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伝兵衛さんからの相談 <C2525>

 日本橋から是政村まで7里半(30km)の道程を休むことなく歩き通した後で座敷に上がり、畳の上で足を延ばして一息ついているところに、茶道具を持って井筒屋伝兵衛さんが入ってきた。


「明日には御出でになるかと思っておりましたが、前日に来られて助かります。

 今まで御領地で籾米を買い付けされる御旗本などおりませんでしたので、大層苦労致しました。結局は天領の御代官様と協議し、特定地域の年貢米を相応の価格で御譲り頂くことで決着を付けることができましたが、これが私共地回りの米問屋が出入りする御旗本を相手にしますと、とんでもなく労力が要る所でした。

 ことの成就にあたっては、まずは御尽力頂いた御代官様や御手代の方々や関係する方々に、お礼申し上げるべきかと思います」


 実際には、御老中様から勘定奉行様を経由して関係する代官所へは指図があり、井筒屋がそれほど激しく苦労したとは思えないのだが、500石という量と籾米という指定は前例がないため、その取扱いに多少困惑したであろうことは推察できる。

 ただ、その苦労は現場を担当した者に違いない。

 御役人様以外にも関係者という意味では、実際の取りまとめを指揮した名主といった所であろうか。

 いや、それだけではなく伝兵衛さん自身も何か褒美が欲しいということなのか。


「確かに関係する方々にはお礼を申し上げねばなりませんね。一番尽力して頂いたのは、籾米をまとめた村名主の方々でしょう。どういった村から集められたのでしょう」


 道々、六助さんから聞いてはいるが改めて確認しよう。


「まず、この是政村です。それから押立村、両村の間にある小田分村、それに常久村の4村です。いずれもここの近くなので、直ぐ行けます。また、御代官様の詰め所は押立村にありまして、まずは真っ先に御挨拶なさるべきでしょう。明日はかかわった手代の方もおります。

 それぞれに幾何かのお礼が必要かと思いますが、御準備はありますでしょうか」


 確かに関係を良くするには多少とも形をつけねばならない。

 4村の名主には籾米の量に合わせて御礼金を出すべきかと思う。

 ただ、御役人様に挨拶をしてその上でお礼をする、というのはどうだろう。

 仮に渡すとすれば、御代官様に2両(20万円)、手代にはその半分の1両という感じだろうか。

 御老中様を通して指図があったということで多少かかわりはあるのだが、井筒屋から買い入れるにあたってかかわりがある御役人様までというのは筋が違うような気もする。

 今用意できない金額ではないのだが、まずは主張すべきだろう。


「まずもってお話ししておかねばならないのは、天領の御代官様の手を煩わさせるようになったのは井筒屋であって、椿井家ではないことは御承知下さい。当家からの依頼で天領の籾米を融通してもらうようにした訳ではないのです。椿井家としては、勘定奉行様の職掌まで手を突っ込むつもりは毛頭無かったはずなので、余計なことをすると勘違いされることを懸念致します。この地を統べる御役人の方々への御挨拶は致しますが、お礼については必要であれば井筒屋さんからなさってください。

 あと4村ですが、今回用意された籾米の量の多寡で御礼する金子額を変えたいと思っておりますが、このあたりの配分を教えてください」


 伝兵衛さんは渋い顔をしながら返答してくる。


「まあ、そのようなお考えなら仕方がございません。今回は今までにないことをお願いしましたので、そういったことを含んでおります。来年以降も同様のことをなされるのであれば、今後のことは少々対応を考えねばなりませんな。

