頑張る梅さん <C2547>
義兵衛は唖然としたが、米さんと弥生さんはさもありなんといった顔をしている。
どうやら冗談ではなく大真面目な話のようだ。
「まあ、梅さんの意見は判った。それで助太郎はどうなんだ」
頭をひねりつつ、いろんな意味を込めて『どう』と聞いてみた。
「いやぁ、どうと言われてもなあ。まあそうなればそうで助かる所もあるのかな」
これまたいろんな含みのある返答が帰ってきた。
「一応武家の身分なのだから、御殿様の承認がないと内儀として迎えることはできんぞ。明後日には出立であろう。婚儀・披露なんかはどうするつもりなのか」
義兵衛自身、商家から華さんを迎えるにあたりどれだけのことが起きたのか、頭の中がグラグラするほどの情景が溢れてくる。
それを、明後日までに形だけでも揃えておかねば『助太郎の女房』という恰好にならないのだ。
「そんなに形式張ることはなかろう。宮田助太郎ではなく、大工・彦左衛門の子が村娘と一緒になる、程度の話だろう。無理があるなら一緒になっていた、でも良い。御殿様なら江戸で披露すれば良いだろう。どうせ名前だけの武家勤めで、実の所は無禄だし。
親は薄々知っているみたいだし、もうそんなことだったにしてもよかろうし。なあ、梅」
「おまっ……」
義兵衛は絶句した。
なにやらすっかり外堀だけではなく内堀まで埋まっているようで、義兵衛と安兵衛さん以外はすっかり既成事実を追認しているかのような感じになっている。
いつからそんな事になっているかを聞きたいのだが、話が長くなりそうなのでこの場では敢えて口にしないことにした。
安兵衛さんが黙っているのも、管轄外と理解しているからだと思いたい。
いずれにせよ、助太郎に梅さんが同行するということになると、一刻も早くその方向へ切り替えねばならない。
「助太郎、梅さん。これから館の爺様に段取りを含めて相談に行くぞ。ともかく時間がない。江戸の屋敷に判断を仰ぐべきか、ともかく今のままでは何も進まん」
助太郎と梅さんを工房から引っ張り出し、安兵衛さんと今日3度目となる館詣でに出た。
「ほう、もう夕刻だが、何かあったのか」
座敷の端に4人並んで平伏している所に爺様・泰兵衛さんがのんびりと声を掛けてきた。
義兵衛が震える声で、助太郎と梅が夫婦として江戸へ向かいたい旨を報告すると、爺様は声をあげて笑った。
「助太郎が必要と思うのなら、工房の者を連れていくのは一向に構わん。生産量が落ちぬ限りはな。だが、助太郎の嫁は、江戸屋敷では扱えぬゆえ、挨拶だけ済ませれば後は萬家に預けるのが良かろう。登戸に居る番頭に事情を話しておけば早いのではないかな。
それにしても、この程度のことでオタオタしておるようでは工房を治められぬぞ。
それから助太郎。お前の良い所は義兵衛とは違う。今、萬家は椿井家の経理の要であり、義兵衛以外の者でも絆を深め円滑にすすめられることが求められている。梅がこれに役立つというのであれば、夫婦であるということでなにがしかの用を果たせるのであれば、それを有効的に生かすのが筋であろう。殿とて同じ気持ちであろう。
それぞれの立場で分をわきまえしっかり励め。以上じゃ」
爺が座敷から引き揚げた後に残された義兵衛は、頭を畳にくっつけてぐったりとしていた。
それに反して、梅さんは勝ち誇ったように頭を持ち上げて廻りを睥睨している。
「ああ、もう梅さんの思うようにしなさい。
明日は登戸に居る萬屋・番頭の中田さんに来てもらうよう手配しよう。今なら夕方の登戸便に間に合うだろうから、伝言しておけば良い」
登戸へ練炭を運ぶ荷駄は、足元が危うくならない限りほとんど切れ目なく金程村の工房から細山村の館前を経て送り込まれている。
また戻りの馬の背には、登戸に集められた木炭が乗せられており、往復で役に立っているのだ。
もちろん、登戸からの木炭だけでは足りておらず、黒川村方面や津久井往還道を経由して相州からの木炭の流入も結構な量がある。
