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村の嫁取り話 <C2541>

 館の爺様が退出した後、一行は控えの間に案内された。

 名主を集めて重要な指図をした後は、こういった寛げる場所へ案内し、そこで名主達の間で懇談させることで指図の浸透を図ることが目的と話されているが、白湯の提供など行う者や隣の部屋に控えている者などにより、動静を聞き取ることを目的にしているとしか思えない。

 実際、本音での話は通常館を辞してから白井家に場所を変えて行うのが常なのだ。

 しかし、今回は衝撃が大きかったのか、控えの間に移るなり皆が座る間もなく白井与忽右衛門さんは声を上げた。


「喜之助、明日からお前が細山村の名主となれ。金程の孝太郎と同時期に名主となるのが丁度良かろう。

 下菅と万願寺へは、わしは隠居だが相談役ということで後ろ盾になっておることを知らせれば良い。今回新設した蔵の件で、両村は遅れを取っておるので、少々強気に出ても問題はない。まっこと、御殿様も館の爺様も知恵者じゃ。

 それで、百太郎。異存は無かろう」


「殿の命で強制的に隠居させられた百太郎はともかく、自主的に隠居する与忽右衛門はどういった考えで言っているのだろうか」


 周りに聞こえない小さな声で安兵衛さんが聞いてきた。


「名主として先任者が誰という話に尽きる」


 館を取り込んでいる細山村の意見が常に優先されてきたが、金程村に工房ができて以来、文字通り金を産み出す金程村の事情が領内では優先され続けてきている。

 現に領内の支柱と目される寺子屋が細山村から金程村に移され、領内経営の中心も細山村ではなくなってきている気配なのだ。

 ここで、何年か先に与忽右衛門さんによる領内経営への関与が難しくなり、その上に下菅村・万願寺村で名主の代替わりがあると、最先任である金程村名主の発言力がより一層強くなることは間違いない。

 そこまで考えた上で、細山村の名主を名前だけにせよ孝太郎と同じ日に喜之助に譲ることが良いと判断したのだろう。

 おまけに、ここでの発言は館の爺様や御殿様に筒抜けなのだ。

 館の爺様からの示唆を積極的に実施したということで良い評価も期待できる。


「なるほど。同役であれば、たとえ1日であっても早い方が先任として重んじられるということか。それを気にしたのか」


 安兵衛さんが得心したように小声で呟く。

 ただ、当の喜之助さんは驚いたように声をあげた。


「嫁取りも済ませておりませんので、一家の主として、村の名主として直ぐに認められるようには思いませんが」


「いや、そのようなことは懸念には及ばん。孝太郎も同様に独り身であろう。それも百太郎が懲罰の意味を含んで強制的に隠居させられた後を継いでの名主であろう。それに比べれば、どれほどのことがあろう。嫁取りとて、お前であれば今直ぐにでもできよう。なに、相手のアテはある」


 身も蓋もない与忽右衛門さんの言いように、百太郎は噴き出した。


「叱られて隠居させられる立場ゆえ、真面目な顔を取り繕っておったが、もう限界だ。どうせこの仕事を終えたら隠居するつもりで動いておった。喜之助が嫁取りするのなら、孝太郎も一緒に嫁取りをしようではないか。

 相手は御領地の中からでも良いし、周囲の村落まで広げれば、それなりの娘も多かろう。繁栄振りが色々と広がって噂されている今が良い機会。声を掛ければ応じる名主や商家もあろう。

 おお、義兵衛も来月に祝言であろう。ならば、いっそそれに合わせてしまう、というのも面白かろう」


 まるで面白いことを見つけたような表情で、その実恐ろしいことを言っているのだが、元の発想がまるで子供だ。


「そのような無理をここで言いますか。

 もう父上は金程村の名主ではなく、私ですよ。私の嫁取りの是非も含め、自分で考えねばならないことです」


 兄・孝太郎は意見し始めたが、与忽右衛門さんが考え深そうにそれを手で押さえた。


「ここで仲間内の言い争いをしても何の益もなかろう。館での沙汰は皆理解しており、方向は決まっておろう。

 そうであれば、ワシの家でくつろいで細かい所を詰めてもよかろう。帰りに、細山村の名主も代替わりしたことを館の爺に伝えておく」


 この中では一番発言力が強い白井与忽右衛門さんがそう宣言し、館の控え室での話は終わった。

 そのままぞろぞろと館の門を出て白井家へ向かうのだが、実の所、白井家は館の隣の敷地に建っている。

 ただそれぞれの家は敷地に付随する庭が広く、門の間は2町(約200m)ほど離れているので、実際には裏庭を通るほうが近い。

 こうして正式に呼びつけられた時は、館の門脇の扉を使って出入りすることになっている。

 白井家では、囲炉裏のある居間に通された。


「さて、昼までそう時間がある訳ではない。決めることだけさっさと片付けてしまおう。

 実の所、百太郎の言うように、孝太郎・喜之助・義兵衛の嫁取りを同時に行うのは、なかなか良いと思う。11月になれば義兵衛の嫁が里に来てからしばらく館で客となり、御殿様が里に戻る時に祝言の段取りであろう。ならば、伊藤・白井でも同様に11月にそれなりの娘を客分としてあずかり、義兵衛の祝言に合わせて披露すればいろいろなことが一度で済む」


