高木三郎兵衛様 <C2528>
押立村の名主・川崎家の敷地内に代官仮所が設けられており、その門の前に井筒屋伝兵衛さんが待ち構えていた。
名主・川崎卯之助さんを紹介して頂き挨拶を交わすと、北側に隣接する高木家に置かれた代官仮所まで案内される。
代官仮所ということだが、是政村で寝泊まりした手代役宅を横に拡張した長屋という趣きの家になっている。
「この長屋は、父・平右衛門が多摩川を改修する時に建てた仮屋ですが、御役人様が来られた時に便利使いしております。
父・平右衛門が亡くなってからもう10年にもなります。東側にある龍光寺に墓がありますので、御用が御済になりましたら墓参して頂けると父も喜ぶと思いますよ」
卯之助さんの案内は役宅前までで、そこから先は伝兵衛さんが先導して中に入る。
「北町奉行・甲斐守様御子息の曲渕勝次郎様、旗本椿井家で今回の籾米買取を任されている細江儀兵衛様をお連れしました」
上がり框でこう名乗りを上げたのだが、安兵衛さんは無視された格好となっている。
名主・卯之助さんのどこかよそよそしい態度と言い、どこか微妙な空気が流れているような感じだ。
上に上がると座敷の下座に案内され、程なく御老人が入ってきて上座に座った。
おそらく高木三郎兵衛様に違いない。
両脇にも、いかにも威を借りたような小役人風の人が座る。
「このたび勘定奉行支配で油奉行を仰せ仕りました椿井主計助の配下で旗本家内財務を見ております細江儀兵衛と申します。今回の籾米買付についてはお代官様始め配下の御手代様、名主様達の御手を煩わせましたが、御陰様で無事滞りなく希望した量の籾米を得ることができました。改めて御礼申し上げます。
こちらは些少ではございますが、そのお礼として献上させて頂きますので、御収めください」
思い切り下手に出て、しかも懐紙に包んだ小判5両を差し出した。
「ほう。流石に町奉行様の近くに居るだけ、礼儀ということを知っておるのぉ。
ここ押立は昔から高木家が仕切っておった土地じゃ。ぽっと出で目端の利く川崎家に魅入られたのか、誰も彼も平右衛門を無闇に有難がっておるが、実際に仕切って苦労したのは、この三郎兵衛と矢島藤助殿であることを皆忘れておる。名主とは言え、卯之助がどれ程の者か、見ても判るであろう」
義兵衛が差し出した懐紙を取り、その中を見て懐にしまい込みながら愚痴を言う様子を見て、ややこしい老人にぶち当たったのではないかと構えた。
両脇に居る面々は、高木さんの言葉に大きく頷いており、こういった子分におだてられて過ごしている様子が見てとれる。
伝兵衛さんが奉行の息子である勝次郎様を先に伝えたことと言い、咄嗟に殿の官職から切り出したのだが、こういった御老人は権威に弱い側面があるかも知れないと思って切り替えたのが、この後をどうすべきか。
勝次郎様はじめ、それぞれが挨拶を言上する間に義兵衛は、朝の内に考えていたロジック・困窮する百姓をお助けするという訴えで説得する策は破棄する方向とした。
「籾米買取については、勘定組頭の関川庄右衛門美卿様の後押しもあり、地廻りの米問屋・井筒屋に手伝ってもらい進めさせて頂きました。今回年貢米を蔵前に回送するのではなく、金子にて納めることについても、御老中の田沼主殿頭様にも御理解を得て行うことです。この方法については椿井家が先鞭を付けたようなものですが、今後一部の代官所に広げる意向があるようです。また、御三卿の田安定信様からは、各地の代官所に規模に応じたお助け米を納める蔵を建てさせよう、とのお話も聞いております」
「それはどういったことじゃ。今少し教えて下され」
勘定方だけでなく、御老中様や田安様といった雲上人の名前と、そこに繋がりがあることを匂わしたことが功を奏したのか、ちょっとだけ姿勢・言い方が変わったように思える。
そして、予想通り『御上が代官所に蔵を建てさせよう』という話に喰いついてきた。
