算学者が必要かな <C2512>
北町奉行所の通用口に控える門番は、すっかり顔なじみのような状態で、義兵衛を連れた安兵衛さんと勝次郎様が向かってくるのを見つけると、そそくさと土蔵へ案内するための者達を呼び寄せておくなど手際良く準備してくれている。
案内の者の誘導で土蔵へ入ると、土蔵の外回りを監視する者と御奉行様へ報告する者とに分かれていく。
このあたりの連携も、最初の頃と違い、極めてスムーズになっている。
「この土蔵に呼ばれるのは、もう何度目のことでしょうか。最初は監禁されたという感じが強かったのですが、今ではもう当たり前ですよ。うっかり座敷なんかに案内されようものなら、かえって緊張してしまいます」
義兵衛が正直に感想を述べると安兵衛さんが頷いた。
「私共も日々の報告はこの土蔵で行っています。帰着の挨拶こそ御奉行様のいる座敷の手前で行いますが、緊急の報告がある場合以外では『そのまま土蔵にて待て』との指示があります。
もっとも、急ぎの場合はその旨伝えると『そのまま入れ』の声があり、小声で簡潔に報告してから土蔵行となるのですがね」
勝次郎様からの報告の場合は、ちょっと違うらしい。
「私も土蔵行きは増えましたが、そのまま奥の座敷へ行き、そこで報告することがあります。ただ、その場合は安兵衛の同行がないので、受け答えが厳しくなります。あと、土蔵と一口に申しますが、最近内玄関右手直ぐの場所にある土蔵に何やら手を入れております。奥庭の土蔵では手間がかかる、ということなのでしょうか」
そう言われてみれば、奉行所の奥には立派な土蔵が3棟あり、その中でも一番奥の土蔵にいつも入っている。
それ以外に、内玄関脇に屋敷とつながっている土蔵があり、おそらくはその土蔵のことを指すのだろう。
「ただ、その土蔵は奉公人の部屋が近いので、別な用途ではありませんか」
安兵衛さんが、今の土蔵を使うようになった経緯からそう意見した。
機密漏洩防止の観点から言えば、奥庭といっても他家の敷地に接近した場所であり、外部に音が漏れ易い難はある。
一方、屋敷に隣接する土蔵では、使用人の耳があるため内部から情報が流出する心配もある。
要は使い分けだろう。
そんな雑談をする内に、北町奉行・曲淵甲斐守様がドタドタと土蔵の2階に入ってきた。
「明日相談と言っておったが、御老中・田沼様が直ぐにでも、という話になった。庚太郎殿は田安様との話が終わって屋敷に戻り次第来るよう伝えておる。朝から田安御殿に行っておるのであれば、昼過ぎには戻るであろう。御老中様も、城での勤めを早めに切り上げてこちらに来る手はずじゃ。意知様や甲三郎殿の同席は不要と言っておったので、昨夕とは違う話となろう」
『飢餓対策を合戦』という言葉で聞いた範囲で話しをするのであれば、ここに御老中様と御殿様が加わるだけで良い。
何にせよこの2人待ちとなっているので、萬屋本宅の昼餉を早く切り上げるまでもなかった気がするが、自分達は最下端なので待たされる側になることに異論はない。
「さて、今日は何か面白い報告でもあるのかな。勝次郎、申してみよ」
萬屋に様子見で訪れただけと思っている曲淵様が、勝次郎様にどうということも無い表情でそう切り出した。
これは『特に報告するようなことはございません』を予期している様だ。
しかし、この期待に反して勝次郎様は居住まいを正して報告を始めた。
「申し上げます。萬屋に義兵衛様が来ると知った主人・千次郎が八百膳に使いを出すと、主人・善四郎が飛んで来るかのように来まして、義兵衛様から料理番付の新しい考え方を聞き取るや否や、木工職人に道具を作らせに飛び出していきました」
曲淵様が表情を変え、興味を持った様子を見て、勝次郎様は善四郎さんが駆け込んできて出て行くまでの顛末を説明した。
「これは驚いた。食通達の報告を集計して順位を付ける、というのは面白い。つまりは料理比べの判定を皆の口で常時行う、ということであろう。
『集計方法を義兵衛の知恵で工夫する』というところが肝であろうが、大方の者は理解できぬのであろうな。奉行としては、折角の知恵を後世に向けて生かす工夫をしたいところではあるのだが……」
