新工房での話 <C2495>
「ここで立ち話をしていても始まりません。準備も出来ていると思いますので、新しい工房に行きましょう」
ここで作業する人の業務毎に建屋を振り分け、人や物の動線をはっきりさせることで大量生産できる体制を作っていることが判る。
助太郎は出迎えに出てきていた人達を解散させ、仕事に戻るように伝えると、工房の物の流れを管理している春さんに帳面を持ってくるよう言いつけて新しい建屋に入っていく。
その入り口横に応接できる部屋があり、ここへ案内された。
随分と変わった工房の様子、質素な部屋の様子を眺めていると、春さんが分厚い資料を持って入ってきた。
「そうキョロキョロしなくても。木野子村で工房を立ち上げた時の経験を生かして設計しました。米蔵より、里の中で金子を産み出す所の整備が先と館に進言したら、下菅村や万福寺村の蔵より優先して建屋を作る人を回してもらうことが出来ました。
ここの働きで年貢を村内に留め置くことが出来たり、村で必要な道具なんかの金子の清算を館で一括して行うことになったので、大人たちの目が大きく変わり、運営についても協力的になりました。細かいことですが、今まで細山村・下菅村の名主が上席でしたが、最近は金程村が上席ですよ。
あまり意識していなかったのですが、館では毎年予算を組んで里を発展させようとしておりました。細山村での新田開発なんかがそうなのでしょうが、工房での稼ぎがそういったことに比べてとんでもない金額になることが認識されると、力の入れ所がすっかり変わりました。新田のために投入していた人手や金子が全部工房に仕向けられたのです。
私が佐倉に行っている間、大人たちが米さんや梅さんの上に立って差配しようとしたのですが、それから上手く回らなくなってしまったようで、生産管理をしている春さんも、結構辛い目にあっていたようです。
私が佐倉から戻ってきて実態を把握すると、館の爺様を引っ張り出して、工房の指揮権を取り戻して建て直しをしたのです。毎月、登戸の炭問屋から売り掛け金の状況報告が館にあり、それを見ると一目瞭然なので、館の爺様は大人の報告より春さんの管理簿を信用してもらえた所が大きかったのです。
丁度食事の用意もできておりますので、それを頂きながら春さんから最近の状況の報告をして頂きましょう」
春さんの分も含めて5人分の膳が用意され、それに皆が箸をつけながら春さんからの報告が始まった。
「この昼食は、工房の皆にいつも提供されているものです。順次交代しながら食事を取ることで生産を止めないようしております。また、主だった連絡もこの食事中に行うことをいつもしており、私の報告も普段と何ら変わらないのですよ」
春さんはこう前置きしてから、日毎の生産状況、その推移について諳んじてみせた。
毎日2万個の薄厚練炭(標準で5000個相当)を生産し登戸へ送り込んでいるが、それとは別に14万個もの薄厚練炭を在庫として調整しながら工房内に保管している。
春さんはあえて金額には言及していないが、薄厚練炭の本来想定している市中売値は1個75文、登戸への卸値は40文(1000円)になる。
つまり、毎日金200両(2000万円)の売り掛け金を生み出し、金1400両もの在庫をかかえていることを説明している。
安兵衛さんは、萬屋での標準練炭売り出し価格1個300文、薄厚練炭は1個100文を知っているので、金500両を日産し3500両の在庫を抱える里という印象を受けているに違いなく、報告を聞くうちにだんだん顔が強張っていった。
ざっと概算しても年間15万両の生産をしており、たかが500石の旗本でありながら30万石の大名に匹敵する勘定を持つことになる。
この時代で、30万石以上の大名は15家、仮にその半分の15万石以上にした所で約30家しかいない。
丁度15万石の大名家は、伊予松山藩(親藩)・豊前小倉藩(譜代)・播磨姫路藩(譜代)・越後高田藩(譜代)・出羽米沢藩(外様)の5家あるが、一介の旗本である椿井家はそれらの藩よりも確実に実入りが上なのだ。
そして、それをしっかり支えているのがここにいる助太郎ということに思い至ったのか、安兵衛さんは体を震わせた。
