工房での会話 <C2545>
工房の様子を見ると、事務棟には誰もおらず、作業棟では今日は午後半休というお達しにもかかわらず普段のように皆が作業をしている。
「今日は休みのはずだが……」
「なにを仰いますか。小炭団不足なのでございましょう。一刻も早く作ることが村のためにも必要なこと位、先ほどの御館で聞いた話と照らし合わせれば皆判ります。昼飯をゆっくりと何不自由なく頂けたことが何よりの御褒美です」
助太郎の言いように小炭団作りを指導していた米さんが答える。
何がしかの不満があるのではないかという目で皆を見渡すが、誰もが真剣に、そして熱心に作業に向き合っており、米さんの言葉が聞こえた者は頷いて肯定している。
この年末が一つの山で、これを乗り越えることができれば一層明るい未来が待っていること、そのためにはかなりの無茶を強いていることはちゃんと理解していること、等は常日頃皆に言い聞かせている。
しかし、これほど熱心に取り組む姿勢を今まで目にしたことはなかった。
「自分達の努力が、村々の蔵に米を積み上げることに直接つながったことを感じているのではないですか。
今日の式で、それを一層強く認識できたのでは」
安兵衛さんがそうぼそっと呟く。
考えてみれば、工房としての収入として金額を示す数字は伝えたことはあるが、実感できる利益を目の当たりにしたことはなかった。
小作の子供達であれば、工房に併設されている寮で何不自由のない食事や清潔な衣類・寝床といった生活環境が提供され実家より格段に良い生活が保障されている分、利益を実感できる。
だが、武家の子供達はこれがどういった利益をもたらすのかの実感はなかったに違いない。
そこへ、この工房の木炭加工が里の発展の要であり、御殿様もそれを理解して支援していることを館の爺様が言及し、工房の面々を百姓より一段上として評価して見せた。
そのことが良い刺激になっているようだ。
「工房運営の面々は事務棟に集まってもらいたい。それ以外の者は作業を続けるように」
助太郎はこう告げると事務棟へ向かった。
程なく事務棟の応接用の座敷には、米さん、梅さん、春さん、弥生さんがやってきた。
「来年以降のことを見越して弥生さんも運営にかかわってもらうことにしました。佐倉での苦労をここで生かしてもらうのに丁度良いかと思います。また、適宜運営にかかわる者を増やしていこうと考えています」
米さんがそう説明したが、この工房に入ってくるのは椿井領の4村の子供達であり、工房としての規模がそう拡大する訳ではない。
「今回のように小炭団を無茶振りされると難しいことが増えます。私一人の頑張りでどうにかなる内は良いのですが、強火力練炭の量産が控えているのでしょう。先を見通して、運営にかかわれる人を今増やしておくのが良いと考えました。もちろん、梅さんや春さんも諸手を上げて賛成しています。今この3人のうち誰かが抜けると、たちまち工房は詰ってしまいますから、それを補うことができる方策を採るとは自然なことでしょう。
それで、人の適正を見抜く能力がある弥生さんには、まず梅さんの手助けをしてもらうことを考えています。私の手助けができる人材にも目星を付けておりますが、まだ若干経験が足りません。それよりも、春さんの代わりができそうな人がいなくて苦慮しているのですよ」
米さんからの説明は筋が通っていて判りやすい。
どうやら規模拡大だけでなく、状況を鑑みるにつけダブルキャストが必須と考えているようだ。
一通りの報告を聞いた後で、今回集まってもらった主旨を助太郎から切り出してもらった。
「義兵衛が江戸詰めから戻り、代わりに自分が江戸詰めとなることとなった。10日後には江戸での勤めが始まるため工房での引継ぎをそれまでに済ませるように、との沙汰があった。もともと工房は義兵衛主導で作られているため、運営が固まっている今、とりたてて引き継ぐようなこともなかろう。道具類も豊富に準備できておる。むしろ、江戸で萬屋相手にやりとりする方が難しいと思う」