御奉行様は、つたない勝次郎様の報告・説明から話の本質をたちどころに理解したようだ。
「そうさのぉ、数に秀でた方に一度同席願うのも良いかも知れぬ。ただ、義兵衛のことがその筋の者達に広がってしまうのは難があるかも知れぬ故、田沼様にお伺いをたてるしかなかろう。
安兵衛、その方が理解でるのであれば、代役として表に立ってもらうこともできるが、どうか」
「はっ、義兵衛様が理屈が簡単に判る手引書を作ってくれる、とのことです。それが簡単であれば、私でもどうにかできるかも知れません」
「算学者だと、関孝和様のお弟子につながるどなたかでしょうか。確か、関流の算法は秘伝としてみだりに公開しない風があったかと。免許制がありますので、算法を出版でもしない限り考案者の名前はみだりに外へは出ないのではないかと思います。それに、私が説明できるのは概念と手順だけですよ。実際にそれを論理付けて形にするのは、理解されたかたでしょう。その方の名前で知られるなら、そこから逆に参考とした、で済むのではありませんか」
「算学者であれば、塵劫記を書き起こされた吉田光由殿が真っ先に挙がると思うのだが、関孝和殿の名が先に出るか。寺子屋で数の手習いをしたのであれば、塵劫記は目にしておろう。しかし、それではなく算学として最近派を唱えるようになった大本の関殿の名を出すとは異なことよ。
まあよい。ただ、おそらく最初に声掛けするのは久留米藩主の有馬頼徸殿となろう。知に長けた算学者として、城内でも別格の扱いを受けておる。天文方の山路主住に手ほどきを受けており、同門には新庄藩士で関流4代目の安島直円もおる。
有馬殿は、もう65歳と結構な御歳ゆえ実際には同門かその縁者、もしくは配下の算学者を紹介してもらうことになろうな。いずれにせよ田沼様次第じゃ」
この時代の65歳というのは、確かに結構な歳ではあるものの、田沼様も当年60歳で現役バリバリの御老中様なのだ。
若い時にどんな生活環境で過ごしていたか、現時点で健康かどうかの個人差は結構大きく、一概に年齢だけで判じるのは微妙だろう。
それよりも、算学者として関孝和が一般にあまり知られていないことの方に驚かされた。
「それで、その内容だが、料亭の番付に使えるというだけではなく他にも応用が利くのかどうかだが、その辺りはどう考えておる」
「使い方によっては便利かも知れません。
2種類の数の関係性を、数値として把握できる方法について説明するつもりでおります。これによって、八百膳の善四郎さんの評価と食通の方の評価を比較し、補正係数を定めます。そして、食通の方毎に付けられた補正係数に従って各店の膳料理の評価を報告数分重畳させ平均を求めていけば、あたかも善四郎さんが評価したかのような評点が得られ、あとはこれを順番に並べるという作業になります。
肝心な点は、複数の数列の相関を数値として求めるところであり、これにより2種類の事象で因果関係の有無を客観的に評価できることになります。そして、これから2つの事象の影響度合いを示す係数を求めます。
これを使えば、色々な所で施策の有効性を判断するのに、応用することができます」
義兵衛は相関係数と回帰直線の傾きを出すつもりで考えている。
式はうろ覚えなのだが、竹森氏は実際にこれを四則だけできる電卓片手に手計算で算出させられた覚えがあった。
意味はもうひとつ覚えておらず、一般式は結構複雑だった気がするが、ともかく簡易な方法で求めることはできた。
開平方も式の中に入っていたが、相関係数の二乗が求まるのであればそれで代用しても良いだろう。
そんなことまで考えていたが、実際にこれを実現するには結構な演算がいるのだ。
そして、これに続く回帰直線を求める方法も必要となる。
ただ、こういったことまでの説明は今できない。
果たして、今の説明でこの有用性が伝わったかどうかは良く判らない。
「残念ながら、中身はさっぱり判らぬ。ただ『施策の有効性の判断に使えそう』という意見があることはわかった。後は、やはり算学者に任せるしかなかろう」
そう言うのに合わせたかのように、土蔵の1階入り口から『椿井庚太郎様が奉行所に到着した』と告げる声がした。




