八百膳との繋ぎ・和田新五郎様 <C2499>
義兵衛達はいつも報告で案内される座敷ではなく、玄関脇の使者の間に案内された。
そして、そこには見覚えがある一人の御武家様が先に待っていた。
「義兵衛と申します。どこかでお目にかかった覚えがあるのですが……」
「私は和田新五郎と申し、磯野家の用人をしております。何度かお目にかかってはおりますが、言葉を交わすのは初めてでございます」
勝次郎様と安兵衛さんも同様に挨拶を返した。
暫くすると紳一郎様が部屋に入って来るなり、こう告げた。
「義兵衛。まだ殿は屋敷に戻っておらず、そのため里や登戸などの首尾は、後回しでよい。
この後直ぐに新五郎殿を連れて八百膳へ行き、善四郎殿へ紹介してもらいたい」
「どういった件となるのでしょうか」
「10月の料理比べ興業の件で、西丸様(将軍・継嗣の家基様)が参加される武家の宴席は一橋様が仕切る方向で進めることで、当主の治済様が了解なされた。これは、殿の実弟・磯野壬次郎様が一ツ橋様のお側に控えることになるため、その筋を使って殿の案が献策できた。そして、壬次郎様はその下準備を任されておるのだ」
義兵衛は思わず膝を打った。
どうすれば良いのか、考えあぐねていた次回の料理興業の姿が、義兵衛の脳裏に浮かんできた。
紳一郎様はその様子を見て、ニヤリと笑った。
「義兵衛、お前だけが知恵者ではない。現に、殿はお前より先を見て、手を打っておる。そして、より相応しい人を動かそうとしておる。一人では何程のことも出来ぬが、幾人もの人を動かして物事を成すことができておるのだ。お前も今までの働きでそれなりの信頼を得ておろう。向後は、自分が率先して動くのではなく、能力のある者を見出してそれを動かすことを心得よ」
奇しくも、里の爺様と同じような説教をした。
「はっ。しかと心します。それでは早速八百膳へ参りましょう」
椿井家江戸屋敷から八百膳まで約一里、徒歩で半刻ほどかかる場所にある。
一行4人は義兵衛、新五郎様が並び、勝次郎様、安兵衛さんが少し後を並んで歩く恰好となっていた。
義兵衛は新五郎様に小声で話しかける。
「それで、壬次郎様は一橋様に、どのように利を説かれたのでしょうか。ここを履き違えると、みっともないことになります」
新五郎様は、小さく唸った。
「細かな所までは判っておりませんし、今ここで私が話せるようなことではありません。
今日の所は八百膳に顔繋ぎしてもらい、武家側の仕切りを一橋様が行う方針となることだけを伝えるのが目的です。
それ以降の話は、一橋家の用人となられました磯野家に出向いて頂いて行うことになりましょう。
武家には武家のやり方があります。御三卿として西丸様をもてなす順などは、殿(磯野壬次郎様)が一橋家・家老から必死で教えを請いている最中でございます」
新五郎様がぽつぽつと言い訳のような物言いをするが、立場上そうなるのは理解できる。
たかが武家の宴会とは言え江戸幕府の最上位に位置する人達の集まりで、皆八代将軍吉宗様の孫達なのだ。
従弟会を誰が仕切るのか、仕切るべきなのか、と判るように切り出したに違いない。
おまけに、一橋家の定治様(28歳)が今回の言い出しっぺで、田安家の定信様(旧松平定信様、22歳)を出し抜いて西丸様(家基様、17歳)に好い恰好をつけたかったという想像までできてしまうのだ。
子細は御殿様へ報告した時に確認すればよく、今はともかく新五郎様の目的を助けるだけに留めることにしたいと考えた。
「頼もぉ~」
義兵衛が八百膳の通用口で声を掛けた。
今や八百膳で義兵衛の立場は大したものとなっており、どんな要件にせよ表門から自由に出入りして良いと言われているのだが、客でない上に主人・善四郎さんを伴っていない状態で表門から入るというのは遠慮している。
しかし、丁稚達は通用門に立つ義兵衛を見て、奥へ注進する者、あわてて表門へ誘導する者と大慌てになった。