そういった観点からすると、椿井領の入り口は細山村だけでなく、相州から入って高石村で津久井往還道を北に折れる口も重要となってきており、白井さんが高石村との縁を深めようとしているのも納得できる所なのだ。
義兵衛は中田さんあての文を書き、館の門前を通る荷駄の馬子に託す。
更に、宮田助太郎が女房・梅という鑑札を出立までに発行してもらう段取りを付ける。
そこまでしてしまうと、もう館には用はなく、連れ立って工房へ戻っていった。
■安永7年(1778年)10月9日(太陽暦11月27日) 憑依268日目
早朝、登戸から萬屋・番頭の中田さんが工房へ駆けつけてきた。
「昨夜、義兵衛様の書きつけが届き、何事かと駆け付けた次第です」
義兵衛は、梅さんが助太郎の女房として一緒に江戸へ行くことになった経緯と、萬屋で暫く修行させてもらいたい旨を説明した。
「まあ事情は判りますが、お婆様がどう言うか。義兵衛様の頼みであれば無碍に断ることはありますまいが、店としての立場をどういった所にするのか、なんとも言えませんなぁ」
「工房の出先が江戸にあるという感覚で頼めませんかね。依頼の小炭団も増産に励んでいる最中。こういった需要の先取りをするためにも、店に常駐している者が居ったほうが都合が良いでしょう。助太郎の女房を上手く使えば、江戸屋敷を経由して工房への連絡も、遠慮なくできるということもありましょう」
義兵衛は小炭団が積み上げられた倉庫を案内しつつ、梅さんが萬屋内に居ることの利点を強調した。
「要件は判りました。それで、小炭団はいつから出して頂けますので」
「正式には明日から出しましょう。幸いここ数日晴天が続いており、そこそこの出来なのですよ」
中田さんは背負えるだけの小炭団を持って工房を辞去した。
一方工房では、助太郎だけでなく梅さんも一緒の江戸へ行くこととなる準備で大騒ぎとなっていた。
もっとも工房の寮での騒ぎは本人達抜きで夜通し噂話をしての大盛り上がりで、おちおち寝てもいられない状況だったようだ。
こういった朝でも館への日参は欠かさず行い、梅さんの鑑札は無事入手できた。
だが、義兵衛が心配している北町奉行所で何があったのかの情報はまだ何も届いていなかった。
館の爺様へは、何か判り次第、一報を伝達してもらえるようにお願いをするばかりだったのだ。
さて、新に江戸に行く梅さんの方だが、大事には違いないが持って行く荷物などは余りなく、どちらかと言えばそれぞれの親と名主への事情説明が大変となっていた。
ただ、これは義兵衛の知ったことではない。
昼過ぎに、江戸屋敷からの文が届いたということで、義兵衛と安兵衛さんは館へ向かった。
「ここでは遠慮はいらぬ。近くへ参れ。江戸からの文で奉行所内の事情が少し判った。また、お前についての指示もある」
正式な場面には使わない狭い脇座敷で爺様は二人に話した内容は、次のようなものであった。
「北町奉行・曲淵甲斐守の嫡男が馬稽古中に落馬し危篤となっておる。そのため、勝次郎殿を急遽呼び寄せた、というのが実情だ。今まで勝次郎殿はお前等と同行していたが、元には戻らぬであろう。ただ、義兵衛とすれば曲淵家と深い縁ができており、これを活かしてもらいたい。まあそうは言っても、御老中様などから目をかけられておる身としては、たいしたことではなかろうがな。
それで、里に禁足している処置だが『先に予言している浅間山大噴火までは継続せよ』とのことだ。それまでに嫁御を迎えて一家を立ち上げる充分な時があろう。御殿様からの褒美と見えぬ訳でもないな。
なお、奉行所から差し向わされている安兵衛様の扱いについては、奉行所へ問い合わせた所『当面義兵衛に同行させたままにして欲しい』とのことであった。なお、当面とは、やはり浅間山の大噴火が目途ということじゃ」
天明3年(1783年)7月7日(8月4日)に起きる浅間山の大噴火まで里から出られない、ということか。
なんとも5年先になり、とっくに飢饉の根源の不作は始まっている時期まで、里から出ることも出来ないことに愕然とした。




