登戸の糀屋さんの蔵 <C2534>
下菅村・宮下集落を出ると山間の馬場へ向かう道と登戸へ向かう道に出る。
米俵を担いだ人足は掛け声も明るく、義兵衛達を追い越し登戸へ駆けていく。
「法泉寺までの人足とは随分威勢が違いますね」
勝次郎様が声を発すると安兵衛さんが応えた。
「おそらく、出来高制にした影響でしょう。半里運んで20文というやり方であるから、どんどん運ぶのでしょう」
下菅村の名主が選んだ方策は確かに上手いやり方なのかも知れない。
法泉寺以降の運搬は明日からが主力となる計画だったようで、今日の人足は下菅村独自の動きなのだ。
明日以降は、是政・大丸間で働いていた人足がこちらに回ってくる予定なので、充分間に合う勘定なのだろう。
「不足する保管場所を登戸に求めるというのは、誰が考え出したのかは判りませんが、秀逸な方策でしたね。まだ法泉寺から少しでも館に近い馬場集落に運ぶのならばともかく、府中街道沿いの塚戸集落へ運んでも明日以降同じ道を戻って登戸へ送ることになるので無駄足になります。ならば、いっそのこと登戸へ、というのも頷ける対処です。ただ、米を見送る下菅村の百姓達は複雑な思いでしょうね」
表情には出さなかったが、村として蔵が用意できなかったことに臍を噛む思いをしたに違いない。
なににせよ、目の前を知行地のものである米俵が自村に留まることもなく、1800俵もただただ中継されて出て行くのを見送るしかない。
今日の動きを見る限り、登戸の百姓達に銭を払って登戸に米を収奪されている図式なのだ。
この悔しさは、来年には500俵入りの蔵をそれぞれの集落で持つための強力な動機となるだろう。
もっとも、今回のように買い付けするか、までは決まっていることではないのだが。
考える内に、登戸宿の中心にある十字路にさしかかった。
この十字路の一角に加登屋さんがあり、右に折れて山側に少し行くと糀屋さん、その手前に萬屋さんの登戸支店がある。
思えば、加登屋さんから左手に折れた渡しに続く道端で父・百太郎と練炭のたたき売りをしたのが春前、つい7ヶ月ほど前のことなのだ。
台の上に立ち声を張り上げて客を呼び集めている父の姿を思い浮かべながら、今頃は館の爺に叱られているであろうことを考えると、父は少しも変っていないなあ、と笑いがこみあげてくる。
そう思いながら進む道中では米俵を担いだ人足に追い越されていくのだが、これを村々に充分蓄えることができれば、餓死者200万人とも言われる天明の大飢饉の中で自分にかかわった人達が悲惨な目に遭うことだけは防止できるに違いない。
ここで感傷にふけっている場合ではない。
義兵衛は気を取り直して米の運び先である糀屋へ向かった。
「義兵衛様でございますか。蔵を御貸し致しました糀屋長助でございます。
こちらの蔵の1階を使って250俵を置くと聞いておりました。見ての通り、その準備を済ませており、今はまだ10俵にもなっておりませんがきちんと管理しております。実のところ、ここに運び入れるのは明日からと聞かされておりましたが、下菅村の名主さんから『銭を払うから今日から運び入れさせてくれ』と泣きつかれまして、それで人足も今日の分だけはこちらから出しておる次第なのですよ。なんでも不足する俵置き場を補うのに必死になっているとか。
米置き場に困って銭を使うなんて、前代未聞のことです」
糀屋の蔵の1階は年間1両で借りているため、下菅村の負担にはなっていない。
そうすると、払う銭は人足分ということなのだろう。
よく見ていると、米俵を運び入れた人足が差し出す木片に長助さんは印を付けている。
「これは法泉寺から渡されている荷受札ですよ。今日終わった所でこの札を回収しがてら、印の数に合わせて法泉寺から賃金を貰うことになっています。一度に2俵担いで運べる猛者もおりますので、良い儲けになるのでしょう。
事情を聞いて『出来高制』を提案した甲斐がありました。こちらとしては、口出ししただけなのですが、大層ありがたがられましてね」
「明日からはどうなると聞かされていますか」
