次回興業の開催案 <C2486>
義兵衛は暫く黙って整理をし、考えを口にした。
「次回10月20日の興業は、増えた料亭を捌くため地区別に行った興業のまとめとして行う位置づけですから、今までの興業とは多少違ってもそう変なことではないと思います。
おそらく一番の問題になると思われているのは、西丸様(徳川家基様)が御武家様の筆頭・賓客として扱わねばならない点ですね。
そうであれば、御武家様達だけをもてなす場と、今まで通りの町民・料亭亭主が競技を行う場・日時を別に設けるというのはどうでしょうか。
今回に限っては、江戸の仕出し料理の頂点を競う料亭が集まる場ですので、表向きは競技を行うのではなく技術を披露する場として考えれば良いと思います」
これに八百膳の善四郎さんが異を唱えた。
「もてなす場を別に設ける、というのは良い考えかも知れませんが、御意見にパッと思いつくだけで2点、疑問がありますぞ。それは 興業の名目と、興業の収支についてです。
そもそも、仕出し料亭の座で番付表を出し、これに異を持つ料亭がその順位・地位を明らかにするために料理比べを行う、という体を取っておりましょう。当初全料亭の番付表を出しこれを基に競わせる興業をしておった訳ですが、座に加わる料亭がドンと増えたことから、義兵衛様の助言に従い本所・深川地区、浅草・神田・日本橋地区、芝・築地・京橋地区と3地区に分け、その各々で番付表を作り、それぞれの地で興業を行う方法となりました。では、その地区を超えた江戸全体を対象にした次回興業は、どのような名目で対象料亭が選ばれましょうか。今までの興業開催は当座をしのぐのが精一杯で、先の見通し・全体でのまとめの興業をどのように捉えるかを煮詰めておりません。そもそも次回興業はどのような趣旨であったのか、再度きちんと意義を考えておく必要がございましょう。それがここにきて右往左往する原因のひとつではないのかな、と思います。
そして、座が興業を行うために投じる費用と、それで得られる当座の収益の見込みです。今回の興業も、様々な所の協力があり、座としての利益はどうにか確保できております。興業を御武家様向けの接待の場と技術を披露する場という2回分を続けて行うと、売り上げよりも出費の増加の方が多くなりましょう。興業単独で収支が釣り合っておらぬと、長続きしないと諭しておられたのは義兵衛様ではございませんか……」
それぞれの折にした義兵衛の助言は上手い手のようにも見えるが、先を見通して深く考え抜いたものではなく、むしろその場しのぎに近いものであることが透けて見える。
ただ、先がこうなるという姿を義兵衛の中に居る竹森氏が意識している分、多少のブレはあっても時代の趨勢に沿っており、結果として上手く行き、それが義兵衛への信用につながっているのだ。
現状の興業形態について、言い出しっぺの義兵衛の責ともとれる善四郎さんの言いように、千次郎さんが噛み付いた。
「その2つのことは仕出し膳の座できっちり詰めておかねばならぬことのはず。義兵衛様は示唆されたに過ぎず、それを基に興業を動かした我等が負うべき責でございましょう。3地区興業の上に位置づけられる次回興業は、江戸市中の料亭の格付けに芯を通す作業ではないですか。それを投げるようでは、いくら名高い八百膳さんと云えども、興業の勧進元を務めることはできませんぞ。
地区それぞれの番付はありますが、市中全体の番付はありません。そこから考え直すのが妥当なのではないですか……」
それぞれの言い分が噴出する内に、義兵衛の頭の中で案がまとまり始めた。
義兵衛の姿勢が改まるのを見て、安兵衛さんは懐から矢立を取り出した。
「皆さん。荒削りではありますが、こんな方法はどうでしょう。
まず、興業の名目ですが、それぞれの地区代表が仕出し膳を出し、それぞれの地区の番付表の面目を争うという図式です。
具体的には、地区の代表を選んでもらう必要がありますが、今回はそれぞれの地区興業の責任者である勧進元、武蔵屋さんと百川さん、それに八百膳さんの3店から仕出し膳を出してもらいます。浅草・神田・日本橋地区の興業は本所・深川地区でも成功をおさめた武蔵屋さんが勧進元になりましたが、そこはやはり本来の勧進元・大元締めの八百膳さんが引き取るべきでしょう。ああ、最初の狙いであった料亭・坂本でも良いのですよ。
