位取り記数法と、練炭需要増の謎 <C2509>
八百膳・善四郎さんが突然現れて、そして唐突に消えてしまった座敷では沈黙が広がった。
その中で、一心不乱に手元の帳面に何かを書いていた勝次郎様が呆けたような声をあげた。
普段の会話としては充分小さな声なのだが、奇妙な静寂の中、とても大きく響いた。
「『位取り記数法』って、何でしょうか。数の単位を桁で代用する方法なんて理屈、聞いたことがありません」
実物を見たことはあっても、義兵衛以外は初めて聞く言葉のはずで、漢字でどう書くか迷ってのことだろう。
義兵衛は、図面があった場所に残る紙に『位取り記数法』と書いて示した。
「数値毎にその位を示す単位を付けず、その数字の位置によって暗黙で単位を示す方法です。実際に算盤で数を置くのと同じで、多くの数を帳票上で集計するのに向いているのです。一の位の場所が重要なので、そこに印を付けたり、また桁数が大きい場合に判りやすいように3桁目や4桁目に目印を入れることもあるのですよ。
こういった概念や方法にも呼び名を付けると、説明がしやすくなり周囲への理解が深まったり、新しい考え方が浸透しやすくなるのです」
突然魔法が解けたように千次郎さんが声をあげた。
「善四郎様は座の先行きが見えないと相談に来たはずなのですが、義兵衛様の小道具で誤魔化されたのではありませんか」
「いえ、善四郎さんの悩みの根本は、新たに座に加わる料亭・料理の順位付けにあったのですよ。今の340軒にしても、ほぼ善四郎さんが判断されていると思いますが、上位陣の1割程度はともかく、中位を占める大半の料亭についてはその中で上下を付けるのは大変だったのではと思います。相撲であれば土俵の上で勝った・負けたで傍目からしても明らかですが、こと料理での勝負は僅差を判断するのは容易ではないはずです。いい加減な順位を付ける訳にもいかず、かといって何の特徴もない2つの店に優劣の判断を示す訳ですから、判断されるほうとしてはたまらない思いをするでしょう。また、善四郎さんも料理には正直ですから、判断される料亭側の思いを汲んで苦しんだはずです。
そこに、前聞いた時点では160軒の追加申請、おそらく今はそれに追加される数百軒の料亭です。眩暈がしていたのでしょう。
これを自分では手を下さずに、どこかで魔法のように順位が付けられる仕組みの話なのです。文句を言われる責任ある立場から離れて、何の責任もなく文句を言える側に回れるのです。しかも、文句を言う相手は人や料亭ではなく、順位を決める基準・方法なのですから、誰一人として凹むことはなく、憎まれることもありません。
そういった事を全部話せた訳ではありませんが、善四郎さんのことですから悟ったのではないかと思います」
実際にどうやって順位を出すのかについては、『食通の方からの報告』『報告内容を集計』としか言っていないし、どう計算して集計するかを説明した訳ではない。
しかし、そこには何かあると善四郎さんは踏んだのだろう。
ともかく、瓦版屋での実演を見るのが先、そのためには小道具が必要、と先を読んで動いたに違いない。
どうも善四郎さんにとって、義兵衛はピンチを救う絶対的な存在に見えているのかも知れない。
「沢山の計算が必要だと言われましたが、具体的にはどうするのでしょうか。実演だけではおそらく理解できないと思いますので、前もってお教えくだされば大変助かります」
以前の需要供給曲線を説明した時のようなことが起きるのではないか、と安兵衛さんは心配したのであろうが、何の下調べもせずに実演だけを見てしまうと、おそらくその時以上に困るに違いない。
そして、実際の所、義兵衛自身も定かに判っている訳ではない。
『そのためには、簡単な解説書を作ったほうがよさそうだな』
竹森氏がそう言うのを受け止めて義兵衛は話した。
「方法については、関係者にきちんと理解して頂くためにも、まず考え方を説明した書き物を作ったほうが良いように思います。実際に運用するには、善四郎さんにお願いした4~5個の評価項目を使うことになるのですが、説明は原理を解ってもらうため、項目数をかなり限定したものにして書いてみましょう。そうですね。最低でも2~3日は必要でしょうか。
それで、項目が増えるごとに計算の量はその平方の数という感じで、馬鹿でかくなってしまうのです。小道具はこの馬鹿でかい計算を少しでもやりやすくするための道具なのです」