「それはまた、何とも凄まじい……。この実態を我が殿が知ったら、一体どう思うのやら……」
安兵衛さんが感想を口にするのを遮るように、助太郎が続けた。
「それでこの建屋ですが、今まで作っていた薄厚練炭の生産とは違い、強火力練炭を量産する工程を考えて作っています。
ただ、この強火力練炭を上手く使いこなすには、今まである七輪の構造では実力が出せないことが判ってきました。そこで、色々と考えて新しい形の七輪も試作しているのです」
今主力として生産している練炭は、燃焼時間をある程度長くするため、原料の粉炭が一定時間でゆっくり燃えるようにしている。
しかし、強火力練炭の原料となる粉炭は、不純物が少ない、燃えた後に出る灰がより少ない物が好ましいことが判っている。
そのため、粉炭の製造工程・木炭の選別から別物としている。
そして、強火力練炭は一気に燃えるよう工夫を重ねた結果、練炭の底面から空気を吸入する従来の七輪では威力が発揮できないため、新たな構造の七輪を研究するため、新しい工房の一角に新規七輪を作る場所も設けており、助太郎はそれと思しき方角を腕で指し示した。
「ただ、この工房を建て直してからの実験なので、あまり時間をかけることができておらず、思ったような成果が出ておりません。しかし、今流行の練炭が落ち目となる来春の終わり・夏前を量産開始の目処としたいと考えております。皆様の食事が終わりましたら、この新しい工房の中を案内致しましょう」
丁度昼食を食べ終えお茶に手を出している勝次郎様は、この場で行われている報告の内容が意味するところがまだピンと来ていないようで、小声で安兵衛さんに『何が凄まじいのでしょうか』と聞いている。
安兵衛さんは同じように小声で応えているが、丸聞こえになっている。
「まだ子供にしか見えない春さんからの報告なので、腑に落ちていないのかも知れませんが『椿井家は30万石の大名相当の勘定です』と報告していたのですよ。これは夢の話ではなく、今まさにここで起きていることで、しかもあんな子供然とした百姓娘が平然と口にしているのです。そして、それがここでは食事中にする当たり前の話ということです。御殿様への報告は任せましたよ」
勝次郎様の驚く顔を尻目に、一足先に部屋を出た助太郎は義兵衛を工房の方へ手招いた。
量産ラインの手前の試作用のセルラインがあり、ここで米さんが真っ黒になって作業していた。
「あっ。これは安兵衛様ではありませんか。みっともない所を見られてしまいました」
突然の再会で恥じ入っている様ではあるが、顔も木炭粉まみれで顔色も判然としない。
「義兵衛様、助太郎様の作られた強火力練炭を見本に、どう作業すれば皆でも同じ性能のものを作れるのか試しているのですが、上手く行かないのです。他の工房へ行かれていろいろと経験を積んだ弥生さんなら同じように作れるのですが、核心部分が個人の技量に寄るのは工房としては問題ですよね。誰でも同じように作れる手順を探っているのですが、まだ工夫が足りていないのです」
義兵衛は見本となっている練炭を手にとって見たが、とても精巧にできていることが良く判る。
「助太郎、これでは同じものを作るのは難しい。燃焼時間の短縮を最優先とした思想は理解するが、このように精緻に作ろうとすると無理が出る。陸送する間に壊れてしまうような練炭では、使い物にならないぞ。
せめて、上下面とそれを支える柱、もしくは外周面ぐらいはもう少ししっかりと固めてもいいと思う。あと、燃焼時間が短かいと急速に加熱できるというのは利点だが、それが行き過ぎると料理が出来ないうちに火力が無くなる懸念も出てくる。実際に必要な時間がどれ位なのか、加登屋さんに確認しているのか」
どうやら、助太郎は実際にどう使われるのかという利用者視点を忘れ、火力の強化に没頭していたようだ。
義兵衛が強火練炭の性能・定格の見直しを示唆すると、助太郎はしばらく考え込んでから頷いた。
それからは、性能・定格の目標再設定・加登屋への確認事項・量産面で苦労しそうな点など、米さんも交えての討議が始まり、どうやら形が付いたのはもう夕刻であった。




