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庚太郎様の考え <C2505>

■安永7年(1778年)9月25日(太陽暦11月13日) 憑依254日目 小雨


 昨夜遅くに屋敷に帰り着くや否や、御殿様は精神的に、義兵衛は精神+体力的にも疲労困憊していたのか、真面な受け答えをすることもなく皆寝てしまった。

 それでも義兵衛は若いからか比較的回復が早く、朝の内にはスッキリと立ち直ることが出来た。

 それは、早朝に養父・紳一郎様が部屋に来て『義兵衛に代わり助太郎を屋敷に詰めさせる』という御殿様の一言は、義兵衛の困った顔みたさの冗談であったことを伝えられたことが大きかった。


「お前は将来金吾様(御殿様の嫡男)の家老職に目されておる。こちらに来てからは、家の経理の立て直しにばかり尽力しており、若君とはろくに親交しておらぬのであろう。奥方様も気にしておられる。それゆえ、義兵衛が長期に渡って里に引き籠りすることはお許しならぬ、と見ておる。昨日『義兵衛は里へ籠り、代わりに助太郎を詰めさせる』と言っておったが、これは単に困った顔を見るための戯言・冗談とのことである。

 ただ、買い付けた米の運搬に目途さえつけば、多少はゆとりも出来よう。僅かな期間ではあるが、許嫁を連れて里帰りし爺様(細江泰兵衛様)に披露すること位は出来よう」


 こう告げられはしたが、椿井家としての内部のことはともかく、19日に行われる一橋家主催の料理比べ興業宴席に御殿様が参加することによる事前の根回しがどう影響するか、全く見えていない。

 ただ『そこ以外に懸念があるか』と問われれば、よほどの突発事項でもない限り、出番はないようだ。

 そして、御殿様も大きく係る玄猪行事(10月最初の亥の日、この日から江戸城内では冬の暖房が使えるようになる。また、大名には夕刻から玄猪餅が下賜される。安永7年では10月1日:太陽暦11月19日が己亥・『つちのえき』に該当)の後始末、というより城内練炭需要の本番期になる。

 しかし、事前に物資の集積さえ済ませていれば、必要な部署に配り管理するだけの業務に過ぎず、過大な要求が発生した時の調整が多少ややこしくなるだけで、御殿様の先見の明をもってすれば、おそらく充分に準備できているであろうことは疑いない。

 そのあおりを受けて、萬屋へ七輪・練炭を買い求めて殺到する武家方の様子が目に浮かぶのだが、夏場から売り物を山のように蓄えてきた萬屋では、顧客相手の商売としてはどうということがないに違いない。

 むしろ、薪炭問屋の座での話の進め方、商材としての七輪・練炭の扱い方が焦点となると思われるのだが、こちらは千次郎さんとお婆様でさんざん繰り返し考えていた事態なのだから、今更義兵衛の出る幕でもない。

 そうなってくると、難儀を避けるため里に籠るというのも満更ではなさそうだ。


「紳一郎様、一橋様の件が無事終われば、若君に知行地の様子を知って頂くために一月ばかり一緒に里へ行く、ということは可能でしょうか。若君は10歳までは寺子屋通いのため里で過ごしておりますが、それ以降は江戸の屋敷詰めで御座いましょう。今の御殿様のように里人を慈しむようになるためには、寺子屋で得た村人達との繋がりを再度持つことも要りましょう。是非、御殿様にもお勧めください」


 寺子屋で若君と一緒にいた村人は、一人残らず金程村の工房で働いている。

 里では外でのんびりと遊ぶ子供はもうだれ一人としておらず、皆知行地が栄えること・生活水準の向上を信じて主家のためにひたすら働いている。

 働かされている。

 そして、その旗印が御殿様であり、次世代は若君が担わなければならない。

 若君が江戸詰めのままでは、子供達の変わり様も知らず、折角作った領民とのつながりが希薄となってしまうことも残念なのだ。


「うむ、甲三郎様が村人や里に居る家来達を指揮して新田開発を始めておったな。あのように領主一族が先頭に立って領民と働く里は稀と聞く。視点にもよるが、その姿は理想ではあろう。それを維持し、里がますます発展するためにも、今若君を里へやるというのは確かに良い考えかも知れぬ。

