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井筒屋伝兵衛さんの要望 <C2487>

 八百膳から井筒屋までは約1里(4km)の距離があり、4人連れであるものの半刻(1時間)もかからずに到着することができた。

 予め屋敷からの伝令があり準備されていたようで、店前に到着した時には店主の伝兵衛さんが暖簾の下で丁寧にお辞儀をしていた。


「千次郎様、義兵衛様、御出で頂きありがとうございます。お供の方も存じておりますよ。ささ、お入りください」


 伝兵衛さんは一行を一番奥の座敷へ案内し、茶だけでなく菓子まで出され、丁寧に挨拶を交わした後、早速にも話が始まった。


「まずは、お願いされておりました籾米500石売り渡しの件から始めてよろしいでしょうか」


 まずは伝兵衛さんが状況を説明してくれた。

 米の売り渡し用として府中宿に近い是政村にある宝珠寺(西蔵院)に蔵を4棟借りていること。

 すでに運び入れが始まっており、9日後の10月1日(11月19日)に1850俵の籾米が用意できること。

 売り渡し当日の10月1日まで蔵は借りているが、10月2日以降に蔵を借りるかは義兵衛に任されていること。

 蔵は当面使われる予定はないと聞いているが、借り賃として1日4両(1日1棟1両が相場)必要なこと。

 平年並みの収穫であり、蔵前での公示では玄米100俵で38両近辺となる見込みであること。

 銀相場が下がっており、1両が銀58匁=5800文相当となっていること。


「通常玄米であるところを籾米にして集めるところからかかりましたので、いささか手間がかかりました。

 ただ、この集積・売り渡しについては、小金井関野新田にあるお代官様陣屋の世話役手代・高木三郎兵衛に勘定方から話が通っており、難事とはいえ名主への話が無駄なく行えたのは驚きでしたぞ。義兵衛様は良い伝を持っておりますな」


 米という軍事物資の扱いについて、どうやら御殿様経由で手を回してくれていた様なのだ。

 詳細に聞くと、特別な扱いをしてくれていたことが判明した。

 通常は収穫した米を籾摺りして玄米にして俵に詰め、これを年貢として代官所に収める。

 代官所は集めた玄米を船で幕府の蔵(蔵前)へ送り込む。

 幕府から蔵取り米・扶持米を禄として支給されている旗本・御家人は、年3回ある禄の支給日にあわせて禄の切手を蔵へ持ち込み、禄米を引き出し、一部を換金する。

 だが、この引き出しや換金は、今や札差屋が代行している。

 本来井筒屋は、代官の扱う年貢米以外米や、旗本知行地の米といった地廻り米を相手にした米屋だったのだが、代官所に挨拶に行った時に幕府の年貢米の一部をこれに充てても良い旨の話を聞かされた。

 つまり、代官所から蔵前へ米を送るのではなく金を送るということなのだ。

 但し、これは試しとして大々的に行うことではないらしい。

 このあやふやな経緯に義兵衛はかえって興味を覚えた。


「これは面白いことです。勘定組頭の関川様にことの次第を聞いてみましょう。

 それで、500石の籾米ですが、価格はいかほどになりましょうか」


「なんと、勘定方にもお知り合いがおられる。これは心強いことでございます。

 さて、価格ですが御公儀へ金子を納めなければならないこともあり、470両とさせて頂きます。内訳は……」


 伝兵衛さんの470両の内訳説明を細かく聞いているが、それぐらいはかかるだろうと思える内容で、値切ることもできない。

 説明が終わると千次郎さんが切り出した。


「伝兵衛さん。籾米を集める所の費用が重複しておりますよ。色々な村から運ぶ時に、荷を重ねておりましょう。個々に費用を出して明細にしておりますが、実態は異なりましょう。もっともそれを合算してもたいした金額にはなりません。

