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籾米の到着 <C2538>

 勝手な行動をしたことで御殿様から受ける叱責・処分の内容によっては、萬屋との縁に影響するものがある可能性を安兵衛さんから指摘された義兵衛は愕然とした。

 確かに婚姻の約束は椿井家と萬屋の間で交わされたものだ。

 だが、例えば義兵衛が武士ではなくただの百姓の次男坊に戻ったところで、あのお婆様の勢いが止まるとは思えない。

 むしろ、万難を排して里から連れ出し江戸の萬屋に迎え入れてしまうであろうことは間違いなさそうだ。

 おそらく、御殿様もそれ位は容易に想像できるだろう。


「いや、局面が変われば萬屋さんは『これ幸い』とばかりに取り込みにかかります。御殿様もそこは承知しているでしょうから、あまり変な御咎めにはしないと考えます。

 なにせ、『野に放つと大変なことになる』というのは、御老中・田沼様の言でございましょう。椿井家から放り出したと判った瞬間、あの巫女・富美さんと同様に田沼家に拘束され、仕えさせられますよ。もし、離縁のための費用が障害になるなら、田沼様なら2000両位は平気で出してしまうような気がします」


 自分で言うのも何だが、落ち着いて考えるほどどうということも無さそうだ。

 せいぜい、館の爺様から厳しく小言を言われ続ける姿しか思い浮かばない。

 それも、米が蔵に全て収まれば今回のお役目は終わりとなり、江戸屋敷に戻って万事終了となるのだ。


「そう考えると、周囲への影響が大きい結果を産むようなお叱りはないと思いますよ」


 義兵衛の説明に、安兵衛さんは安堵の笑みを浮かべた。

 3人は誰も来ない門を背に小声で話しをしているのだが、門番の役目を忘れた訳ではない。

 まだ昼前というには早すぎる時刻に金程村から助太郎が戻ってき、更に登戸宿からも荷駄の先触れが到着した。

 館の爺を率いる第一陣は、爺が騎乗する馬以外に3疋の馬と4人の馬子、それに人足12人を揃え、計25俵の米を運んでくることになっている。

 普段は開けることのない館の正門を大きく広げ、第一陣を通す予定だ。

 この時は、館やその周囲に住む武家から、今回の運搬に駆り出されていない者達は皆こぞってこれを迎えるよう申し付かっている。

 先触れの到着と同時に各家に声が掛けられ、老人や幼子、どうしても残ることになった女中達が少しづつ門前に集まって来る。

 工房で働く者達は、明日午後に行われる宴会で功労者の一部として扱われる予定であり『ここでの出迎えは不要とし生産に励むべし』と下知されている。

 結局は、どうしてもという事情が無い限り、体が動く者達は根こそぎ米運びに駆り出されているため、いささか勢いの乏しい歓迎の衆となってしまうのは止むを得ない。

 そして、第一陣はこの館で受け入れるのだが、それ以降に五月雨式に運ばれてくる米については、館で迎え入れず細山村名主・白井家の庭に新設された蔵に積む段取りなのだ。

 白井家の蔵に入った米は、更に金程村の伊藤家の蔵と館の蔵に逐次運ぶ段取りもできている。

 当然のように1500俵目、最後の1俵は明日午後に白井家前から館の蔵へ仰々しく運び込み、その折には運搬に従事した知行地の面々も同席し喝采する仕儀まで決めていることなど、この館で行われる行事予定の詳細を助太郎から聞かされた。


「ここまで細かく台本が決まっているとは、全くもって驚きだ」


 義兵衛の感嘆する声に助太郎が応じた。


「だからこそ、台本にない行動をする義兵衛さんは、館の爺様にとって扱いに困る存在なのだろう。だからとは言え、この米の入手にあたっては一番の功労者であることを皆が知っているだけに粗略な扱いにすることは難しい。工房も私が見てはいるが、実質的な主は義兵衛さんだものなぁ。そこは誰も異を唱えるようなことはしない。

 そしてこの米を村に運び込むにあたっては、本来であれば第一陣の先頭で爺様の馬引きとして喝采を浴びる役目だったはずで、それで締めようとしていたのだから、その目論見からすでに外れてしまっている。

