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大丸村から妙覚寺へ <C2532>

 岸に残された義兵衛は与忽右衛門さんの顔を見た。


「どうせ義兵衛等はこの輸送の員数外であろう。適当に見て回るが良い。ああ、その前に、今着いた舟の米俵を舟から桟敷に移すのを手伝え」


 勝次郎様は舟を岸に押し留めるために手が離せないので、安兵衛さんと義兵衛が舟と桟敷の間に立つ。

 舟の中に入った4人の人足が米俵を背中越しに岸に送ってくるのを受け取り、その勢いを使って桟敷に積むのが役目なのだ。

 受け手側が送り手の息と合わせて受け取り、桟敷のどこに置くかを素早く見て決めていかねばならない。

 しかも、桟敷に積まれた米俵はその先へ運び出す作業とつながっているため、乗せるつもりだった山が崩れていることもあるのだ。


「そこの若造、大切な米俵じゃ。間違っても川におとすんじゃねえ」


 揺れる舟の上からほいほいと運びだす人足に安兵衛さんが叱られている。

 その人足1人に対して義兵衛と安兵衛さんのふたり掛かりで対応しているのだが、俄か作業員が相手ではやはり調子が違うらしい。

 川船の底が見える頃には次の川船が岸に寄ってくるのが目の端に映った。


「さあ、この舟は終いじゃ。次の川船からは手伝わんでもよい」


 勝次郎様が岸へ渡ってくると、与忽右衛門さんは空船を対岸の是政に向けて送り出した。


「地道な繰り返し作業だが、舟1つで50俵、13.5石分の籾米であろう。今までで4便200俵、54石分の米を運び終えた。この分であれば予定通り昼過ぎには全数多摩川を超えることができる。

 欠けた4人の代わりにこの桟敷から円照寺まで運べ、と言いたい所だが、そのへっぴり腰では使えそうにない。どうせ、館の爺のことだ。お前等には『存分に見てまわれ』位のことを言っておるのであろう。あとは勝手にしてよいぞ。

 それと、百太郎の暴走じゃが、今のところ大した影響はないのだが、どうせ館の爺様から大目玉をくらっているに違いない。打たれ強い人だから、あまり気にせんでもよかろう」


 細山村を統べる名主だけあって、読みが鋭い。

 感嘆しながらも義兵衛達は桟敷から送り込む先の円照寺へ向かうこととした。


「川船を竿で操るのは初めてでしたが、中々面白いものですね。1往復半でしたが、2回目の運搬では結構様になっていると船頭から褒められました。本格的にした訳ではないですが、槍の稽古と通じるものがあるように感じました。しばらくはここで修行するというのも楽しいでしょうね」


 勝次郎様は竿を突く・抜くという動作について、槍捌きとの差を安兵衛さんにしきりに話している。

 よほど面白かったに違いない。

 ただ、船頭はこの繰り返しを飽きるほどして商売をしているのだ。

 そこはプロとして数限りない危ない経験や、渡し仕事にアブれる日々など壮絶な思いに裏打ちされているに違いなく、勝次郎様はその一番おいしいところをちょっと体験したに過ぎない。

 それは百姓も同じで、家庭菜園のようなお遊びでできるようなことではないのだ。

 そう考えると、決まった禄で暮らす武家は気楽なものかも知れない、とついそう考えてしまう。

 米を運ぶ人足の邪魔にならないように進む3人は、円照寺に到着した。


「おや、義兵衛殿ではないですか」


 寺の門前で与忽右衛門さんの嫡男・喜之助さんが足元に算盤を置き、帳面を片手に俵と人の出入りを見張っていた。

 円照寺に運び込まれる米俵と次の中継地・矢野口村の妙覚寺へ運び出す米俵を測る役目があるようだ。


「舟は50俵単位で運び込んでおろう。この円照寺では、講堂だけでなく本堂にまで米俵を積み上げることで、おおよそ650俵置ける。これを超えた場合は、芦川さんの家で150俵程度は預かってもらえるよう段取りができている。川船16杯分まで大丸村に置けるが、それを超える21杯分は次の場所以降に送り込むしかないのだ。ここが溢れるようなら、一端舟を止めてもらうしかない。

