是政村への道中 <C2524>
甲州街道から是政村に行くには、幾通りもの道があるが、一番判り易いのは高札場前の十字路で左折して川崎街道に入る道である。
しかし、今回はその結構手前にある『上染屋村から左に折れ、ハケを下り小田分村を経由して是政村に向かう』と案内されている。
この道を使うと、半里(2km)ほど近くなるそうだ。
ハケとは河岸段丘のことであり、多摩川に沿って形成された国分寺崖線をこの近辺ではハケと呼ぶ。
上染屋村で左にある脇道(小田分道)に入ろうとした時に、安兵衛さんが待ったをかけた。
そして、さらさらと書いた半紙を畳むと、面々の少し後ろを歩いていた御武家様に声をかけ、これを渡している。
「これを高札場に居る面々に渡し、江戸へ折り返してください。是政村の河邊家には、宵の口頃に一度声掛けして所在を確認するようお伝えください」
安兵衛さんは話し終わると、小走りにやって来て、脇道に進みかけていた義兵衛の列に加わった。
「あの方は知り合いなのですか」
「とっくに気づいていると思っておりましたが、お分かりになっておられなかったのですね。大きな声では言えませんが、御老中様の所から出されている同行の方ですよ。私と勝次郎様は表。江戸から離れる時には、彼らは裏という立場で目立たぬように付いてきております。よく見かける顔・姿だったので、御奉行様に聞いてその存在が明らかになり、安堵した次第です。何事もなければ知らぬ振りをしておいてください。あくまでも裏の方ですから、馴れ合うのは心得違いです。
今回は3人でしたね。今一人外れましたので、2人が少し離れてついて来ることになるのでしょう。こうなったのもつい最近、9月に入ってからなのですよ。
一橋様を引き込んでしまった今となってはさしたる政敵が居る訳でもなく、刺客に襲われるようなことが起こるとは考え難いのですが、それでも御老中様なりの気配りでしょう。ああ、あの方達の警護費用は御老中様が負担されており、誰からの依頼という訳ではないのでご安心下さい。万一の時にアテにできる人手があるというのは、私にとってはとても助かります」
ここまで細かい所を勝次郎様は知らなかったようで、義兵衛並みに驚いている。
それでも気を取り直し、一行4人は是政村へ向かう。
甲州街道はそれなりの人が歩いているので目立つことはないが、人気が少ない脇道に入ると隠れて同行していると思しき2人は目立たない様にするためか明らかに距離を開けた、というのが見て取れる。
あと四半時(30分)もしない内に是政村・程度で名主の河邊五郎兵衛宅に到着するが、その後この2人はどうするのかが気にはなる。
当たり前のことだが、是政村には宿屋が無いのだ。
まさか、同じ名主家に泊るということは考えられない。
「村に宿が無ければ、あの陰の者達はどうなるのでしょう」
安兵衛さんはことも無げに答えた。
「そんなことは解りません。しかしまあ、それなりの方法でなんとかするでしょう」
当然のことながら、奉行所に絡まない人の分まで責任を背負いこむ必要はない。
「基本的には代官手代の家でしょう。事前に鑑札など準備されておれば、大方の手代は受け入れるでしょう。ただ、その時点で隠密行動ではなく、何らかの記録は残りましょう。
それを避けるのであれば、寺が妥当でしょう。それなりの理由をでっち上げれば、庫裡か本堂に泊めてもらえると思います。いずれにせよ、こちらの行動に支障が出なければ見えない振りで済みます。その者達が原因で問題が起きるのであれば、後で報告するだけですよ。何事もなければ、決してかかわってはいけません」
そう言う安兵衛さんだが、さっきの辻では思いっきりかかわっていたのではないかと指摘してみた。
「いや、このままでは高札場前まで行かないことによる支障の方が大きいと判断したからで、妥当です。事情を聴かされていない面々は府中宿に入るとばかり思って動いていますから、知らせないまま道を逸れると余計な混乱を引き起こし兼ねません」
