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玄猪日前の御屋敷 <C2521>

■安永7年(1778年)9月29日(太陽暦11月17日) 憑依258日目 晴


 御殿様が深く関与する玄猪げんちょの儀式を明後日に控え、椿井家の江戸屋敷はかなり混乱をしていた。

 それは、御殿様が就任したばかりの油奉行職が新設(名前は旧来のものを復活)であり、旧来の油奉行を吸収した漆奉行との業務が多分に重複しており、御城で玄猪という公式行事でどのように振舞うかの難問が片付いていないようなのだ。

 玄猪の日は、10月の最初の亥の日であり、今年は10月1日が該当している。

 もともと「亥の月(10月)の最初の亥の日亥の刻に餅を作って食べると無病息災でいられる」「多産の猪にあやかって子孫繁栄につながる」との俗信と、陰陽五行説で亥が「みずのと」に該当することから「亥の月の初めの亥の日から火を使い始めると火災の厄を逃れる」との俗信が合体した行事である。

 そのため、御城では将軍が諸大名へ餅を下げ渡し、大奥では女中等へ鳥の子餅が下されるのが通例である。

 城内での儀式は夜に行われるため、御城の御門では盛大に篝火が焚かれ、江戸在住の大名は皆夕刻から始まる儀式に備える。

 白装束で登城する決まりとなっており、城内は白装束の諸大名がそれぞれ決められた場所で待機し、下賜される順番を待つ。

 また、この日から城内で暖を取るための火気が使える解禁日である。

 つまり、この日から城内の暖房器具がおおっぴらに使えるようになる。

 昨年までであれば、囲炉裏のある部屋ではその囲炉裏の木炭に火が入り、囲炉裏などの暖房設備がない大部屋ではその四隅と、場所が許せば部屋中央に大火鉢が登場する。

 だが、今年はいくつかの火鉢の横に、部屋に1個程度の割合ではあるが誠に小ぶりの七輪が併設されている。

 従い諸大名の方々は、何やら珍しいものがあると目に留めることになるのだ。

 その観点からすると、七輪・練炭の商売から見て本番とも言える。

 御殿様は、この練炭にどう火を付けるのかを配下の同心達に指導し、火鉢の点火に合わせて七輪にも点火できるように指示していた。

 そして方法はともかく、点火順などで茶坊主達との調整が難儀していたのだ。

 新しいものであるが故に受け入れることができないと難癖を付けているのは茶坊主達で、従来の権益を侵されまいとマウントを取っているに過ぎない。

 御殿様は鷹揚に構えているが、間にはさまった担当同心は気が気でないようで、屋敷にまで来ては窮状を訴えているようだ。

 この様子を見て『御殿様から何か呼び出しがあるのではないか』と安兵衛さんや勝次郎様と一緒に長屋の部屋で待機していると、紳一郎様が部屋にやってきた。

『きっと出番に相違ない』とばかりに迎えようとすると、紳一郎様は開けた障子のところから声をかけた。


「殿が『屋敷の中におっては返って面倒に巻き込まれる恐れがある』とおっしゃられておる。城中や役目のことに係わってはならぬ故、明後日に行われる是政村・宝珠寺(西蔵院)での籾米1850俵の受け取りに専心すればよかろう。なにせ、470両分の米であり、旗本・椿井家の2年分の年貢米に相当する量じゃ。受け取り後の運搬は、すでに里の爺が仕切っており抜かりはあるまい。だが、肝心の六軒堀町の井筒屋側の具合、蔵への搬入は確認できておるまい。すでに代金は先渡し(9月21日)しておろう。持ち逃げということはまずあるまいが、それを見届けることも重要じゃ。米の手形は今渡しておくので、無くさぬよう充分注意を払え。

 なお、籾米の運び入れが片付くまで、江戸屋敷へ戻らず、江戸市中に留まってはならぬ。是政村近辺に宿を取り、そこを拠点に活動せよ。その方の路銀は先に支給する。ただ、勝次郎様、安兵衛様の路銀は含まれておらぬぞ。

 それから、予備費用として5両分の銀を渡しておこう。こちらは後で戻せ」


 結構な費用を先渡しされた。

 費用を御殿様の勘定から事前に出すということになると、どうやら『甲州街道沿いの府中宿近辺で滞在せよ』というのは正式に下命されたもののようだ。

 運搬が片付くという命には結構あいまいなところがあるが、最短であれば『受け渡しに使う蔵が空っぽになる』までで、最長であれば『受け取った米がすべて予定されている蔵に収まる』までとなる。


