金程村工房へ急行 <C2535>
義兵衛はここ登戸の加登屋さんの所で明日朝までゆっくり様子見しようと思っていたのだが、番頭・中田さんの火がついているような言葉を聞くと焦ってしまった。
「実の所『買い付けた米を最初に館へ納める時の見届け役を私に』と館の爺は指図されておったのですが、ここは一刻を争う事態のようです。一番荷は明日夕刻に館に着く段取りなので、一足早く今日中に金程村の工房へ行きましょう。同行を予定していた明日早朝に来る練炭を運んだ馬の戻り便を、買い付けた米を載せる一便とする予定と聞いておりましたから、それに合わせて細山村の手前で待ち合わせて合流すれば良いかと考えます」
昨夕に爺から言い渡されていた役を放り出すこととした。
明日朝一の戻り馬の荷は法泉寺からの荷を待って出立すると聞いていたのだが、実際には糀屋の蔵に買い入れた米が届いているのだ。
練炭を運んで来る最終の馬便はまだ登戸についておらず、工夫さえすれば、買い付けた米を今日中に館まで運べたのだろう。
それをあえて明日運び込むとしたのは、西蔵院からの運び出しを最優先にして行程にゆとりを持たせたからだろうと推測できる。
肝心の館の爺は今夜下菅村まで移動して、明日法泉寺からの荷運びに同行する予定で、先頭を切って細山村へ向かうつもりだったのだ。
「どうせ、父・百太郎は勝手なことをして散々叱られていますから、爺と一緒に知行地入りする時の供とはなされないでしょう。もうここからして予定とは違っていますので、ここで多少心算が違っても『あの百太郎の息子ではしかたない』位で済みます。不祥事の矛先が父だけでなく私にも向けられることで、憤りも多少軽くなるでしょう」
安兵衛さんは表情を歪めただけだったが、勝次郎様は意見してきた。
「今までとは違うやり方で知行地に米を納めるというのは、とても大事なことで、このために義兵衛様は努力を重ねてきたのでしょう。その誉の場なのですよ。泰兵衛様もそれを意識して見届け役・一番荷の先導役をお命じになられたのでしょう。ここで1日早く村に行ったところで何程のこともできません」
「勝次郎様、私とてそうは思いますが、ここで意見してはなりません。義兵衛様が決めたのであれば、それが無茶でも黙ってなされようを殿様に報告するのが私供のお役目であって、不用意に知識を広めてしまうことを諫めるのはともかく、義兵衛様の行動を己が意見で変えさせるようなことがあってはなりません」
安兵衛さんがそう諫めたのだが、義兵衛はあえて応えた。
「米の買い付けについての責任はありますが、この一連の誉れは殿や爺にあるべきです。そして、その方々だけでなく、練炭作りに直接携わった工房の面々、練炭作りを支えた大人達の皆がこの名誉を受けるに値します。ただ、これは飢饉対策の一つの始まりでしかなく、この後も続けていかねばならない事業です。
満願成就のために一番重要なのは、江戸の萬屋を守ることで、今や椿井家の大きな金蔓となったあの店を困らせ信用が失墜するようなことをしてはならないのです。館の爺にとって、買い付けた米を無事に届けることが重要な役目ですが、私にとってはその流れの要所である萬屋の商売をなんとかすることが重要な役目です。そして、これは他の誰にも出来ないことなのです。
確かに1日ですが、明日の里入りに同行すれば一連の式に巻き込まれそれに忙殺されるおそれがあります。工房で話し合うのは今日の夜しかないのです」
「ありがとうございます。是非、この窮状を御救いください」
番頭の中田さんが涙ぐんでいる。
「では、今日のうちに工房で段取りの相談を済ませてしまいましょう。中田さん、この件での事情説明はお願いしますよ」
加登屋さんや、今夜あるいは明日には来るであろう運搬全般を指揮する館の爺様への説明を丸投げして、義兵衛は津久井道を通り細山村へ向かった。
なんのことはなく、義兵衛は栄誉を受けるような真似は苦手で、これを回避する絶好の口実に仕立て上げたに過ぎない。
「これで良かったのでしょうか」
桝形山の麓を流れる五反田川に沿う津久井道を歩く義兵衛に安兵衛さんは話しかけた。
