義倉・社倉を作る資金貸付案 <C2503>
「椿井家の者や巫女の富美・義兵衛に叛心が無いことは判っておる。未曾有の大飢饉が迫っておる中、民が飢えぬようどうすれば良いか知恵を絞っておるのであろう。それ故、皆を危うくするのではなく、活かすことを考えるべきと思っておる。
それで『世を乱す』と判じる内容であるが、基本は将軍家の将来のことであり、これを上様に正直に話すべきか迷っておるのだ」
意次様も随分迷っているようだ。
「正直に話すということであれば、西丸(将軍嫡男・家基)様の件、意知様の件、上様(10代将軍・家治様)の寿命のことをまず明かすことになります。私は田安定信様に神託の内容と、西丸様と上様、それに京におられる天子様の件を話しております(第270話)。当然ではありますが、最初に聞かれた折は激高され、あやうくその場で殺される所でございました。しかし、既に意次様が動き、具体的な対策を取り始めていることを知ると、それ以上は先をお知りになりたいとは思わなかったようでございます。
予言には2種類あり、天地の異変はこれを知った所で変わりませんが、人事や生死はこれを知ることで対応でき、予言の結果が変わること、それの因果で以降起きるハズの人事が別なものに変わることなどを予め説明し理解しておいてもらうことが重要かと考えます」
義兵衛の言葉に意知様は大きく頷いた。
ここで話題に上がった意知様は、天明4年(1784年)3月24日に江戸城内で佐野政言に切りつけられたことが原因で4月2日(5月20日)に絶命する、という神託の内容は充分知っているに違いない。
おそらくは、巫女・富美の口から語られたそうなるに至った経緯も聞かされていることだろう。
要点を押さえて対処すれば、城中刃傷も避けられるのだ。
そして、意知様が生きることで、その後の歴史が大きく様変わりするのは間違いない。
「私も自分の最期について巫女が語っている内容を聞かされ『人はいつしか死ぬもの』という真理を改めて考えざるを得ませんでした。そして、いつか必ずや来るであろうその時に、心残りが無いよう、また後世から悪評を受けぬよう我が身を律することが必要と肝に命じました。
まずは、上様と西丸様それぞれに巫女の神託を伝え、その内容から具体的な対策を取り始めていることを伝えれば良いかと存じます。その上で、対策したことにより神託が外れに近いものとなっていることをお話しすればよいのではないでしょうか。これは、定信(現田安家当主)様についても同じことでしょう。用心すべきは、神託が外れることで不利益を被るであろう治済(現一橋家当主)様への対応ではないでしょうか」
実際、田安家に当主として定信様が納まったことで、嫡男・西丸様に何かあった場合の将軍職相続順として一橋家の順位は確実に落ちる。
史実では、治済様の長男(現時点では6歳)豊千代様が3年後の天明元年(1781年)に将軍家の養子となり、弱冠15歳で11代将軍・家斉となるはずであった。
後世から見た結果として一番不利益を被るのが一橋家なのだ。
だが、このことを意知様が知っているということは、大丈夫なのだろうか。
ピクッと身を震わせた義兵衛を見て何かを察したであろう意次様は口を開いた。
「義兵衛、巫女が書いた将軍家の先の系譜について知る者は、ここにおる者が全てである。ワシとて上様に引き立てられて老中のお役目を果たしておるが、上様とて不老不死ではない。必ずや次の世代へ引き継ぐことになろう。そして、次は西丸様とそれを支える意知の番じゃ。巫女のことも含めて、知っておかねばならぬことと判断した。
次世代は西丸様、定信様、治済様を頂点に、意知が仕える構図じゃ。意知には椿井家の甲三郎を付け、そうすると義兵衛からの支援は受けられよう。それに、庚太郎は嫡男・金吾を西丸様に仕えさせるつもりがあろう。
景漸も次男を義兵衛に付け、当面同行させるつもりでおる。これも、先を睨んでの動きであろう」
「次男・勝次郎はほっておけば部屋住みとなる者ゆえ、義兵衛の特異な知恵の持ち方に慣れさせることで己の先を拓くことを期待して付けております。結果として物にならなくとも、義兵衛の盾にはなりましょう。また、私とて町奉行。流言飛語の大本を抑えておくことの重要性は認識しております」
