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縁者へ金子を貸さない椿井家 <C2504>

 義兵衛が『木炭加工で椿井家が得る利益は3万両』と宣言しており、他領での指南により上乗せして得られる分も含めてどうにかこの金額に届きそうな目途はある。

 ただ、七輪・練炭が売れなければ、かかえる負債はとんでもない金額になってしまうので、今は想定通りに売れたらという皮算用の上での話ではある。


「確かに借財を求めて当家にやってくる縁者は多い。

 だが、そういった御仁が屋敷に来た折は、長屋に積みあがっている七輪の山を見せ『当家はこれを作るため底知れぬ借財を抱えておる。これが年末までに掃けぬと御料地を返上せねばならぬことになろう。是非売り出しに協力して頂きたい。借財が掃ける頃にはきっと多少なりともご希望に沿えるやも知れぬ。もっとも、売れるより屋敷に積みあがっていく七輪は今日も増えているのだがな』と説明しながら見せている。実際に毎日七輪を載せた大八が屋敷へ来て荷を置いていくのだ。

 大方の者は、これを見てそれ以上の申し入れはせず帰っていく。

 それでも手ぶらで返す訳にはいかず七輪1個に練炭2個つけ土産に渡しておるが、その折にも日本橋・具足町の萬屋では『七輪1500文、練炭350文』で売っておると伝えておる。使えば良さは判ろうが、借財をしようと言う家では、追加購入はできまいのぉ。精々宣伝して質入れ・質流れすることになろう。

 そのような次第じゃ。不義理はしておらぬ。」


 1個1500文(37500円)で売られている物が長屋の部屋一杯に置いてある上に、毎日それなりの数のものが積みあがっていく様子を見させることで、椿井家が在庫=負債を抱え込んでいると認識させ、貸せる金子は無いことを刷り込んでいる。

 飛ぶように売れることが判ってしまった時の対応も考えているのだろうか、と疑問を感じてしまう。


「甲三郎が『それでは1万両の不足』と言っておったが、3万両はもう手元にあるということか」


 景漸様(北町奉行・曲淵甲斐守様)が切り込んできた。

 これには義兵衛が答えるしかない。


「いえ、萬屋に卸した練炭の売掛金が、年末でおおよそ3万両になるだろうということです。実際には七輪を卸す利益と、他領に指南した分として売り上げに応じた金子を椿井家の売掛金に付け替える約束となっており、それでおおよそ1万両となる見込みでした。練炭以外の件については、甲三郎様が仕官なされてから具体化した部分なので詳細を御存じなかったのではないかと思います。

 それから、売掛金の用途は金子の運用とし、椿井家はその利息を年貢、つまり家の収入として扱うというのが私の提案でございました。しかし先ほど、殿がこの売掛金を代官所へ貸し付ける運用と披露されましたので、その方向で進めることになりましょう」


 義兵衛が話す詳細内容は、安兵衛さんや勝次郎様の報告で既に認識されているはずなのだが、あえて言わせた意味は何だろうか。

 考え込む義兵衛を見て、殿・庚太郎様が話しかけてきた。


「義兵衛、その方の管理しておる利益の全部を御公儀のまつりごとに回すこととなる。

 空っぽになった長屋を見せた後『得た利益は全て御公儀のために用立てた』とでも説明すれば、縁者からの借用依頼を多少なりとも捌くことができよう」


 木炭加工や七輪製造販売の経理については、椿井家の家計とは別枠扱いとしており、萬屋での売掛金を中心に義兵衛の管理下に置いた別会計となっている。

 その別会計で扱う利益と七輪は、確かに一時的に全部掃けるかもしれないが、後年代官所からそっくり利息が入ってくるようになる。

 こちらは、どういった勘定扱いにするのかまでは何も決まっていない。

 ただ、御殿様の案は利息や返済を強要できない縁者からの借金は最小限に抑えることができそうなのだ。


「庚太郎、まるで商人のような発想をするではないか。

 今時には珍しい異能を持つ者が、この先は定信様の用人に収まるというのは勿体無いことじゃ。そちの代わりに義兵衛はもらえんかのぉ」


「いえ、意次様はすでに巫女・富美を押さえておりましょう。そちらの知識を充分活かせばよい話です。女性ということで扱い難いところはあるやも知れませぬが、要は待遇でしょう。それに、義兵衛も特段拘束せずに今のままの扱いとするのが、お上にとっても都合が良いと思います。勝次郎様や安兵衛さんが常時護衛についていることで、きちんと結果が出ていると感じています。