 爺様の立場もあろうから、とりあえず今は員数外として、ここで目立たぬように居るのがいいのではないかな」


 ただ、老人と幼児・女中の集まりの中で、義兵衛達3人+助太郎・伝令・先触れという若い者達は充分目立つ。

 勢い第一陣を迎える集まりを指導する立場となり、更に実情を知る者達はこの場に及んで何かと義兵衛へ意見を求めてくる。

 意見と言っても、どうでも良いことに単に賛同の意を示して欲しいだけで、義兵衛が頷くとそれで満足したかのようにさがっていき、次の者が話しかけるということを繰り返しているだけなのだ。

 結局、義兵衛が門の真ん中に立って左右に皆が並ぶという形になっている所へ、米を積んだ第一陣が到着した。

 荷運び人足の中には、実父・百太郎も居り、一俵の米を担いでいる。


「出迎えご苦労。御殿様や皆の苦労の甲斐があってこうして里へ米を届けることが出来た。全部で1500俵あり、これはその最初の25俵である。明日の昼には全部届き終わろう。最後の一俵まできちんと蔵に納めるまで、皆気を抜くのではないぞ」


 馬上の爺様が声を振り絞って皆に宣べると『応』という声がほうぼうから上がった。

 そして、一行は正門を潜り館の敷地へ入り、新しくできた蔵に米俵を置き始めた。

 収納を終えると、爺様は馬を降り百太郎と義兵衛を呼んだ。


「思ったより寂しい出迎えではあったが、皆出払っておるので致し方あるまい。

 さて、今はその方らを叱っている暇はない。この後からどんどん米俵が運ばれてくる。第二陣以降は白井の蔵に置き、そこから館と伊藤の蔵に仕分けする運びじゃ。白井から伊藤の蔵へ運ぶ指揮は、ほれ、百太郎であろう。勝手な真似をすると、伊藤の蔵に入る米は無くなるぞ。

 それから、義兵衛。お前の沙汰は江戸の殿様からの指示待ちじゃ。御殿様の沙汰が下るまで、細山と金程の名主蔵と工房、それにこの館以外に出入りしてはならぬ。それらに直結する道以外を通ってはならぬ。することが無ければ、俵を移す手伝いでもしておれ。

 御同行のお二方も義兵衛に倣って余計なことはせぬように願いますぞ」


 それだけ言ってのけると、爺様は足早に館の中に入っていった。

 ここ数日留守にしていたので、片づけねばならぬことがてんこ盛りになっているに違いない。

 お叱りは今夜にでもあるかも知れないが、処分なんかはどうやら全部棚上げになって放免されたようだ。


「さて、義兵衛。白井さんの蔵の米を移すのを手伝え。妙覚寺の孝太郎が手勢を連れて戻るまで、金程村には表向きの人足が居らぬのだ。安兵衛さんたちも手伝って頂ければとても助かるのだが」


「いえ、安兵衛さんと勝次郎様の両名は、谷越えで一俵運ぶのは無理です。平坦な是政の桟橋まで運ぶのもやっとでしたから。

 それより『表向きの人足が居らぬ』というのは、一体どういうことでしょうか」


 館からすぐ横にある白井家の庭に移動しながら尋ねた。


「ああ、大丸村から山越えで金程に来る道があろう。登戸廻りでは遅いと見て、芦川の爺様と話をして、あそこの若い者を5人借りている。昼には最初の5俵が来る予定で、その後は夜までこちらの荷運びをしてもらう段取りだ。もちろん、対価として玄米2俵を渡すことになっている。

 いや、気にすることはない。白井の所も法泉寺から直接自分の蔵へ俵を送り込む算段をしていた。2日で500俵の俵を積み上げるなどということは、表向きはともかく、実際にやるとなるとそれなりの工夫をするものだ。

 気付いたとは思うが、下菅村はなかなか面白いことをしておっただろう。あの村で籾米が通り過ぎるだけ、と思ったら大間違いで、実際には馬場と塚戸の集落でそれなりの籾米俵を積み込んでおる。それを知った白井は、馬場の俵を取り込んでおった。下菅村は甘いわ」


 玄米と籾米の交換では不思議な感覚があるので、カラクリを聞いた。


「今年の年貢は、ほとんど出さずに済んでおろう。それで、かなりの量の玄米の俵がそれぞれの村に残っている。それゆえ、籾米の俵といい割合で交換しておるのさ。堂の利用料として寺に渡した籾米は玄米に入れ替わり、村は備蓄用の籾米を手にして館との間での数合わせに備えるのさ。当然、来年の収穫後に何が起きるか、それぞれの村で想定しておる」


 これを聞いた勝次郎様が唸っている。

 新しい蔵の建つ庭に第二陣として籾米の俵を担いだ人足が入ってきた。


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