算学者の謎と相関計算準備 <C2514>
ここから3話ほど、かなりくどい説明などありますが、ご容赦ください。算術の内容(数Ⅰレベル?)は理解しなくても、何のさしつかえもないハズです。相関の出し方はうろ覚えだったので、再度教本を見直して書いてますが、間違いがあればDM等でご指摘ください。
■安永7年(1778年)9月26日(太陽暦11月14日) 憑依255日目 晴
朝から晴とはいっても日差しに力はなく、昨日が時折小雨が降る天気だったこともあって一段と寒さが増したようである。
昨夜、屋敷に戻ってからの御殿様のご機嫌はすこぶる悪いものだった。
早朝、安兵衛さん達が屋敷に来る前に御殿様の居る座敷に呼び出された。
「一晩経って少しは頭も冷えたであろう。
こちらがどれだけ慎重にことを運んでいるのか、今までの動きを見て判らぬのか。お前の余計な一言から始まった新たな騒動で、こちらは命の縮む思いだ。正直言って、曲淵様が『算学者』といった時には、体が竦んだぞ」
昨夜も同じことを愚痴られたが、義兵衛には何がどこが問題なのか、一向に判らない。
「申し訳ございませぬ。ただ、どうして体が竦むほどのことなのか、昨夜来考えておりますが、私には少しも判りません」
御殿様は困った顔をしながら顔を近づけ小声で話し始めた。
「一般に流布されてはいないのだが、算学者の系譜に問題があるのだ。お前が曲淵様に語った関孝和殿なのだが、その師が、隠れ伴天連だったとの噂がある。田沼様、曲淵様がどこまで存じておるかは知らぬがな。
算学者には流派があり、算聖と称して関孝和を崇めて関派と名乗っておる所では、関孝和殿から数えて何代目・何伝という言い方で権威を高めているそうじゃ。それで、今流行っておる算学についてだが……」
御殿様は算学の始まりとなる者として毛利重能の名前を挙げた。その優秀な弟子として吉田光由・今村知商・高原吉種という三人の名前を挙げ、そして、高原吉種の有力な弟子として、磯村吉徳・内藤治衛門・関孝和という名前を挙げた。
その上で、算学者には伴天連の疑いがついてまわっていることを再度念押しのように繰り返した。
「算学者の系譜なりをかなり細かくお教え下さいましたが、なぜそのようなことを御存じなのでしょうか」
「うむ、ワシとて里の寺子屋で塵劫記は学んだ。寺子屋では、もっとも算術に長けている者とまで言われたものよ。そして、塵劫記は誠に実学として、土木や勘定に役に立つ内容と思い、江戸詰めになった時に、直ぐ算学者の門を叩いたのだ。なにより先に領地実測のための技術・算術が必要と考え、お上の天文方や勘定方に仲介を頼み、駿河台に算学塾を開いていた今井兼庭殿を紹介してもらい、そこへ通った時期もあった。今井殿は関流の傍流ということから、随分とその流れについての愚痴を塾頭から聞かされた。そして塾頭が愚痴で言いよどむところに疑念を持ち、そこを自分で調べた。その折の知識じゃ。
それからの事だが、塾で教わる算学の内容は、結局のところ虚学と判じて途中で通うのを止めた。他塾の問いや図形をあれこれ見てその規則を見極めるというのは、学問としてそれを極めるのは面白かろうが、領民の役に立つとはとうてい思えなかったのだ」
御殿様は更に小声で驚くべき話の続きを一気に話した。
「高原吉種は南蛮人で転び伴天連という噂があった。正確には、棄教した伴天連の宣教師という噂で、いろいろと隠されていたため深くは調べきれなかったが、まず間違いあるまい。それゆえ、関流は本邦人と判る関孝和を流派の始祖に据えた疑いがある」
義兵衛は、いや、その中の竹森氏は仰天した。
後世、明治時代になって『洋算』が学ぶべき学問となったのだが、その一方すたれる方向である算学を『和算』と称えその内容が決して西洋に遅れをとったものではなかったとして大々的に喧伝されているのだ。
その始祖、『算聖』とまで称された関孝和、和算の歴史に、そのような怪しい所があったとは俄かには信じられない。
「では、なぜそういった背景がありながら、曲淵様は算学者を同席させたいと言いはじめたのでしょうか」
「うむ、どこまで知っているかは判らぬが、おそらく有効なものは何でも活用したい、という思いなのではないか。ある意味、そこまで追い詰められておるのかも知れぬ。
田沼様は『その技術に実効が伴うか見極めてからにすべし』と断じたであろう。田沼様とて良いものは取り入れたいが、算学の中に潜む闇の部分・伴天連の関与を気にされたのではないか。『いろいろと危ない』と申されたのは、伴天連との関連を疑われることと思え。ここで知恵袋のお前が、伴天連との関連を疑われてしまうことは避けたい」