「我が殿は、御三卿の一家である田安家当主に戻られた定信様から懇意にして頂いております。実際に馬を賜ったこともあります。そして何かの折に『飢饉対策として籾米を里に蓄える』という当家の指針を説明されております。『国の基となる百姓を慈しむのは領主としての務め』と感銘を受けられたようで、まずは各大名へ飢饉への備えを確かにさせるよう考えておられるようです。
先日、聴いた時点では、大名へ伝えるのと同様に代官所へも御触れを出すと聞き及んでおります。蔵を建てさせるという話は、その折出た中身となります」
間違ったことは言っていない。
「触れがいつ頃になるか、など聞いては居らぬか」
「はっ、定信様が御老中様へお話されたのは、つい数日前のことです。私もその場に同席しておりましたから間違い御座いません。もっとも、それ以前から似たような話を我が殿は定信様にされておりますので、話される前に段取りは済ませておりましょう。そういった感じなので、来春までには何某かの動きがあると思います。
それが証拠に、代官所に飢饉時の救い米を蓄える蔵をどう作らせるか、という話が既にされておりました。なんでも、勘定方から代官所に建て増し費用を貸し付けることもあるとのことです。立派な蔵が立っても中に納める米が無いようでは本末転倒なので、蔵だけはお上が多少手伝うということなのかと推察しております。
代官所で設けた救い米の蔵については、必ずや中を査察されることでございましょう」
高木さんの左脇に居た一人が口を開いた。
「ハケ下の水田を持つ村は米を作っているので蔵の中身はなんとかなりますが、ハケ上の村々で年貢米以外に余計な米など作っておりませんぞ。蔵は作れば良いが、そこに入れる米まで余計に作らせるとなると、いささかしんどいのでは」
右脇からの発言が続く。
「いや、規模に応じた蔵と言っておったではないか。どの程度の量かを見極めねばなるまい。義兵衛と申したかな。そこはどの程度か知らぬか」
さすがに百戦錬磨といった風格の高木さんの両脇に控えているだけあって、お飾りではなかったようで、二人とも鋭く聞いてくる。
それを聞いているのか、高木様はじっとこちらを見ている。
「大名に対しては『100石について5石分を蓄えよ』との触れになると聞いています。旗本知行地については各旗本に同様の下知があるものと思います。代官所については、どこにどれだけ備蓄するのかの計画如何でしょうが、まずは同様の基準かと考えます。ただ設ける性格からすると、100石あたり5石では足りませんので、もっと増えていくと考えます。また、御救い米を納める蔵なので設置場所も重要で、代官所一ヶ所に集約するのではなく、幾つか近隣の村を束ねて一蔵を設けるという感じでしょうか」
ざっと考えると、石高4万石あたり200石(500俵)入りの蔵1棟という感じになるのだろうか。
いや、村々に備えるとなると200石入りの蔵ではなく、かなり小型のものの設置でも良いのかも知れない。
御殿様は200石の蔵100棟分の金子を勘定方を通じて貸し出すつもりのようだが、現場から見るとその4分の1程、50石(125俵)の蔵という風に改めたほうがよさそうだ。
「いや、お前の言うことには無理があろう。今の時点であれば代官所に新たに蔵を設ける必要はない。各村の名主の所に代官預かりの飢饉用米として預託しておくのが良かろう。それを我らが査察して回ればよいだけのこと。代官所の米なので、お上からの指図で自在に動かし使うということさえしっかり示しておればよかろう。
ただこれは100石あたり5石ならそれで充分ということ。これから先、例えば年貢1年分相当となってくれば、その時にこそ蔵のことは考えれば良い」
上から蔵を作れと言われればその通り作ろうとする小役人と違って、流石に現場を指揮してきた高木三郎兵衛様は的確であった。
ただの小うるさい爺様という考えを改めた瞬間でもあった。
「まあ、飢饉に備えて、というのは判らんでもない。被災せぬ場所に用途が明確な蔵を置くというのは理にかなっておる。
それで、椿井の御殿様は酔狂にも500石もの籾米を集めておるが、生半可な量ではない。戦でも起こすつもりか」