「米の運び込みは、もう成ったも同然でしょう。今しなければならないことに優先順位を付けるとすれば、小炭団の大量生産です。
春先の読みでは、今頃は安価な類似品が溢れ、金程印の小炭団は市場を失っているハズでした。しかし、質を一定に保った代替品が一向に登場しなかったのが誤算でした。製法が判ればどうということもない品物なのですが、どうやらどこも手を付けなかったようですね。そこが不思議です。一定量の粉炭を同じ形に固めるだけなのですから、人手はかかりますが難しい技術は不要です。
ともかく、練炭の生産を抑え、その分を小炭団の増産に振り向けることになりますが、その分の道具類が揃っているかの確認からになりますね」
義兵衛は気持ちを切り替えさせるように、これからかかる仕事のことを口にした。
「まあ、そうお決めになったのであれば、口を出すことではないのでしょう。我々としては見守ることしかできません」
重い荷がある訳ではないので、まだ日が落ちる随分前に金程村の工房へ到着した。
「助太郎、急用がある。相談に乗ってくれ」
工房に辿り着くなり、義兵衛は大声で叫びながら事務所の扉を開けた。
いつの間にか、工房は1棟の中を用途に合わせて区切るスタイルから、用途毎に分けられた建屋の集合体に発展してきている。
事務所は製造している現場ではないので、大声を出した所で生産が止まる訳ではない。
奥から米さんと春さんが驚いた表情で表へ出てきた。
「これは義兵衛様、と安兵衛様ではございませんか。明日の昼頃に米と一緒に館へ入ると聞いておりましたが、今到着でございますか。何か御座いましたか」
「いや、米の到着は明日になる。困った問題を抱えているので、先に来てしまった。助太郎は居るのか」
「助太郎様は今回の米運搬で駆り出されており、今日は館に居られます。運搬で人手が足りないことから工房でも輸送担当は色々な場所に廻しており、工房では練炭作りの人だけを残して出払っています。このため、日産量を確保するのがやっとという状況です。また、原料となる粉炭が明後日には不足する可能性があり、この方策について考えておりました」
どうやら生産量の調整をしていたらしい米さんは、工房の現状を手早く説明してくれた。
「それならば、練炭の生産を半分程に減らすことで対処できるかな。余った人で小炭団を作る方向で相談したいのだが」
「いえ、練炭と小炭団では原料にする粉炭の質が違いますので、そう簡単にはいきません。しかし、小炭団に使える粉炭は確かまだ十分あったような感じですから、まずは在庫が帳面通りかを調べてみましょう。
しかし、その相談内容については、助太郎様の了解も得ていないのでしょう。こちらでその手配ができるか、粉炭の量も踏まえこちらで検討はしてみますので、まずは館へ行って話してきて頂けませんか」
米さんは義兵衛にそう言い切ると、安兵衛さんの方を向いて挨拶をしている。
ただここで時間を潰すことはできないので、義兵衛は碌な受け答えもせず細山村の館へ駆け出した。
もちろん、それを見た安兵衛さんと勝次郎様は米さんとの挨拶もそこそこにして義兵衛を追いかけてきた。
米さんのためにも『ここで待っていろ』と言いたい所だが、義兵衛が幾ら言ったとしても従う気配すら見せないだろう。
「この里では随分とずけずけ言う人がいるのですね。助太郎さんが仕切っているとは言え、工房を作ったのは義兵衛様でしょう。もう少し言い方があるとは思うのですが」
勝次郎様はあきれながらもついて来る。
「いや、あやふやな言葉では誤解が生じる。むしろ直截的な言葉ではっきり伝えることの方が重要だと思っており、工房の面々は仲間内の身分や立場を気にしないようにさせている。暫く工房を観察していると、そういった環境の方が生産にかかわる改善点を沢山生み出していることに気づくだろう」
義兵衛は足をゆるめ、勝次郎様に工房で実際に行われた梅さんの提案・採用のことを手早く説明した。
このことをすでに聞かされていた安兵衛さんは、なぜかニコニコしながら頷いている。




