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江戸への帰り道での問答 <C2498>

 多摩川を渡り、猪方村を過ぎたあたりから、また三人で和気藹々とした様相で話が盛り上がってきた。


「義兵衛様、登戸村で安兵衛さんが『天領に義倉・社倉を設ける』と言われたことに『簡単にはいかない』と答えて理由を話されませんでしたが、どういうことでしょうか。

 あの場にいた加登屋さんには聞かすことではない話、ということでしょうか」


 勝次郎様が、新しい思いつきが聞けるのではないか、という目をして話を振ってきた。

 安兵衛さんも知りたかったようで、でも聞き出すことができずにいた、という雰囲気が伝わってきた。


「いえ、たいしたことではありません。あの場で説明すると長くなると思っただけなのです。

 それと、安兵衛さんは、もう少し民寄りの考えが出来ると思っていたのに、あまりにも御武家様目線の発言だったので、少しがっかりしてしまいました」


「あれ、そんなに武家目線の発言でしたっけ。これは驚きです。どこがどうだかはっきりと理由を知りたいですね」


 安兵衛さんが憤然とした声色で義兵衛に抗議する。


「『執政される方々に届けば、義倉・社倉を設けさせる方向へ一気に傾く』と言われましたが、御公儀は代官を通じて『飢饉に備えるために蔵を作り、そこへ米を蓄えよ』と指図するだけでございましょう。知行地であれば、そこを管理する旗本がなんとかしましょう。しかし、知行地を持つ旗本と違い、蔵を作り、米を蓄えさせる代官が大勢居るようには思えません。大方、年貢を取りまとめる名主に、費用負担も含めて丸投げするでしょう。そうすると、大方の村では身動きが取れません。

 これが、簡単にはいかない主な理由で、ここまで踏み込んで考えていないことが明白だったので、御武家様目線と言ったのです」


「しかし、椿井家ではそれ以上のことが出来たではありませんか。500石の知行地で670石もの蓄えを持つことができています。御触れに沿えば、25石(63俵)もあれば充分なところ、籾米俵ではあるが約2000俵も積みあがっているではありませんか。

 必要なことをきちんと伝えれば、工夫を重ねて達成することも出来ましょう。登戸村や金程村が良い実例です。目的意識、目標をしっかり定め指導することが、まずは大事なのではありませんか」


 確かに椿井家の知行地である細山村・金程村・万福寺村・下菅村はこの1年で飢饉を1年間凌ぐ量の食料を確保できた。

 そして、登戸村や大丸村では、御触れ対応としては充分な量を、たまたま確保することができた。

 でも、3年~4年も不作が続くことから全然足りておらず、まだまだ積み増しを必要としている。


「椿井家や登戸村は特異な例です。取れ高100石について5石を別枠で用意するなんて、普通は無理ですよ。

 例えば昨年の金程村の実情をお話しましょう。

 金程村は表の石高は80石ですが、実施に取れる米は72石(180俵)程度です。約半分の35石(88俵)が年貢ですが、村で木炭を作りそれを売った金子の15両を年貢に振替えることで、20石(50俵)を館に納めます。そうすると手元に130俵(52石)残り、これが総勢50人の1年間の食い扶持となります。単純な勘定では5俵(2石)残ることになりますが、村でどうしても必要なものは買い付ける金子が必要で、その分米を売ることになります。1年かけて作った180俵の米は、翌年の収穫までにすっかり消費されて全く残らない、という図式なのです。

 もちろん、端境期でも20石程度は名主の家で確保しており、不作の折でも1年間であればこの備蓄でなんとか遣り繰りできています。豊作の年もありますが、そういった年は米価が安くなるため、想定以上に米を売る羽目になり、備蓄を増やすのが難しいのです。

 こういった状況で、一遍の触れを出されて4石(10俵)もの米を余計に確保させるということは、なかなか出来る訳がありません。飢饉の時の米を確保するために百姓が餓死する、などと言うことも起きかねません。ましてや、そのための蔵まで、村の力を使って建てさせることになるかも知れないというのは、悪夢でしょう。