ここまで聞いた時に安兵衛さんと勝次郎様が屋敷にやってきた。
「義兵衛、今のことは奉行にも秘すべき話じゃ。心しておけ。それから急ぎ長屋の部屋に戻れ」
義兵衛は、頭の中の整理ができないまま、手洗いから戻る風を装い部屋に戻った。
「今日は流石に少し寒いですね」
長屋の部屋に戻ると、二人が待っていていつものように声をかけてきた。
「いや、昨夜は『料理番付を作る集計方法』を安直に口にしたことで御殿様にこってり絞られ、その声が頭の中でグルグル回って寝る所ではなかったのです。元は御殿様が言い出した『飢餓難民から里を守る合戦』という刺激的な言葉の重さで、御奉行様や御老中様まで動く騒動になったことは棚に上げてですよ。
でも、今はこの集計方法に関する『簡単な解説書』を作るのが先です。計算方法は試行錯誤しながら決めていく必要があるので、算盤は手伝ってもらいますよ」
「義兵衛様、お忘れですか。椿井家からお土産に渡した七輪の数、行き先を萬屋に伝えるはずですよね。起き抜けでまだ頭がしっかりしておられぬのでしょうか。それとも、御殿様からのお叱りで忘れてしまわれたのですか」
安兵衛さんが言い出すまですっかり忘れていたのだが、確かにそんな約束をした覚えがある。
義兵衛はあわてて紳一郎様の元へ走り、台帳を借りてきた。
「助かりました。これの要点を書き出して萬屋に送りこみましょう。解説書はその後にします」
義兵衛は、土産で持たせた七輪の多さに目を剥きながら日付・家名・使者名・個数を順番に書き写していく。
やがて写し終わると文を締め、表書きを付けて門番へ託し、台帳を紳一郎様に返却してきた。
「全部で68個でしたか。この個数なら毎日何件も借財の申し入れがあったことになりましょう。断りも大変な訳です。これだけあれば練炭の需要にも影響したに違いありません。また、借財の申し入れが続く限り同じようにするのでしょう。旬日締め位で連絡する必要がありますね」
だんだん要領がわかってきたのか、勝次郎様がこう意見を述べた。
「その通りです。御忠告頂き、ありがとうございます。
では、気を引き締めて解説書にかかりますよ。算盤も借りてきました。まずは、相関の基本からですよ」
こう言うと、義兵衛は何枚も紙を広げ、グラフを描き始めた。
相関では一番基本となる正相関、逆相関、無相関の3枚、ゆるい正相関、ゆるい逆相関の2枚で、この5枚にはそれぞれ原点とそれを囲んで4つの点が打たれている。
それぞれの相関係数は、1、-1、0となる値となるはずであり、更にゆるい相関はうろ覚えだが0.6、-0.6となるはずだ。
義兵衛は上に相関係数の数値を書き、更にこの5点の座標を各紙の下方に示した横・縦の項目の下に書き出した。
「横が因子となる数字で、縦がその結果得られた数字と見ます。5点の横・縦の数字を適切な方法で計算することで、上の相関係数が得られます」
義兵衛は横・縦と書かれた項目の横に、横差、縦差、横差二乗・縦差二乗・横差縦差乗を加え、そして座標数値5行の下に計、平均値を付けた。
「さあ、計算です。この各項目の空欄を埋めてもらいます。まずは、横・縦の平均値からです」
各項目の計算順と方法を説明すると、手馴れぬ様子で算盤を弾き始めた。
「塾頭、引けません」
突然勝次郎様が声を上げた。
文机に算盤を載せ半紙を前に筆を持つ様子は、確かにどこかの塾のようにも見える。
勝次郎様と安兵衛さんが義兵衛と向き合って座っている様子は、何かを教わっている時のスタイルに似ている。
「勝次郎様、ここは塾ではありませんよ。そして私は師匠や塾頭ではありません。それで、何か問題ですか」
勝次郎様が指差す項目を見ると、引くべき値の方が置かれている数より大きい。
そうなった時に、算盤をどう弾いてよいのか、最後にどう負の数を書くのかなど、やり方がもうひとつピンときていないようだ。
竹森氏がいた世界でも、珠算の準2級位に進まないとこのあたりのことは教わらない。
この時代でも簡単な手ほどきだけだと、どう扱えば良いのかまで教わることがないのだろう。
驚愕の、高原吉種=宣教師説は、下記参考資料に依るものです。
参考資料:「和算の成立 その光と陰」鈴木武雄著 2004年7月25日発刊 ISBN9784769909996(ISBN4-7699-0999-3)




