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恐い話 <C2502>

『大飢饉の神託について詰めておく』というのはどういうことか理解できていないという表情が表に出ていたのか、意次様が義兵衛の顔を見ながら言葉を重ねた。


「義兵衛、極論を言えば、お前を生かしておくかどうかの覚悟を決めておく、ということじゃ。

 今回だけ凌げれば良い、という訳にはいかぬ。宴の席で出た話から疑念が起きれば、後ほど上様か西丸様・御三卿のどなたからか再度呼び出しがあるであろう。そこまで来て矛盾が露見し、たばかられたと思われれば、もう後は無い。

 さすれば、神託の話が出た時に、それを語った巫女・富美について、そしてワシがその身柄を預かっておることを話さねばならぬ。

 必ずや興味を持つであろう上様(将軍・家治様)にその身を差し出す必要もあろう。ただ、あの富美が立場をわきまえているとは思えぬのじゃ。そこから先に起きるであろうことを口にするとなれば……」


 皆が黙り込む様を見て庚太郎様が口を開いた。


「まずは治済(現一橋家当主)様が、次いで定信(現田安家当主)様が排除されましょう。いや、その前に恐れ多いことですが意次様になりましょうか。

 意次様はまつりごとを私し賄賂を欲しいままにしているとの讒言で、治済様は現将軍家の血筋を乗っ取るとの讒言で、定信様はまだ何の実績もありませぬゆえ苦しくはありましょうが将来さきに禍根を残すことなきようにと。そうなると、水戸中納言(徳川治保)様も関係なしとはなりませぬが……」


「おやおや。これは皆これまでの料理比べ興業で武家側の主客となられた方ばかりではございませぬか。

 今仰られたのは、御公儀の中枢を固めておる御方ばかり。誰がどうやって排除するのか、はたまたできるのか。

 察しの良い庚太郎殿は気付いた上で口には出しておらぬとは思いますが、巫女と義兵衛、それにかかわった庚太郎殿、甲三郎殿、知っていて義兵衛を泳がせていた私の身が危ういのですぞ。座の興業ですが、これを隠れ蓑とした慶安の変(由比正雪の乱)の再来などと、あらぬ疑いをかけられる恐れがあることを直視なさいませ」


 曲淵様の発言に、言い出した庚太郎様より甲三郎が真っ青な顔になっている。


「これ、脅すではない。そうならぬように、疑念を持たれぬように動くための方策を考えるために集まっておるのじゃ。

 ここに居る者だけが知っていることだが、240年後の知識を持つ者を我々で押さえていることが、この世にどのような利益と害悪をもたらすのか、そこが重要であろう。

 このことを、上様に隠匿したままにしておくべきなのか、それとも上様と西丸様にどうお伝えすべきなのか、いささか迷っておる。上様にお伝えした後ならば、治済様と定信様にはお伝えできよう。ただ、治済様に仕えておる壬次郎は責められような」


「隠匿するということであれば、巫女と義兵衛の身は直ぐにでも消し、事後報告するしかありませぬ」


 意次様の発言を受けて意知様はこともなげに断じた。


「うむ。隠すのであればそうするしかないが、この知識を得ぬままに葬ってしまうのはあまりにも惜しい。椿井家の勢いが盛んになっておることは感じておろう。ほんの少しの知識に触れるだけでこうなるという見本なのだ。この知識を使って天下をより良くするのが務めであろう。

 巫女の身柄を確保したのは、この6月ゆえ吟味に4ヶ月を要したというのは早いほうであろう。神託の真偽は後3年後の浅間山噴火の時まで待つしかなく、新たな神託が出ぬか、不用意に神託が流されることがないようその身を預かっているというのは誠であるから何の不都合もない。

 ただ、こういった背景があった上で、巫女にかかわった椿井家の兄弟が揃って田安家・一橋家、それに意知の所と懇意になっておることは、偶然とは言えぬほど恣意的なものを感じる。そのあたりも言い訳が必要であろう」


「それはあまりにも、でございます。

 田安家と隠れてつながりを持つよう景漸様から命じられましたが、実際は意次様からの御指示でございましょう。そのやりとりの中で甲三郎が見出されて意知様に仕えるようになったのが経緯です。田安家と縁を戻す方向となったことで、一橋家とは距離を置く格好になったため間を取り持つことができるよう壬次郎を一橋家に推しましたが、これまた経緯は良くご存知でありましょう。