 次の中継地は矢野口村の妙覚寺なのだが、ここへ運び込むのにどうしても半刻程かかってしまう。道中に問題がないか、最初の米俵を運びがてらお前の兄に見てもらっている。孝太郎(義兵衛の兄)は次の妙覚寺の管理役なので、戻ってくる人足からの伝言を待つしかない」


 最初は御武家様に対する言いようだったのが、少し話すと里の小童扱いに戻ってしまうのはしょうがない所だと思う。

 そして、円照寺から妙覚寺までの道程はおおよそ3300mあるが、その間は府中・川崎街道ではなく、山沿いの山崎道を通り、番場で三沢川を渡り、本郷・根方道を使う。

 農道に近い道をあえて選択したのは何か意味があるのか疑問に思う所なのだが、こればかりは喜之助さんに聞いても埒があかなかった。


「それでは、これから妙覚寺へ向かいます」


「お前の連れの方は米俵を運べるのか」


「いえ、妙覚寺までの距離だと無理でしょう。私ならなんとか1俵担いで行けますので、それでご勘弁を」


 義兵衛は円照寺の奥へ入り、お坊様に挨拶を済ませると米俵を担いで寺を出た。

 安兵衛さんと勝次郎様は何も持っていないが、警護者としては仕方ない。


「安兵衛さん、こちらで勝手に動いてしまっているのですが、問題はないのですよね」


 先日、府中へ向かう道で連絡網を維持するため奉行所からの人員動員のことを聞かされたばかりなのだ。


「荷運びの人足の中にすでに何人か入れておりますが、それと知ってよく見れば判るでしょう。浪人風ですが、実際は同心の下役・御家人の面々が混ざっておりますよ。領地主導の触れとして、登戸宿中心に集めたそうですが、手当として1日200文(5000円)の食事付きという条件を出しており、それを知った殿(北町奉行)は早速手配しておりました」


 確かに、米を運ぶ筋に沿ってしか動かないことは見えているので、人足にその筋の者を交えるというのは良くできている。

 妙覚寺から円照寺へ戻る人足の様子をそれとなく観察すると、少し場違いな感じがする人がいるのが見て取れた。

 それにしても、登戸での触れが江戸の町奉行に伝わりそれに対する手当までしてしまう、というのは少し異常と感じた。


「いえ、登戸は要所と見て奉行所は早速に拠点を置きましたよ。加登屋さんや萬屋さんの支店、糀屋さんもありましょう。椿井家の知行地で何かあれば、もしくは高石神社で何らかの動きがあれば、登戸は押さえておいて良い場所です。将来的には府中宿から甲州街道を通る筋も押さえておく拠点かも知れませんが、今の所は津久井道のほうが確実です。

 それで、触れがあった日のうちに殿が内容を知り、翌日には応募する人員を揃えたのですよ。『手当はそのまま貰って良い』とのことでしたので、『小遣い稼ぎが出来る』と話題になっていました」


 金程村・細山村から真っ直ぐ北上し、長沼村・大丸村・是政村とつないで府中宿に至る経路は魅力的ではあるが、低いとは言え多摩丘陵の山越えは厳しい。

 そうすると、細山から東に向かって登戸まで、五反田川沿いに開けた津久井道が主要道となるのが自然の流れであり、登戸に情報収集の拠点を設けたのも納得できる話である。

 それにしても、200文程度で江戸から人を寄越すというのは無理筋のような気がする。


「いえ、内職しているよりはマシですよ。それに御奉行様の声掛かり仕事ですから、本来は無給でしょう。それに丸義案件ですから、若干ですが宿泊の実費も手当として追加支給されます」


 奉行所内で『丸義案件』とまで語られるとは当の本人としては不思議な思いだが、その勤めが内職よりマシという言葉に何やら御家人の悲哀を感じてしまった。

 そこからすると、災害さえ無ければ百姓の方が気楽なのかも知れない。

 今や勢いが盛んな椿井家の知行地の暮らす百姓は、働いた分だけ確実に豊かになる見通しがあるのだ。

 にわか仕事を得た人足達も、そのおこぼれを貰っていると言えるのだ。

 そう考える内に、妙覚寺の門前に着いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 二百文でよろこぶのか 世知辛いねぇ……
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