「いつ、江戸詰めから戻ることになるのでしょう」
梅さんが驚愕の表情を浮かべ義兵衛に迫る。
「それが、全く見えない。自分がこの里で嫁を迎え、それから江戸に戻るまでの間だとは思うが、御殿様が自分をいつ江戸に呼び戻すのかが判らんのだ。順番に片付けていくしかない」
義兵衛の後を受け、助太郎が続ける。
「嫁取りの件で今日聞いた話がある。噂にはなっている所もあるが、白井さんの所の話は初耳だろう。
金程村、細山村ともに、今日から名主が孝太郎さんと喜之助さんに代代わりした。それと同時に両家ともそれぞれ嫁取りするそうだ。孝太郎さんの所には大丸村から、喜之助さんの所には高石村からと聞いている。どうやら義兵衛の嫁取りの時期に合わせて披露するらしい」
嫁取りが重なるという話に流石に女性陣は浮足立ち、それぞれ思ったことを口に出し、場が一気に華やぐ。
「里で大掛かりな嫁取りをまとめて行うことになる。いずれいろいろな所から話は聞こえてくるだろうが、あまりこちらから持ち出すこともないだろう」
「工房の娘がどこかへ嫁いだ場合、ここの仕事は辞めることになるのでしょうか」
弥生さんが疑問を口にし、助太郎が答えた。
「うむ、それが知行地外の村の場合は工房を辞めるしかあるまいな。ただ、知行地内の者に嫁ぐ場合は微妙かな。ここでの仕事は続けてもらいたいが、そこはその家でどのような立場になるかによるだろうな。赤子ができたなら、やはりそちらが優先であろう。
あと、外からこの村に嫁に来る場合も考えねばならんな。ここの工房の班は、寺子屋の組に基づいておるからな」
寺子屋では年長の者が年下の面倒を見る習いとなっていて、その繋がりがそのまま工房での班の基礎となっている。
どういった子でもそれぞれに兄様・姉様がおり、困ったことはその縦の伝手で解決させることも多い。
まれに気が合わない組み合わせも出来ることがあるが、そういった場合は人を入れ替えたり、主に面倒を見る年齢の者をずらしたりるなどして落ち着くようにさせている。
家庭でいう親の代わりを務めているのだが、幼い頃からこういった風潮であるため、何事かがあると兄様・姉様の基に集まり、その指示には絶対に従う習慣が身についている。
そのため、その習慣に馴染めない外からの嫁は、よほどの覚悟がないと馴染めないことが多い。
同じ寺子屋で学んだ者達は内部で融通してもらえるが、ある意味よそ者を受け入れない仕組みでもあるのだ。
そのため、村の外から迎える嫁はとても辛い立ち位置になる。
「名主の嫁であれば、そう邪険にされることはなかろう。あと、自分の嫁御・華さんは大丈夫だと思う。館の婆様がみっちり仕込むと手ぐすね引いて待っている。それを乗り越えるだけの覚悟があるだろう。なにせ、萬家の御婆様仕込みだからな」
義兵衛の反応に梅さんが口を挟んだ。
「おや、華さんは工房で働かせるのでは」
「もちろん、昼間は昼間で工房にも入ってもらう。まだ、春さんと同じような歳回りなのだから、一度寺子屋にも入ってもらわんとな。その上で館での躾となろう。なに、嫁取りと言っても形ばかりで、兄たちと違って直ぐに家を構えて一緒に暮らす訳ではない」
「それはあまりにも華さんが可哀そうではないですか。江戸の商家の娘さんが武家とは言えこのような田舎に嫁いでくるのです。苦労するのは目に見えているのではないですか。形ばかり、というのはあんまりな言い様です」
米さんが義兵衛を詰ってくる。
「そうは言っても、この里に来ることは御殿様からも言われていることなので、来てからなんとか上手くやっていくしかなかろう」
「私の目から見ても、かなりの覚悟でこの里に来るようですから、大丈夫でしょう。米さんも暖かく接してあげてください」
義兵衛のしどろもどろの返答に安兵衛さんが助け船を出してくれて、とりあえずこの場は収まった。