 それで、それぞれの村ですが、是政は360石、押立は170石、小田分は30石、常久は110石となります」


 確か六助さんは全部で672石と言っていたが、伝兵衛さんは合計670石の申告となっていて2石の食い違いがある。

 だが、1桁目を丸めて概算では合う数字となっている。

 説明しやすい数字にした感じではある。


「いや、椿井家からの依頼は500石なのでこれを超える170石分については、こちらとしてはなんとも言えませんが、どうお考えになっておりましょう。

 是政と押立の分で、こちらからお願いした量は充分足りておりますが、小田分と常久の分まであるのはどういったことでしょう」


 どうやら急所をぶち抜いた様で、この寒々しい部屋の中、伝兵衛さんの顔からは俄かに汗が噴き出した。

 そうして程なく思いつめた表情で、その場で平伏した。


「お願いがございます。小田分と常久については、万一に備えて余計に手配しておりました。正確には172石、642俵の籾米が余っております。御代官様には、この4村の年貢を現地にて籾米で買い入れ、その御蔵入り672石分に相当する蔵前相場金額を御代官様に納めるということで決着がついております。しかし、椿井家との契約で500石の籾米を470両でお買い上げ頂いておりますが、残りの172石分については目途がたっていない状況で、苦しいというのが実情です。なんとかお助け頂くことはできませんか」


 助けとは、つまり余った籾米を買って欲しいということで間違いなさそうだ。

 伝兵衛さん自身が褒美を欲しがっていると思っていたのだが、どうやらそういったことではないようだ。

 すると『御役人様にお礼』と切り出したのは、買い付けの背後にいる旗本家を匂わし、支払いの条件を猶予願う魂胆だったのでは、と推測される。

 それを言下に否定されたため、八方塞がりになってしまったようだ。

 470両期末払いの証文を本両替で440両に割り引いて現金化したことは萬屋での話で知っているが、それは伏せて敢えて聞く。


「率直にお聞きします。当家より470両で売り渡す契約となっておりますが、御代官様に納める金子の額は幾らなのでしょう」


 商売の根幹を問われたようなもので、困ったような表情を見せ、躊躇いながらポツポツと話し始めた。


「10月初旬に納めねばならぬ金額は4村分の540両です。

 実の所、この近辺でとれる米は入間米と申し、品位は三番手の上ノ下となっております。玄米でないこと、代官所から蔵前までの運賃が不要であることなど踏まえれば、4村の672石で500両と踏んでいたのです。しかし、二番手の幸手米相当上ノ中品位の出来と見なされ、その上で蔵前での売り立てとした金額を申し付けられました。

 そこで、旗本からの要請でこの籾米を譲り受けたことを明かし、御代官様として損をせぬ金額として10月初旬に500両を納め残りの40両は年末で納める方向で進めようと思っておりました。しかし、それはどうも義兵衛様の思惑とは違うようで上手くいかない様です。結局の所、井筒屋としては約120両の損となりますが、それは商売の上での覚悟と諦めるしかありません。

 ただ、それを少しでも取り返すために、余剰米172石分を売りさばくつもりではおりますが、籾米642俵となると玄米ではないために足元を見られてしまいます。だからと言って蔵の在庫として抱えていては、歳も越せません」


 おや、これは結構面白いかも知れない。


「すると、籾米172石を今なら120両で買うことができる、ということでしょうか」


 500石を470両、つまり1石を銀56匁(94000円)で買い付けたことを考えれば破格値である。

 義兵衛の言うことを理解したのか、すがりつくような目で見て伝兵衛さんは頷く。


「では、その642俵を江戸の椿井家屋敷まで運んで頂ければ120両(1200万円)の現金で買い受けるよう手配致しましょう。ただし、江戸屋敷までの輸送費は井筒屋で持ってください」


 江戸屋敷の土蔵に200石(500俵)程度は収納できたはずだ。

 それに、江戸市中には飢饉対策用の蔵を作る策を萬屋のお婆様が進めている。

 入れ物さえできれば、中に収容する米も必要となるはずだ。

 籾米という長期保存に適した米が1石で銀42匁(75000円)ちょい下の値段、品位8番手(下ノ中)の奥州南部米相当の金額で購入できるとなると、お婆様も欲しがるに違いない。


「よろしゅうございます」


 伝兵衛さんはこの申し出に光明を見出したのか、一も二もなく頷いた。


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