料理屋として夕刻からの混雑時の突然の来訪なので、なるべく迷惑がかからないように、というつもりであったのだが、どうやらそうはいかなかったようだ。
要件が主人への面会だけと申告すると、店ではなく厨房奥の客間に案内された。
「これは義兵衛様、突然の御訪問に驚いております。今食事を用意させておりますので、しばらくお待ちください」
「いえ、今回は来月の興業の件で至急お知らせすることがあり参った次第です」
義兵衛は、西丸様を招いての武家側興業は一橋家が主催となり、仕出し膳料理の座はこれに協力する恰好となること、一橋家と座のつなぎは、一橋家に新たに召し抱えられた磯野壬次郎様となっていること、今回はその用人である和田新五郎様の挨拶を仲介していることを一気に説明した。
「旗本・磯野家用人の和田新五郎と申す。このたびの料理比べ興業につき、一橋様から殿(磯野壬次郎)へ『段取りを含め興業を円滑に進めるよう』との下命があった。八百膳とは今まで縁がないゆえ、椿井家の用人・義兵衛殿に案内を乞うた次第である。
期間が短い上、寸毫も間違いが許されないことゆえ、今後とも緊密に連絡を取りたいと考えておる」
新五郎様から挨拶をしたものの、若干上から目線なのは気になるところだ。
一応、これで今回の要件は済ますことができた。
「はい、本日昼間にも一橋様のご家来から同じ内容の連絡がありました。ただ、つなぎの方がはっきりとしておらず、こちらからの連絡をどうすれば良いか困っていたところでしたので、幸いでした。
早速、内容を詰めていきたいと考えております。
どうしても必要な内容は、開催日・場所・出席人数です。いつ、どこへ、何膳お持ちすれば良いかだけでもお聞かせ願えませんでしょうか」
もともとの興業予定は10月20日なのだが、町民を交えた興業日より遅く開催することはあり得ない。
すると、一橋様の所での武家向け興業を20日にして普通の興業を遅らせるか、あるいは20日より前に武家向け興業を行い予定通り普通の興業を20日とするのか、の2択になる。
いずれにしても準備期間としては日があるようで結構短い。
「うむ、実の所まだ詳細は何も決まっておらぬ。判り次第知らせよう」
善四郎さんは首を竦めた。
「善四郎さん。私も突然知らされたため、中身がどこまで考えられているのかは知らないのです。ただ一橋様との窓口は新五郎様と決まりましたので、この先のことは磯野様から新五郎様を通して指示があると思います。私もお殿様から聞いた内容をできる限り早くお教えしますので、座の皆様への周知はよろしくお願いします」
「判りました。今後ともよろしくお願いいたします。
ああ、この後は夕食を召し上がりますでしょう。生憎、普通の客席の間は埋まっておりますが、幸い離れの2階は空いておりましたので準備させているところで御座います」
離れの部屋は密談などに使う席で、しかも2階席は滅多に使うものではない。
急なこととは言え、善四郎さんがかなり無理しているのは判る。
「いえ、御大層な食事は御無用にして頂きたいです。色々とせねばならないこともまだ積みあがっておりますので、この座敷で軽く、ということでしたら御受けしますが」
義兵衛の申し出に、善四郎さんはすこしほっとした表情を見せた。
その後、この席で軽い夕餉を頂いて八百膳を辞した。
「それでは、私は磯野家の屋敷に戻ります。噂にきく八百膳でもてなしてもらえるかと思いましたが、いささか残念ですな。
それはそうと、今後もよろしくお願いしますぞ」
新五郎様はこう言うと義兵衛達から足早に離れていった。
「磯野家の用人・和田新五郎様ですか。八百膳と折り合いをつける交渉役としてはちょっと難があるかもしれませんね」
安兵衛さんが不気味なことを言う。
しかし、とりあえず用は済ませたので、後は屋敷に戻るばかりである。
きっともう御殿様(庚太郎様)が屋敷で待っているに違いなく、やはり足早に屋敷へ向った。