「まずは、萬家で出した手形がどう処理されたのかを確認します。それから、井筒屋を訪ね受け渡し場近辺の宿を紹介してもらいます」


 義兵衛の説明に納得した紳一郎様は軽く頷くと戻っていった。


「義兵衛様、具足町の萬家さんの所に行く前に奉行所に寄ってもらえませんか。我々にも路銀が必要です」


 仕事として数日の宿泊となるのが嬉しいのか、どこかニコニコしながら勝次郎様が意見してくる。

 非常時に備え、安兵衛さんの懐には常時数両のお金を忍ばせているのを知ってはいるが、それを使わねばならないほど切迫している訳でもない。

 時間に余裕がある時は事前申請のほうが良いのは後の世でも同じようである。

 ただ、義兵衛監視用として奉行所内で確保されている予算は実際には厳しいに違いなかろう。

 なにせ、奉行所として義兵衛のことを認識したのは4月の頃であり、今年の予算、つまり奉行所としての使途見込み金額はあらかた決まった以降に新たに起きた事案なのだ。

 必要と認識しているとはいえ、どこからか路銀を捻出するためにしわ寄せを喰らっている部署もあるはずだ。

 この点、義兵衛に指図する費用については、実の所は萬屋さんの華さんの持参金の一部が御殿様の会計に組み込まれており、少しできた余裕金が充てられている、ということを帳面から読み取り納得をしていた。

 屋敷から北町奉行所のある呉服橋御門へ向かいながら、義兵衛は奉行所内の勝手を知っていると考え、勝次郎さんに尋ねた。


「御奉行様に出して頂く路銀はどうやって都合を付けているのですか」


 勝次郎様には不意の質問だったようでかポカンとしている。


「いや、これはお役目であり、必要なものは出して当然ではないのですか」


 必要な金銭は言えば出してくれるので、その大本がどうなっているのかまで考えたことがないようだ。

 だが、安兵衛さんは知っていた。


「そこは、義兵衛様に同行するようになった当初に、御奉行様へ萬屋から『よしなに』という意味を込めて25両(250万円)もの献金があり、それを取り崩しております。それ以降は節句毎に金5両(50万円)、年5回もの御寄付頂けると聞いております。萬屋からの寄進については『他の用途には回さぬ』とのことなので、当面不足することはないでしょう。

 ただ、勝次郎様が加わってからの菊の節句(9月9日)でもこの金額は変わらなかったそうで、今後は多少厳しくなるかも知れません」


 安兵衛さんは奉行所からの監視というだけでなく、要人警護の任も負っていると認識した萬屋さんの配慮に改めて驚かされた。

 その意味で、勝次郎様は警護人員ではなく、義兵衛からの教育・薫陶を期待されて同行させているという認識であるため、寄進額を変更しなかったのかも知れない。

 いずれにせよ、最初に納めた金額はともかく、年間で25両(250万円)が義兵衛向けの経費となっていることは確認できた。


「まあ、今紙入れに忍ばせている雑費も、私が体に括り付けている非常時用の金子も、そこから出ているのですがね。ただ、非常時の金子に手を付けると言い訳が大変なので、予め用途が判っている時のほうが助かるのは確かです」


 やはり勝次郎様は金子の流れのことが初耳だったようで、とても驚いている。


「勝次郎様、人を統べるには金子の流れを知ることがとても重要なのです。萬屋さんは常ではない特別な寄進をすることで、義兵衛様がとても大切な存在であることを御奉行様に認識してもらい、その結果私の庇護をあてにできるようになったのです。必要なことを成すためには、道理も重要ですが、なによりも実際に物を動かす金銭が要るのです」


 こういった言葉が安兵衛さんから出るようになったのは義兵衛の影響であろうし、勝次郎様も同行することでこういった感覚を修得してもらいたいという御奉行様の意向があるのだろう。

 勝次郎様が奉行所私邸側から奉行所に入り、そこから勘定方に声をかけると、あっさりと二朱金と一分銀を取り交ぜて2両分(20万円)の路銀を手にすることができた。

 申し付ければそれだけ支給されるという状況が繰り返されると、その出所と意味を考えなくなる事例である。

 今回の遣り取りで、勝次郎様がそこをどこまできちんと考えられるようになるか、先が少し楽しみになってきた。


とりあえず書けた所までで投稿しています。次回は普通なら2022年12月5日なのですが、またスキップする可能性が高く、お読み頂いている皆様に大変申し訳なく思っています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 玄猪日 亥の子餅、美味しいんですよね。 昔はとーかんや、とーかんや って畑に藁鉄砲やったり。関東圏ですが、懐かしい。
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 緊急の出張旅費と給料の違いみたいな感じでしょうか。
[良い点] 猪月のこの風習が、10月の衣替えとして現在も残っているということなのでしょうか?こんな風習があったのですね。 [一言] いつも楽しみに読ませて頂いています。
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