 今日のところはいずれにせよ、殿が田安定信様の所へ行き、溜まっている話をせねばならぬ。供に義兵衛は加えぬつもり故、ワシから殿には意見しておこう」


 その話の最中に安兵衛さんと勝次郎様が義兵衛の部屋に入ってきた。

 すると、紳一郎様は義兵衛との話を切り上げ、軽く会釈をして部屋を出ようとした。


「昨夕は土蔵の一階で膝を付き合わせておりましたが、皆二階を気にして何の話もできませんでしたこと、残念に思います」


「いや、それはお互い様。必要があれば、どのような話であったか、それぞれ殿から聞くこともできよう。まあ、義兵衛のことゆえ、両名に黙秘できぬことは、殿も承知しておろうがな。無理はせぬことじゃ」


 勝次郎様と紳一郎様は極普通の挨拶のように言い交わして入れ替わった。

 部屋から遠ざかる足音を聞き、周囲に人がいないことを耳で確かめると、勝次郎様が言った。


「今日、萬屋へ向われる予定であれば、その前に北町奉行所に寄って頂きたくお願いします」


 これは、意次様からの宿題である『治済様へ事前説明』資料作成のための手助けを求めているに違いない。

 しかし、これはどうにも手伝える案件には思えない。

 とりあえず一回はしらばっくれてみた。


「今日は萬屋へ行くつもりはありませんでしたが『奉行所へ』とは、一体どういったご用件でございましょうか」


「いや『昨夕話せなかったこともある故同行させよ』とのことでした。庚太郎様の供として田安家に行くのであれば、その後でもかまいませぬが『今日中に』と急かされております。昨夕、何があったのかは知らされておらず、とまどっております」


 安兵衛さんが実直に説明してくれた。

 確かに、裏で手を回すということであれば、いろいろと言えないことばかりである。


「なるほど。では、まず北町奉行所ですね。養父・紳一郎へ確認してから出かけることに致しましょう。帰りに一度萬屋に寄るという感じでしょうか。千次郎さん経由で八百膳さんに状況をお知らせすることは必要でしょう。壬次郎様の用人・新五郎様では、伝えきれていなかった参加者の話などもありましょう。そして、千次郎さんは不在でも、忠吉さんはおりましょうから、練炭の売れ行き具合なんかは見えてくるでしょう。それはそれで、今の椿井家にとっては重要なことなのです」


 なんだか義兵衛が主体で動かねばならない場面は減ってきているようだ。

 今日の予定を養父・紳一郎様に伝え許可を取っている所へ御殿様が顔を出してきた。


「先ほど紳一郎から金吾を一月ばかり里へやってはどうか、との進言があったが、それはお前の発案か」


「はっ」


「中々面白いことを考えたものよのぉ。金吾を送る時期は考えねばならぬが、里周辺の広い範囲で街道筋や村々の様子を見せてやってもらいたい。特に、里を守るために重要な拠点がどこか、抜けはないかを探すのが目的じゃ」


 義兵衛等3人は意味が理解できずきょとんとした顔でお互いを見ている。


「判らぬか。大飢饉の時に、食料を求めて大勢の人が移動して来ることも考えられよう。此度のことは、そういった難民と化した百姓から里を守る合戦とワシはとらえておるのだ。川崎街道は、登戸・大丸の2個所でくいとめ、津久井道は登戸で抑える。江戸からの影響はここで食い止める。ただ、背後にあたる相模国からの抑えはまだできておらぬゆえ、どこかで鶴見の方へ誘導させる必要があろう。そういったことも考えておる。

 各地の代官所に蔵を作ってもらう案も、そこで勢いを止める仕組みとして見ておる。甲州街道の要である府中に、救い米を蓄えた蔵があれば、八王子からなだれ込んでくる百姓一揆の勢いは多少なりとも留まり、お上が対策を打つ時が稼げるであろう」


 これには参った。

 領民を守るには、飢えさせぬようにするには、自分の知行地だけでなく、その周囲も飢餓で苦しまないようにする方策が必要なのだ。

 そこまで考えていなかった義兵衛は思わず感嘆の声を上げてしまった。


「なんと」


 この声に御殿様はニヤリと笑った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 言われてみれば。 さすがは殿様。視点が違う。
[良い点] 憑依で二倍の思考力とはいえ、大丈夫かなあ。なんとか先駆け巫女さん使えたらいいんだろうけど。経済片付けつつ、防衛やら大丈夫かなあ。
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