練炭商売 <C2507>
いつもと違いゆるゆるとした足取りで日本橋・具足町にある萬屋へ3人は向かっている。
実際のところ、北町奉行所の直ぐ側にある呉服御門を通って呉服橋で御堀を渡ると、そこはもう日本橋である。
なので、日本橋筋(中橋広小路)を京橋まで、商店の様子をみつつぶらぶらと歩き、京橋手前の所で左に折れるとそこが具足町となる。
結局の所、日本橋から京橋まで、今の世で言うところの『銀ブラ』をしているのと何ら変わりない。
「昨夜や今朝の御様子からもっと厳しい詮索なりがあると覚悟しておりましたが、こちらの心算もすっかり狂ってしまいました。土蔵で昼飯時になると、そこで食べる食事は弁当という不文律が当家の家臣の間では出来上がっており、今日の昼はどこの弁当かな、と内心期待していたのですが、あてが外れてしまいました」
「夏の興業で、武蔵屋の幕の内弁当がはやってから、色々な料亭が弁当を売り出しておるのです。それを取り寄せるのが奉行所では流行りなのですよ。
八百膳が作らせた弁当箱が大層評判で、どの料亭も同じ大きさの弁当箱なのです。八百膳では店の銘が押印されている弁当箱しか引き取りませんが、この同じ大きさの弁当箱であれば、状態に応じて値は変わりますが、幾何かの値で引き取って貰える場所もあるので、出された弁当をそのまま持って帰る者も居るのです。
誰も噂すらしませんが、この弁当箱も義兵衛様の仕込みでしたよね。江戸に流行る物の内、私たちがかかわったものを幾つか目にすると、ちょっと誇らしい気持ちになりますが、誰もその始まりを気にすることもないのですよ」
安兵衛さんや勝次郎様と小声で他愛もない話をしているうちに、直ぐ萬屋の前まで来てしまった。
萬屋の丁稚は広小路の角を曲がってきた義兵衛の姿を認めるや否や直ぐさま大番頭の忠吉さんを呼び、義兵衛が暖簾を潜る前に店頭に飛び出してきた。
「ようこそ御出で下さいました。まずは、奥座敷へお上がりください」
義兵衛は忠吉さんに先導されて土間を通りながら店の帳場の様子を横目で確かめつつ、千次郎さんが待つ座敷に案内された。
土間から座敷の上がり框に腰をかけて草鞋を脱ぎ座敷に上がると、上座に座らせられた。
「今、八百膳へ使いを出しました。善四郎さんもおっつけ来ると思います。興業の話はそれから、ということで宜しいですか。
それで、まずはこの萬屋の状況を聞いて頂きたくお願いします」
千次郎さんは、まず七輪・練炭の売れ行き具合から報告し始めた。
基本は店頭での現金売りとしているが、武家や大店からの引き合いの場合、特段の申し出がなければ丁稚が届けることにしている。
そして、最近は武家からの問い合わせが増えつつある。
「御武家様の場合、それぞれ付き合いのある薪炭問屋がございまして、その出入りを無視する訳には参りません。そこで、出入りの薪炭問屋を確認し断わりを入れてから丁稚が運ぶ段取りを取ります。ただ、今の所物が少量なのでこれで済みますが、冬本番になると大量に買い付けということも起きましょう。そして、支払いの方も店先で現金と交換という訳には参りますまい。そこで、お出入りの薪炭問屋にそれなりの数量の七輪と練炭を預け、御武家様に渡した分の問屋名義証文をこちらに渡すことを承認してもらうよう頼み込んでおります。もっとも、それなりの数量と言っても、各店毎に七輪が10個と練炭が100個という程度ですから、おおよそ10両分
を預けているようなものでしょう。これをバラ売りするのも、まとめて納めるのもそこは任せております。全部掃けて10両の証文が入ってくれば、また七輪10個と練炭100個を取りに来させます。七輪が不要な場合は、その分を練炭50個上積みして持たせます。そろそろ練炭も積みあがってきておりますので、1個350文から下げる頃合いかと見ておりますが、10両まとめ売りというのは便利ですから、練炭の個数を増やして対応することになると思っております」