 私は単に木炭を売るのではなく、加工して付加価値を付けて売ることで利益を得る仕組みを作り、これがたまたま上手く行っただけなのです。どこの村でも上手くいくとは限りません。むしろ失敗する方が多いでしょう。

 普通の村は、どこでも似た様な感じだと思っています」


 具体的な数字を挙げたため、いささか長い説明になってしまっているが、要は、昨年の金程村ではとても対応できない御触れで、それは他村も同様であろう、ということなのだ。

 ただ『知行地を持つ旗本がきちんと対応できるか』と言うと、そうとは思えないのも確かなのだ。

 大多数の知行持ちが、自家の家臣を代官として知行地に送り込み、主に年貢の徴収をしているだけなのだ。

 その意味でも椿井家は、養子に出た磯野壬次郎様も含め、特異な存在なのかも知れない。


「義兵衛様、今の説明で理解したことがあります。

 つまり、村を維持するには米以外にも一定の金子が必要で、その金子は村から余剰あるいは無理して捻出した米を売って得ている。

 一定の金子を得るにあたり、豊作の場合は並作の年に比べより多くの米を売らねばならないので、結果として村に余剰の米が残らない。不作の場合は、米に高値が付くので無理する範囲も小さくて済み、その結果なんとか食料は足りて村がかろうじて維持できる。

 どうでしょうか」


 勝次郎様が少し変わった視点から状況を説明してくれたのだが、これはこれで江戸時代の米主体経済の弱点・正鵠を得ている。


「勝次郎様、素晴らしいです。村における米と金子の関係という面で、その考え方・理解はおおよそ合っています。

 実は、扶持米を得ている旗本・御家人と札差との遣り取りも同じ仕掛けなのです。ただ、旗本・御家人の場合は、米切手に書かれた禄毎の数量が一定であり、売る米の量は豊作・不作で増減されるようなことはありません。従い、豊作の時に得る金子が減るという形になります。ところが、旗本・御家人の家ではいつも一定の支出があるため、豊作の時に不足する金子を札差から借りることになり、その時に利息がかかることを見過ごしているため、困窮の度合いを強めるのですよ。

 極論ではありますが、収入を増やすために奨励した新田開発が、米の供給を増やして米価を下げることになり、長い目で見ると固定の禄をもらっている旗本・御家人がどんどん困窮していく遠因にもなっているのです」


 安兵衛さんがブスッとした顔でこの話を締めくくった。


「とんでもないことを言ってくれましたね。これを報告したら、義兵衛さんは奉行所の土蔵で勘定奉行様や勘定組頭様と膝詰めで話をすることになります。今の時期、土蔵暮らしは辛いですよ。まあ、勝次郎様のことですから、すっかり正直に報告されるでしょうから、これは確定ですね。覚悟しておいてください。

 それで今やっと察したのですが、代官所に対し義倉・社倉を設ける示唆をしなかった理由は、その辺りのことを察していたからではないのでしょうか。安直に『天領にも一気に広がる』と言ってしまった前言は、撤回します。

 御老中・田沼様をはじめ執政される方々は、代官所や民・百姓のことを我々よりもよくご存知なのかも知れません」


 確かに、能天気に御触れを出してしまうと、天領で一揆が続発する可能性をも秘めている。

 飢饉が迫る今、米を作る機運を下げることだけはしてはならないのだ。

 一人黙々と歩くより、感覚的には遥かに短い時間で移動できている感じである。

 それぞれが笑ったり渋ったりする話をする内に、椿井家江戸屋敷に到着し、門番に声を掛けた。


「ただ今義兵衛が戻りました」


「おう、義兵衛か。まずは御家老(養父・紳一郎)様に帰着を報告されよ。

 それから、直ぐに八百膳に向うことになるであろう」


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