 壬次郎の件は確かに恣意的ですが、私と甲三郎は巻き込まれただけ、と言っても良い位です。

 ともかく、私は明日にでも定信様の所へ、ことの次第を事前説明しに参るつもりでおりました」


「いや、治済様に『武家側料理比べの宴を一橋で仕切る』ことを吹き込んだのは、壬次郎経由とは言え庚太郎であろう。この捌きは見事ではあるが、今の状況・姿勢を変えねばならぬ羽目になったのは、その方のたくらみである。それゆえ、方策を聞くため呼び出しておるのだ。それとも何か、これも義兵衛の企みとでも申すのか」


 突然名前が出たことに義兵衛は驚いた。


「いえ、義兵衛ではなく私の考えです。練炭作りを旗本・杉原殿と大名・堀田殿のところへ広げたのも私の考えで、義兵衛はその命に従ったにすぎませぬ。

 神託の件は、すでに上様には伝えられておられましょう故、その噂を信じて当家は知行地の民を守る施策を打っているに過ぎませぬ。そして、その手段として目に付けたのが、木炭加工で才覚を表した義兵衛を仕官させたことです。後は、木炭加工品である小炭団・練炭を売り捌くために萬屋とのつながりを使い、火を使う料亭を取り込んだこと、興業を仕掛けたことで、これは治済様にお話した通りでございます。

 かなめは、神託が一定の人には流布されており、上様もそういった噂がありそれを信じている者が動き始めていることをご存知か、という所です。そこがしっかりしていれば、あえて先の知識を得ている者がいることに言及せずに済みましょう」


 流石に御殿様は、意次様の問いに良い応答をしているように見える。

 大飢饉への備えを宴席での話題の中心に寄せれば良い、という案なのだ。

 ただ、そこへ強い関心を向けるエサがいるに違いない。


「申し上げます。米の価格のことで勘定方が嘆いておりました。豊作の時は安くなり百姓は困る。飢饉の時は高くなり民は困るということをまぜて話されてはいかがでしょうか。旗本・御家人が困窮する一因として禄を金子に替える時に価格の変動から不足が起き、借財を増やす切っ掛けになっている、ということは興味を惹かれるかと思います」


 義兵衛は御殿様が直前に言っていたことを思い出し、思い切って切り出した。

 しかし、意知様がまず反論してきた。


「いや、それは全く響かぬ。そもそも列席の方々は銭・米を得るという所に携わっておらぬゆえ、実感が無かろう。体験しておらぬものは興味の持ちようもあるまい。家禄に頼っておる方々ではないのだ。

 今は、どうやって特定人物への関心・秘匿しなければならない事への言及を避けるかを考えねばならぬのだ。

 庚太郎殿の思う方向へ興味を引くというのは、確かに一案ではあるが、後から腑に落ちないことがあれば召し出されて個々に問われることにもなろう。そこが懸念すべき点なのだ。

 ならば、予めある程度までのことを上様と西丸様に伝えておく必要があると思っているのだが、その程度を決めておこう、という主旨で集まっておることを忘れてもらっては困る。間違えれば、ここにいる一同、腹を切るしかないのだぞ」


 どうも大人の腹の内を探るような会話は、意図するところが判り難くて困ってしまう。

 いずれにせよ、義兵衛の発言は意知様によって即座に否定され、改めて振り出しに戻った。


「それは、椿井家でこの件の関係者を一橋様や田安様にかかわることから外し、上様の庇護下に置こうという考えでしょうか」


 甲三郎様が、その先に起きる内で一番おだやかな着地地点であろうことを口にした。


「場合によっては、そうせざるを得ないであろうな。そこら辺りが落とし所か。

 庚太郎殿は定信様の用人にと望まれておるが、それはあきらめてもらうしかあるまい。壬次郎殿も同じであろう。上様か次世代を担う西丸様になるのかは判らぬが、少なくとも世を乱す可能性は排除せねばなるまい。そのまま生かしておくのであれば、だがな」


 意次様がボソッと恐いことを言った。


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