薪炭問屋の寄り合いで、七輪・練炭に限り萬屋のし放題という言質は取っているものの、今後のことを考え、一定の数が出る場合は出入りする薪炭問屋の扱いにさせる方法を取ったようだ。
そして、その物流の上位に萬屋を置き、そこから多少安価に七輪・練炭を仕入れる方法を組み込むことで、従来出入りしていた薪炭問屋の営業を妨害しないよう工夫している。
そして千次郎さんの上手い所は、10両証文の運用なのだ。
これを七輪とか練炭の数量で証文とした場合、値段の変更がどこまで遡及して反映させるのかが争議の焦点となりやすいのだが、店舗で売り捌いて次商品の入手時に、季払い10両という売掛金を載せるという形であれば、萬屋の持ち出しがあるにせよ問題は少なくなる。
「これは上手い方法ですね。10月にどんどん売れ始めても、このやり方であれば各薪炭問屋が萬屋さんへ証文を持ってきて、対応する量の七輪やら練炭を持って行ってもらえば済みます。なにより、御武家様側からの取り立てが出入りの薪炭問屋で治まる、という所が良いです。
問屋の寄り合いではもう話されましたか」
「はい、このやり方を話して承認されております。なにより、これを扱う商家・問屋側には何の損もありません。
七輪・練炭の方は上手く回り始めており、このままで行くと練炭を生産している佐倉藩や名内村、それに椿井家への年末での支払いは問題なく行えそうです。
それで、実は卓上焜炉と小炭団の方なのですが……」
秋口から小炭団の需要がとても増え、登戸の店・中田さんを経由して小炭団の供給を増やしてもらおうとしたのだが、上手くいかなかったようだ。
そこで、この場で改めてお願いしたい、という話を長々とされた。
「実の所、練炭の大所を季払いとしたことで売掛金はどんどん積みあがってきているのですが、現金が相変わらずの状態なのです。現金を得られる小炭団は恰好の商品なのですが、こちらは在庫を睨みつつ出している状態なので、これをなんとかしたい、と考えておるのです」
どうしても現金が必要であれば、薪炭問屋から回ってくる10両の証文を本両替商に持ち込むと1枚につきおおよそ9両の現金を融通してもらえる。
今の世でも約束手形(小切手)を銀行で割ってもらうとそれなりの手数料が引かれる。
それは世界的にも金融先進国であった江戸時代でも率は違えども同じ理屈で、平たく言うと売り上げの1割を黙って持っていかれるのだ。
キャッシュフローを改善するためには、現金化しやすい小炭団の扱いを増やしたい、ということなのだ。
「これは難しいです。今は不足するであろう練炭に注力しているため、いくらお願いされても直に増産という訳にもいきません。
長い目で見ると悪手になるかも知れませんが、小売り値段を1~2文上げてみませんか。需要を抑制できることと、安価な類似品が出ることを期待できます。
そもそも、練炭の供給量が少なかったのが根本原因ですから、佐倉藩の工房があと2~3立ち上がれば、金程村の工房も一息つけることもでき、そうなってからであればご要望に応えることもできましょう」
義兵衛とて、椿井家に会計が完全把握されている練炭より、工房会計扱いで椿井家からあまり見えていない焜炉や小炭団の取り扱いを増やしたいという思いが少しはある。
ただ、何事にも時期があり、今は『無い袖は振れない』ということを判ってもらうしかない。
「別件ですが『10月の行事が落ち着いたら、一度里へ戻って良い』と御殿様が申されました。丁度良い機会でもあるので、華さんを里へ紹介しておきたいと考えておりますが、いかがでしょう」
強引ではあるが話題を変えてみたところ、千次郎さんの顔色は真っ赤になった。
「いやあ、そのような話は、この後で本宅でしてみてください。実の所、せっつかれておりました。お婆様や華が喜びましょう……」
この話を遮るように、八百膳の善四郎さんが店に飛び込んできて、座敷に突進してきた。