「いや、ですからその相手が今からという訳にはいかない……」


 喜之助さんの言葉を遮って、父・百太郎は割り込んだ。


「喜之助さん、嫁取りしたい意中の相手でも居るのですか。細山村の名主の御曹司であれば、この周囲の村では首を縦に振らぬ家はありませんよ。

 与忽右衛門さん、実の所、もう心当たりはあるのでは。どうですか」


「うむ、釣り合う家があり、もうあらかた調べておる。明日にでも先方に挨拶に行けば終いじゃ」


 喜之助さんは黙り込んだ。


「それは丁度良い。孝太郎、お前が言っておった通り、大丸村の石井さんのところの娘を迎えても良いな」


 兄・孝太郎が大丸村に入り浸っている理由が、これかと思い当たった。

 大丸村の名主は芦川家の貫次郎さんで、その母の実家が石井家本家である。

 石井家も芦川家と同じく大きな耕作地を所有しており、多くの小作人を抱えている。

 貫次郎さんの母が石井家本家の出、嫁・幸さんもこの石井家の分家から迎えており、極めて近い縁戚関係となっている。

 その石井本家に丁度年齢が釣り合う娘さんが居り、薩摩芋を広げる作業で知り合ったそうだ。

 父・百太郎は、義兵衛の婚礼が先になることを憂いており、すでに石井家の調べを行い、先方への話まで済ませていた。

 あとは、細かな日取りだけの状態になっている時に、白井家の嫁取り活動宣言で、同時もしくは合同結婚式を突然閃いたようだ。

 しかしこの江戸時代にあって農村の嫁取りというのは、後世の婚礼とは違い画一的な方法が決まっている訳ではない。

 まず名主級の家と小作農では、嫁いでくる者に求められる資質や立場が随分と違う。

 小作農では即使える労働力という観点が重視されるが、名主クラスになると家の付き合いが重要となってくる。

 名主家であれば跡取りの正式な嫁として迎える前に、先方の家と釣り合うかが重要視され、縁戚として長く付き合える家なのかを前もって調べ上げ、その上で客分として暫く娘をあずかり、家に馴染むかを確認する。

 もちろん、娘を出す側も同様の調べを進める。

 それで双方問題なければ初めて互いの家が関係する人達(主に兄弟や本家・分家など親戚筋)を集めて披露し、やっと嫁と認められる恰好となる。

 父・百太郎の口ぶりからすると、石井家の娘を招く日取りを決める段階まで来ていることがうかがえた。


「11月に萬屋さんのところから御館へ華さんが来ることになっておろう。元々それに合わせて迎えるつもりで動いておる」


 どうやら、次期名主として貰い遅れの悪評を避けるため、先に兄・孝太郎の方の婚儀を済ませる方針だったようだ。


「孝太郎の所はもうそこまで進んでいるのか。これは完全に遅れをとったか。まあ、悪い感触ではなかったから、すぐにでもまとまるはずだ」


 どうやら、相手とは高石村の名主家の娘のようだ。

 細山村として主要街道である津久井道を押さえるため、何度か行き来があったことから自然と持ち上がっていたものらしい。

 村の要衝を抑えるという観点からするとなかなか良い着眼点と思えた。


「あそこの神社は、飢饉のお告げ騒ぎがあって以降、この里にとって無視できん存在であるからな」


 半年前から交流が深まっていたということは、甲三郎様が巫女を確保した頃からか。

 すると、単に地政学上の要衝というだけではなく、別な面からこの米騒動を見ていた可能性もあることに気づいた。

 安兵衛さんも気づいたのか、小声で『あの巫女の縁者なのか』と耳打ちしてくる。

 義兵衛は同じく小声で『全く知らぬので、後で探ってみよう』と応えた。


「おお、もうじき昼になろう。

 ここの蔵にどの程度米俵が届いているのか、皆で確認しようではないか」


 短い間のようだが、結構長く話し込んでいたようだ。


次話の執筆に苦慮しており、2023年5月15日の投稿はスキップしますので、よろしくお願いします。

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