絡ルートが存在している様だ。

 そして館の爺様もそういったルートが存在することを把握しており、内容はともかく、定期連絡・臨時連絡が行き来していることは承知しているようだ。

 登戸の連絡所設置や米運び時の荷役への密偵混入など、都度安兵衛さんから聞かされてはいるのだが、この分では村の中にもそういった息がかかった所があるのかも知れない。

 何を知られたところで、大事は何もないのだが、何の裏表もない里にも目を光らせていることに少し驚かされた。


「これ、義兵衛。そのような不審な顔をしてはならぬ。工房にはひっきりなしに荷駄が出入りしておろう。昔は誰も見向きさえしなかった里ゆえ、よそ者は直ぐ判った。小作百姓も含め、皆顔見知りじゃからな。だが、今は工房へ荷駄の出入りが激しかろう。以前からの顔見知りもおろうが、新参もかなり居る。荷駄隊のための仮泊所もこさえておるではないか。その中に奉行所の息がかかった者や、他領から様子を見に来ている者もかなり居るはずじゃ。だが『工房になんら隠すものは無い』と助太郎は言っておったので心配はしておらぬが、不審者が何かしでかすかも知れぬ故、皆どこから来た者か程度は調べておる。

 ただなあ、これから里に住みたいという輩の扱いにはちと困っておる。よそ者が増えていくと、この里の強みとなっている武家・百姓の一体感が徐々に薄れてしまうからな」


 館の爺様はゆっくりと諭すように義兵衛に説明しているのだが、その目は安兵衛さんに注がれている。

 多分、先の問いかけの答えについて考える時間を与えているのだろう。

 安兵衛さんの姿勢を横目で感じながら爺様の話を聞いている内に、安兵衛さんの顔が持ち上がり爺様の方を向くのが判った。


「はい、ここ数日、勝次郎様が江戸へ向かってからは何度も報告を奉行所へ送っております。

 主な内容は工房の体制が以前からどのように変化したかで、特に助太郎さんの江戸行きに梅さんが同行するようになった経緯は詳しく知らせております。ただ、米さんについては『里に居る間に内儀としてめとりたく、機会があれば直接事情説明をしたい』ということと『まだ交際などはしておらず、御許しがない限り現状を維持するつもり』ということだけ書き記しております。我が事となると、気恥ずかしく、とても状況を文に書けないことを思い知りました」


「うむ、おおよそ判った。米を内儀として迎える覚悟はできている、ということだな。そうであるなら、里として協力は惜しまぬ。

 時に、義兵衛。工房で働いておる者はどれだけ居る」


「はっ。総数で72名。内、製造にかかわる者52名、管理3名、輸送17名にございます。実際に粉炭から練炭を作っている者は32名で、皆寺子屋に通う娘達です。男手は37名ですが、輸送には大人達も8名加わっております」


「まさに寺子屋総出だな。それで、萬屋から来る華はどうする」


「はっ。年齢からするとまずは寺子屋に入ってもらい、同時に工房での作業も担当させます。また御婆様から武家としての躾けが必要と言われておるため、館の家からの通いになると思っています。通いには私が同行するつもりです」


「町屋の娘であろう。毎朝夕の往復は辛いのではないか」


「いえ、里の者となるのです。慣れてもらわねばなりません。里ではもっと歳の少ない幼子でさえ、館との往復はこなしております」


「華のような場合が前例となろう。もっとも、寺子屋に居るような歳で嫁ということは、まずあり得んのだがな。ともかく先を見据えた扱いを充分留意してもらいたい。それから、寺子屋に入る歳ではない者を他領から嫁に迎えた場合の扱いはどうする」


 これは、兄・孝太郎と白井喜之助さんの嫁をどう扱うかという問題に直結している。

 こちらもこれからの前例となるのだ。


「それぞれの家の事情に依ると考えます。どうしても工房で働きたいという本人の希望と、婿やその家の承諾があれば処遇を考えます。練炭製造の組は寺子屋制に基盤を持つ姉妹関係の絆でできているため、にわかには参入できないので、出来る仕事を与えます」


「まあ現場のことを考えれば、そうなるのも仕方あるまい。それぞれの婚儀が終わったらまた聞かせてくれ」


 当面の扱いが見えてきたことで安堵してもらえた様だ。

 こういった内輪話をゆるゆるする機会があまりないため、義兵衛は先ほど聞いた中にあった疑問を直接ぶつけることとした。


「先ほど『外から来ている者を皆調べている』とおっしゃっておりましたが、どうやって調べているのですか」


「安兵衛殿も居るのでそれは内緒、と言いたい所だが大したことではない。実の所、里から外へ働きに出ている者はもう居らず、皆里の中で働いておる。こういった者達が新規に出入りする者と話して聞き出した内容を報告させているのだ。出身や在所によって微妙に言葉や口調が異なるであろう。外で働いておった者はそれを実感しておる。江戸や甲州・相州など、出稼ぎしていた場所で耳にした調子でおおよその見当を付け、仲良くなろうと話をして探るよう頼んでおる。奉行所がからむ者はさておき、それ以外の所から来た者については動向に留意するよう指示しておる。

 今困っておるのは、外から働きに来た者が妻子を呼び寄せ、里に住み着こうとしている場合なのだ。他領の百姓の逃散を助ける結果となりかねん。特に大飢饉となった折の不都合な前例となることを意識しておる」


 椿井領4カ村は、公にはしていないが飢饉に備え大量に備蓄米を持つことになる。

 安易に移住を認めるろくなことにならないため、慎重に構える必要があるのだ。


「もっともなだと心配と思います。幸いこの里は主要街道である津久井往還道に直接接しておらず、人の出入りを見張りやすい場所にあります。ここでの警備を今から強化しても良いかと」


「いや、そのように目立つことをしては逆効果であろう。武蔵国全体として流民の発生を抑え込むような施策があって、そこに則って我が里ではきちんと施行するという風にはならんかなぁ、と考えておる」


 流石に目の付け所が違う。

 この話を安兵衛さんの同席する場ですることによって、敢えて御奉行様に伝わるようにする、という意思すら透けて見える。


「まあ、方針や具体的な所までは詰めておらぬので、これからのことだ。殿から里を預かる者としての務めじゃ。何か思いついたら話してくれ」


 館での話を終えると、安兵衛さんと一緒に工房へ向かう。


「細江泰兵衛様は、とても凄い人と改めて思い知りました。年貢の取り立てを中心に考えている代官や知行地持ちの旗本が多い中、家臣でありながら全体を視野に入れて考え動くことができるとは、誠に恐れ入りました。

 椿井家は御殿様やその兄弟の働きだけでなく、支える家臣達にも恵まれていることに感心します」


 これも貧乏旗本でありながら、寺子屋の運営費を惜しまず、更に領民全体の底上げを図った結果に違いないと思う。

 武家だけでなく領民が皆貧乏から抜け出すのに、飢えないようにするために必死になっていたのだ。

 子供とて例外ではなく、工房では誰ひとりとして怠けようとするこことなく一心に働いているように見える。

 例え小作農の子供であっても、能力があり努力する人物であれば、結果が出るのであれば、周りが認めて盛り立てようとする雰囲気が出来上がっていた。

 小さな所では、工房内の組長も実力制であり、米さんと梅さんが不平の出ないように上手に仕切ってくれていた。

 また、義兵衛が椿井家の家老を輩出する家の養子にすんなり収まったのも、こういった雰囲気に加えタイミングがよかったとしか思えない。


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