「では、内容は別途教えて頂くことになりますが、その旨も含めて殿(北町奉行)には報告します。ことによっては、當世堂の所ではなく北町奉行所内で関係者を集めて実演して頂くことになるやも知れません」
義兵衛に押し切られた安兵衛さんは、今後起こるであろう事の予測を口にするのがやっとであった。
場違いな話題が続くことを嫌がったのか、千次郎さんは話題の転換をしかけてきた。
「まあ、これは八百膳と當世堂、それに奉行様がからむ話で、道具にせよ説明書にせよ実際に物が出来てからの話にしても良いではありませんか。
それよりも、萬屋が仕入れている練炭の量のことで、相談の続きです。大番頭の忠吉にも入ってもらいましょう」
千次郎さんは大声で大番頭を呼びつけ、忠吉さんが座敷に入ってくると話を続けた。
「練炭の搬入のことです。金程村は登戸の支店で受け付けた以降は川路なので、登戸での個数、名内村は陸路なので根岸の蔵に搬入される個数を出しています。佐倉藩からの練炭は寒川湊の蔵で受け入れた以降は海路なので、寒川湊での個数を示しています。いずれも、この受入れした時点で相応の金額を期末に支払う証文を出しています。
この個々の数値を見ると、金程村からの練炭は薄厚練炭で毎日4万個、普通練炭で換算して約1万個相当。名内村からの練炭は毎日7千個。佐倉藩からの練炭はもっと増えると思っていましたが日産1万個を超えたあたりから増え方が減り、1万1000個で頭打ちとなっています。
注目して頂きたいのは佐倉からの練炭で、工房を2ヶ所持ち、最終的には10ヶ所まで広げる予定と聞いておりました。にもかかわらず、工房あたりの生産量が金程より少ないというのが腑に落ちません。搬入数量が少ないというのは、年末に佐倉藩へ支払う金子が少なくて済むという利点はあるのですが、大々的に練炭を流行らせるためには佐倉の生産量に期待していたところが大きいのです」
木野子村の工房から、宮本村へ工房を広げることになっていたはずで、それは1ヶ月ほど前のことだ。
拡大したものの、生産が安定するには2~3ヶ月かかるのは当然であろうし、木野子村から支援者を出すのであれば、その分木野子村の生産量は落ちて当然とも考えられる。
そして、宮本村の生産が安定してから、次の村、おそらくは岩富村に工房を置くであろうと睨んでいた。
義兵衛はそういったことが推測されると千次郎さんに説明し、とりあえずは納得してもらった。
「佐倉からは日産3000個もあれば、当初の販売計画通りで済むと見ていたはずです。それを8000個も超える搬入がありますから、七輪や練炭の販売を押さえなくても良いのではありませんか」
「いえ、御武家様からの問い合わせが増えており、七輪の販売実績から算出された計画を上回る練炭の需要があるようなのです」
大番頭の忠吉さんは額に汗を浮かべながら販売数量の推移を説明してくれ、そして年末までの予想を報告した。
ただ、義兵衛は武家に直接販売した覚えがないにもかかわらず、問い合わせが増えているという所にひっかかりを覚えた。
御城での七輪披露は10月1日だが既に準備が進んでおり、ある程度大名やお役人方の耳目には触れているに違いない。
そこまで考えた時にハッと思い出した。
「椿井家の借財を申し入れしてきた方々に、断わりの無礼を抑えるため、七輪と練炭を土産に持たせておりました。何家にいくら渡したかの記録はありましょうから、それと突き合せれば、需要増加の原因がそれかどうかの見当がつくかも知れません」
練炭不足を表面化させないように、萬屋からの七輪販売は値を上げることで絞っていたつもりだったのだが、椿井家からの贈答分が結構ある可能性に義兵衛は思い当たった。
ただ、こちらは御殿様の判断であるため絞り様がない。
流石に二度・三度と借財の申し込みをして都度お土産を渡すようなことはしていないと思いたいが、七輪1500文・練炭350文が2個の物である。
市価2200文の物を黙って貰えるなら、訪問する用人の面子を変えて日参でもしかねない。
義兵衛の発言に販売計画に見直しの匂いを嗅ぎ取ったのか、忠吉さんはゲンナリとした表情になった。
「これは、練炭350文の値下げの頃合いと言いましたが、そうはならない感じですかね」
千次郎さんの提案は振り出しに戻ってしまった。