 それで、お上へは金子で納めることになりましょうが、その分を入れて言い値の470両の代金の支払いは萬屋から季末払いの手形で宜しいでしょうか」


 萬屋では現金店先売りをしており、実際には現金が余っているのだが、とりあえず季末の手形=借金として処理して貰えるようだ。

 その分、椿井家の売り掛け金=萬屋の借金は振り替えられるので、現時点で椿井家の懐が痛む訳ではない。


「金子が必要なのですが、こちらの話を聞いて頂けるのであれば、手形でも承知いたしましょう」


 どうやら、こちらのほうが呼びつけた主題に違いない。


「毎月開催されている料理比べの興業のことですが、初回の5月こそ席を頂けましたが、それ以降は縁がありません。今になって思えば、格別の配慮であったことがうかがえますが、当時はこのような格の興業とは思いもよりませんでした。次回の開催は、もうすでに大きな噂となっておりますが10月20日でございましょう。義兵衛様が起案された興業であることは承知の上で、是非次回興業にはこちらにも席を回して頂きたく、お願いする次第です」


「いえ、私には席をどうこうする権利がありません。また、確かに興業の始まりは関与しておりましたので、関係する方を推すこともできましたが、今は勧進元の八百膳さんが主体で進めておりますので、そのお願いについてはどうすることもできません……」


 義兵衛としては、断るしかないのだが、そこへ千次郎さんが割り込んだ。


「義兵衛様、次回は内容が大きくかわりましょう。確約はできませんが、席を取る方向で考えても良いのではありませんか。

 伝兵衛さん、次回はまだはっきりと決まってはおりませんが、今までのようなものとは違う内容・進行となる見込みです。それでも良いということであれば、行事の一席は無理かもしれませんが、この萬屋の面子で商家の目安席なりを確保する方向で頑張ってみますが、それで如何でしょう」


「ありがとうございます。興業の行事席は100両出しても手に入らぬ、と聞いております。普段滅多なことではお目にかかれぬ方ともお知り合いになれる席ということで、垂涎の的ともなっております。この井筒屋も何度か入札はしたものの、見事に振られっぱなしでした。

 興業では、町奉行様から始まり御老中様・田安様・水戸様・一橋様と主賓になる方にどんどん上の方が来られておりましょう。町奉行様と同席させて頂いた時は驚きましたが、参加できなかったそれ以降はもっと高位の方が居られました。

 それで、町年寄様は一席とは言え定席をお持ちのように、世話役席として萬屋さんも同席されております。井筒屋も何らかのお役目を務めさせて頂くなどかかわりを持たせて頂ければ、それが叶わぬということであれば、せめても次回の席を手配してくだされ」


 伝兵衛さんは千次郎さんにすり寄った。


「いや、席については確約はできません。しかし、要請に応えるということで状況だけは逐一お知らせしましょう。普通は漏らさぬ内輪話ですので、絶対に他には漏らさぬように願いますよ。その条件でご了解ください」


「しかたありません。千次郎さん、よろしくお願い致します」


「では、まずここだけの話としてひとつお教えしましょう。

 次回の興業では、西丸様(徳川家基様)が御武家様の筆頭・賓客となる方向で進めております。なので、今までの興業とはありかたを変えようとしており、商家の方は高位の御武家様と同席できません。

 今お教えできるのはここまでで、後は決まり次第順次ということでお願いします。それからくどいかも知れませんが、決して人にはお話しにならぬよう願います」


 伝兵衛さんは話の内容に驚きながらも頷き、宝珠寺(西蔵院)で籾米1850俵を引き渡す証文を出してきた。

 これで井筒屋さんでの用は片付いたようだ。

 千次郎さんはその場で470両を期末に支払う証文を書あげると、互いの証文を交換した。


「籾米引き渡しの証文については一端私が預かり、引き渡しは萬屋で行いますので、義兵衛様はしばらくお待ちください」


 萬屋の台帳で、椿井家向けの買掛金から470両を振り替える作業を済ませ、それから証文を渡してくれるようだ。

 井筒屋伝兵衛さんに見送られ、八丁堀の本宅ではなく、まずは日本橋・具足町の萬屋へ向かうこととなった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 井筒屋さん…聞いてしまったらもう後戻り出来ない話ですけど…それでも聞きたいですか。
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