 うっかりと出てしまった何かの失言で、滅すべき者となっては困りますゆえ」


 意次様の要望に間髪入れず反論してくれた。


「よし。

 では神託の件は、明日にでも私から上様と西丸様に伝えることとしよう。表に出るのは、巫女・富美と庚太郎だけで、義兵衛は現状通り秘匿する。椿井家の羽振りが良いのは、優秀な家臣達が育ってきたこと、特に里の百姓から優秀な者を家臣として仕官させたことまでは話すかも知れぬ。

 それから代官所の蔵の件は、評定所で皆に諮ろう。代官所への指図と借財のとりまとめは勘定方で行う方向で良いな。子細については、別途組頭と庚太郎で話し合うことになろう。

 庚太郎は、急ぎ定信様への事前説明を行え。景漸は、明後日までに治済様へ事前説明する範囲についての案をまとめ、ワシに報告せよ。それを元にもう一度集まり、見落としがないか吟味致す」


 意次様の締めで緊急の寄り合いは終わった。

 田沼親子・甲三郎様が退出した後、景漸様は大きなため息をついた。


「壬次郎様を経由して武家側の興業を主催するよう進めた、と聞いた時は早まったことをしてくれたものよ、と思った。だが、そろそろ執政される方々へ明かす時期だったのかも知れぬ。

 城下の町民でも町年寄りを中心に、米不足を想定した救民対策を行う方向で動いておることが知られてきている。せっついたのは萬屋だが、義兵衛がからんでおることは安兵衛から聞かされておる。細かく調べると、椿井家の動向も含めて全ては義兵衛が糸を引いておるのが見えてくるのだが、それを隠して庚太郎殿が矢面に立つという格好になるのであろうな。

 田安定信様が随分と勢力を張りそうな雲行きだが、意次様は定信様の性格も含めて承知されておることなのであろう。その手綱を握る役目が庚太郎殿とは。お互い、随分と難しいお役目を割り振られたものですな」


 後世における定信様は、寛政の改革を主導したことで高い評価を得た時代もあれば、経済音痴で硬直した考えの政を進め現実を見なかったとして低く評価する向きもあった。

 田沼時代の政治を賄賂一辺倒とこき下ろし、もって悪評としている史観との兼ね合いから、両者はシーソーのように評価されているのだが、このあたりについて竹森氏から詳細に聞いた覚えはない。

 おそらく巫女・富美からの伝聞情報なのだろうが、景漸様が定信様の酷い人物評の概要を伝え聞いているのだろう。


「いえ、これからの働きが領民を飢えから救うことに直結しておるのです。今までは序盤に過ぎません。気合を入れてお役目を果たさねばなりません」


 ここからが勝負所と見た力強い庚太郎様の発言に景漸様は大きく頷くと、これで用は済んだとばかりに土蔵の階段を先導して下に降りる。

 階下からは、養父・細江紳一郎様が心配顔で見上げていた。


「心配するようなことは何もおきておらぬ。子細は屋敷へ戻ってからじゃ」


 庚太郎様が声を掛けると安堵した表情に変わった。

 同心・戸塚様や勝次郎様、安兵衛さんはこのまま土蔵に残り、それぞれ景漸様への報告を行うようである。

 義兵衛は担いできた挟み箱を持ち、置いていた大小を付けると、紳一郎様が掲げる提灯を先頭に屋敷へ戻り始めた。

 屋敷への帰りはもはや深夜で人通りもなく、3人だけの足音が響く。

 先導する紳一郎様の直ぐ後ろを庚太郎様が、そして僅かにその後方の左側にすこしズレて義兵衛が並ぶ。


「義兵衛、この先は今までと同様に歩き回るのは難しくなってしまったなぁ。買い入れた米の搬入が一息ついたら、そちは江戸ではなく里へ引き籠っておるのが良いかも知れぬ。萬屋のことは、萬屋へ任せておいても良いではないか。

 それで難があると言うのなら、お前の代わりに助太郎を屋敷に詰めるというのはどうじゃ。今回の機微を何も知らぬ者ゆえ、問題は少なかろう。義兵衛はどう考える」


 道行きの中、振り向き加減で庚太郎様の左後ろに義兵衛が控えており、それを見越して話を振ってきた。

 庚太郎様が考えた方策は、それはそれで手なのだが、流石に萬屋とのかかわりを助太郎に代わる訳にはいかない。

 設計・製造担当は、いきなり営業・経理のコンサルを担当できる訳がない。

 それに、萬屋の娘・華との婚姻をどう進めるのか、こればかりは代役で済ませられないのだ。


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