そういえば、練炭を佐倉藩に展開する時、丁度7月末位の時期だったが、佐倉と名内村を行き来したが、その時は今のような感じではなかった。
たった3カ月しか経っていないのに隔世の感がある。
もし、当時からこんなに厳重に周囲を固められていたなら、それを知らされていたなら、大胆な行動を取れなかったに違いない。
その結果、名内村や佐倉藩での練炭作りの開始が1~2カ月遅れた可能性だってあるのだ。
今更ではないが、そうなった時のことを考えている内に是政村の現名主・河邊家に到着した。
この時期、日が落ちるのはかなり早くなって来てはいるのだが、まだ日が落ちるには充分間があり、あたりの様子も充分見ることができる。
六助さんが門を叩き、安兵衛さんが門前で名乗りをすると、正門が開き当主が丁重に出迎えてくれた。
田舎の百姓家で御武家様を迎える形式に則っている。
そのまま式台付の玄関まで案内された後、そこで話しかけられる。
「先ほど先触れの方が来られて、義兵衛様御一行が間もなく到着されると伝えられたのです。井筒屋さんが集めた籾米を買い付けた方と聞いており、是非ともご挨拶したいと思っておりました。井筒屋伝兵衛さんから『この村にお見えになられたら、以降は当家にてお世話するように』と聞かされておりましたので、その準備を済ませております。
ああ、申し遅れましたが、私はこの村で名主をしております五郎兵衛でございます。当家に滞在する間、何かご不便なことがありましたらなんなりと御申しつけください。
六助は客人ではありません。土間から伝兵衛さんの所へ直ぐ行きなさい」
どんな手を使ったのか、この訪問については先行して伝えられてたようで、それからすると安兵衛さんが御老中配下の陰供に伝えたことは無駄になってしまったようだ。
それにしても義兵衛の行動を把握するため、単に連絡を取れるようにする為に費やされる経費を考えると、引き合うこのではないだろうと、再び考えこんでしまった。
とりあえず、玄関に相当する式台から中の応接に上がらず、本宅に併設されている別棟に案内される。
本宅式台を経由したのは、身分が上の方をお迎えするという形式なのだろう。
「これは、当家が村で代官手代となっている時に使用する役宅です。食事は本宅で用意致しますので、都度御出で頂くことになります。湯などは下女を付けておりますので御命じください。井筒屋さんは、本宅の客間に居りますので、御用の際は呼び出して頂くことになります。
しばしこちらで御緩りとお過ごしください。茶等は直ぐにお持ち致します」
五郎兵衛さんはそう言い残すと本宅へ引き返していった。
役宅はそんなに広いものではなく、御役人が数人宿泊し仕事する環境が用意されているだけの代物である。
おそらく、手代を命じられた時に上役が一時逗留することを想定して作られたものに違いない。
それにしても、江戸市中の町屋と比べると扱いが随分丁寧である。
本社ではマネージャーとは言え下端扱いの課長・係長が、地方工場での打ち合わせに行くと現場では下にも置かない扱いになるのと同じような感覚なのかも知れない。
実際に工場の現場では課長の権威は高く、本社の課長はそれを締め付ける存在であることから現場の社員からすると雲の上の存在に見えてしまっている。
やはりと言っては何だが、義兵衛なんかより勝次郎様への対応がより丁寧だったのは、まあ仕方がないだろう。
ここも、本部長の息子が課長の鞄持ちとして来ているときの扱いと良く似ている。
「この感じだと、滞在費は相当浮きますね」
勝次郎様はどこかはしゃいだ様子だが、報告書と供に残金は返金することになるので自分のものになる訳ではない。
その辺りはまだ実感がないのだろう。
そうでなくとも、今回の是政村入りにはかなりの人員が手配されており、奉行所の出費が心配になる程なのだ。
ともかく足を洗ってもらい座敷に上がって、やっと一息つくことが出来た。