果てしなく長助さんの自慢話を聞かされそうになった義兵衛は、それを遮った。
「法泉寺から順次運び込むが、200俵を超えたら別の場所へ送り出すための人足を寄越す、としか聞いておりません。
こちらとしては『蔵にいつ誰が何俵入れたか、いつ誰が何俵出したか、今蔵に何俵あるか』だけをしっかり見ていれば良く、その内に200俵を超えたら椿井家の方へお知らせするだけのことですよ」
里に新設した3棟の蔵で1500俵を備蓄するとなると350俵入りきらないということで、ここへ200俵備蓄することにした様だ。
もっとも、色々な支払いをこの籾米で代用した関係で、150俵は途中で使いきる覚悟なのだろう。
ここまでの区間は知行地の責任ある面々が目を光らせていたのだが、ここの拠点は商家となっており、荷抜き・すり替えなどの不祥事が起きることはないのだろうか、疑問に思って聞いてみた。
「いえ、米俵をちゃんと見てくださいな。俵の口は紙撚で封をしておりましょう。そりゃ中身を刺で抜くこともできましょうが、多量に抜けば重さが変わりますし、刺を使っての入れ替えは時間がかかりましょう。
御武家様ほどではございませんが、商家こそ信頼を売り物にしております。金を取って蔵を貸す以上、入れたものと同じものを出すのが当然でございましょう。そこはちゃんと管理しております。もっとも、明日は御領地の方が責任者として参りましょうから、本日だけのこととなりましょうけれどもですがね。
今日の所は法泉寺から出された時からこちらも責任の一端を担っていると認識しており、運び出された時から蔵に納めるまで、札を使って紛失や中身のすり替えなどの用心をしております。その要が荷受け札ですよ。出した方で何俵目を記入しており、受ける方でもその数字を見ております。送った順に届かなければ、何かおかしなことが起きていると判断しますし、人足の中にもそういったことを見張る手の者を混ぜております。どうぞご安心くだされ」
聞き込みが行われることを見越してか、もしくは既に済ませていたのか、糀屋での管理に抜かりがあるように思えない。
今回作るのが間に合わなかった下菅村と万福寺村の蔵が出来るまで、登戸で借りた蔵に留め置く方針と聞いてはいたが、きちんとした管理を当てにしているのだろう。
糀屋での聞き取りを済ませた義兵衛は、萬屋の登戸支店へ足を向けた。
「義兵衛様、御無沙汰しております。店前を素通りされたので慌てましたぞ。
今日は念願の米の運び入れ開始日でございますな。本来は『萬屋の蔵を』と申されておりましたが、炭屋はこれから本番という時期でもあり、椿井家に貸している所も今は練炭と七輪なんかで一杯となっておりまして、糀屋さんの蔵を借りたのは慧眼でした。
それはそうと、焜炉に使う小炭団、なんとかなりませんか。江戸の本店からは矢のような催促なのですが、工房から荷を運んで来る者達に伝えても『練炭が先だ』と言うばかりで埒が明かんのです」
練炭は名内村や佐倉藩のものが積み上がる一方、類似品が出回って出番がないと思っていた小炭団については実態として金程印のものを欲しがる料亭が多く、消費が盛り上がる季節を迎えた江戸では不足感が半端ではないのだ。
ところが、この感覚が工房には一向に理解されない状態となっている。
「今月の半ばに本店はもとよりここでも在庫が底をつきます。運ぶ時間を考えると、もう後がありません。この窮状をなんとかして頂きたくお願い致します」
「判りました。私が工房へ出向いて説明します。練炭作りの一部を止めて小炭団を作るようにしても、需要を満たす量になるかどうかは不明ですよ。それに、工房への説得は難しいので、もう不要と言われるまでに作った分は、作りかけの分も含めて全部買い上げて頂くことを約束頂けないと困ります。その条件で良いでしょうか。あと、工房の中に手を入れますので費用がかかります」
「条件はそれで良いです。作っただけ全部買い受けましょう。当面、料金は1個につき1文上乗せさることで費用の足しにしてください」
よほど困っていたようだ。