「まあ、こういったことは判ってはおったが、義兵衛や椿井家の者達は生かしてなんとかするしかなかろう。
まずは上様へ、次いで西丸様へ、神託によって動いている者がおり、その者達の行きがかり上で料理比べの興業が始まったことを話さねばなるまい。それで神託の中身は4年後から始まる大飢饉であるが、その神託の正しさを証明するのが5年後の浅間山の噴火であっては間に合わぬ。神託の中に『京におられる天子様が来年の年末頃に崩御される』という件もあり、人事ゆえ外れる可能性もあるが、傍証の一つとなることをもって説明するしかなかろう。
重要なのは、これら以外の神託はないことと、世の人事が動いたことで新たな神託は得られぬようになったことじゃろう。
特に、定信様が田安家に戻られたことで受けた影響が大きい。もう動いてしまっておるので、巫女・富美の知らぬ流れになったと判じてよかろう」
どうやら方針が見えてきたようで、義兵衛は安心した。
「それで、庚太郎。大飢饉対策には米を貯めておく策に尽きるのだが、そちの里とは違い代官所への通達内容では苦慮しておる。代官に下知するだけでは何も進まぬであろうなぁ。それで思ったのだが、何か策があれば申してみよ」
大名や知行持ちの旗本へは自助努力でなんとかさせても、直轄地ではさすがに同じようにできないというのは判っているようで、金銭的裏付けを伴う具体的な指示を出せずに困っている様子が見える。
「はっ、恐れながら申し上げます。代官所から御蔵に送る年貢米について、まずは20俵につき1俵(=5%)は代官所に留め置くよう通達すれば良いかと考えます。勿論、両国の御蔵へ収まる米は不足しましょうが、御蔵にはかなり古い米も積みあがっていると推測しております。まずそれらを一掃する機会と考えても良いかと考えます。御家人達の禄切手について、不足する米に代わり一部は金子で支払うことを進めても良いと思います。
そして、代官所へは飢饉に備えた蔵を新設することを示唆なされてはいかがでしょう。ただ、その建設資金についていささか問題ではありましょうが、そこはまず村々に協力を仰がせれば済みます。
それでも目途が立たぬという代官所については、蔵設置で必要となる金子について、当家が木炭加工販売で儲けるであろう金子を飢饉用の蔵を作るという用途に限って代官所に低い利息で貸し付けても良いと思っています。
例えば金利は年5分で、返済は10年均等払いとか。
ちなみに、里で新に作らせた500俵入りの蔵は、1棟あたりおおよそ100両(1000万円)で作れております。そうすると、100両を代官所に渡し、毎年13両返済頂ければ、丁度10年で返済が終わりましょう」
庚太郎様は、萬屋に預けて運用させるのではなく代官所を管轄する勘定方を相手に運用することを考えていたようだ。
数字がすらすらと出てきたあたり、事前に何か計算していたとしか思えない。
確かに練炭を扱い始めた時『今年の年末には萬屋に3万両の売掛金を作る』と大見得をきった覚え(189話)がある。
そして、その後多少見込み違いはあるものの、なんとかそれに近い所までもって行けそうな流れになってきており、実現性の高い案に仕上がっている。
意次様、意知様、景漸様は、庚太郎様の話を最初はあきれながら聞いていたようだが、語る内容に理解が追いついてくるとその顔色が真っ赤になってきた。
「家に借財が無くなり羽振りが良くなってきているのは感じておりましたが、代官所に融通するような金子があるとは……
旗本の知行地を含め、天領は400万石でございますから、年貢160万石の5分で8万石、つまり米20万俵。500俵入りの蔵だと400棟で、必要となるのは4万両。
ええっ、4万両にもなりますぞ。それだと1万両の不足ではないですか。兄上、それだけの蔵を新規に準備する金子を、御公儀の勘定方を経由するにせよ、代官所に貸す金子を椿井家が負担すると言うのですか。
それだけの金子があるのであれば、その前に縁者や同僚から借財の申し込みがかなりありましょう。大分不義理をなさっておるのではないですか」
甲三郎様が悲鳴のような声を上げた。
細山村の新田開発を進めていた時に資金が足りず、いろいろな縁を頼って工面した時の苦労を思い浮かべたに違いない。