勿論、地区代表は武蔵屋・百川でなく、その地区の中の他の店に代わってもらっても良いのですが、面子がかかわっておりますので、事情を説明すれば引き受けることになるでしょう」
名目としてはこれで充分なようで、善四郎さんも頷いている。
「そして、収支についてですが、やはり御武家様達だけをもてなす場と今まで通りの興業に分け、興業の場での売り上げを収入として考えるしかないと思います。例えば6席程度に絞ってお料理だけを提供するとか、大名以上の方を御老中様に選んで頂くとかして丸投げしてしまえばよいのです。きっちりすると18膳ですが、予備の膳として倍量に見込んで36膳程を準備し献上すれば、膳所台所の吟味もできましょう。もっとも、全体としての出費は36膳の献上・提供だけでは済まないことは見えておりますが、ある程度の算段・見積もりはできましょう。
興業を2つに分けるのに拘るのは、食に対する安全確保の視点が庶民と大きく違うためです。西丸様が食されると判っている膳については、不備がないことを事前に徹底して確認を受けることになります。確実に居られると知られている場所には、不意打ちなど不測の事態がおきることを確実に防ぐことが求められます。そうなると、場所は城内で、食は事前の吟味が必須となると考えた次第です。
それから収支の面ですが、料理比べ興業が格として極めて高くなったことを存分に意識して売り上げを増やし、利益を組み上げれば良いと考えます。二手に分けたことで今まで通りの興業の方には高位の御武家様が参加されなくなったことで、より一層門戸を広げる方策も採りやすいでしょう。
その意味では、興業と同じ仕出し膳を頂ける場所を同時に開設した幸龍寺さんの実例は誠に良く、これを大々的に広げるのも良いと思われます。」
仕出し料理膳の座を仕切る善四郎さんが大きく頷いており、他の面々も萎れていた表情から明るい顔に変わってきている。
「実際にこの図式通りに興業を行うには、まだまだ詰めが足りず、思わぬ落とし穴もあるかも知れません。しかし、皆様の中に代案が無いようであれば、まずは私の案を叩き台にして、どうするか詰めてみてはどうでしょう」
ただ『言い出しっぺの責任』は免除してください、という心の声までは口に出せずにいた。
この心の声が届いたのか、横にいた安兵衛さんが矢立を置き、声を上げた。
「義兵衛様。そのような言い方で済ませると、また苦境に陥ると『義兵衛様の言い出した通りにしたら』と善四郎さんあたりが言い出しますぞ。いくら知恵者とは言え、そう都合よく適切な案が出る訳でもございませんでしょう。
例えば『御老中様に丸投げ』という話は、実際には夢物語で、実務は全てその配下、場合によっては仕出し膳の座に丸投げとなりましょう。座が全ての段取りを行った上で、御老中様の差配で全て仕切られた体を取るところまで知恵と努力を重ねていき、その全てを差し出すことで名前を借りることができる、というのが実態になりましょう。
それから、このように安直に案を示すと『困った時の義兵衛様頼み』が一層進みます。今回はともかく、この先も同様ですと結果として皆が困ることになりましょう。御一同様、義兵衛様の知恵に頼るのは早々止めるようにしてくだされ。
ではありますが、今回の件は、もう一度覚悟を決めて義兵衛様の示唆からどうするのが良いか考えてはどうでしょうか」
それから前向きな議論が活発に出始め、八百膳から皆に昼食が出される頃には基本的な方向などが決まり始めた。
「千次郎さん、私はこのあと深川・六軒掘の井筒屋へ行く用があります。おそらく手形の件がからみますので、御同行頂ければ助かります。それの用が終われば、具足町の萬屋本店に行く予定にしております。遅くなれば、店に泊まる了解も得ておりますので、よろしくお願いします」
「では、御一緒させて頂きます。それから八丁掘の本宅の方へお寄りください。お婆様も、華も喜びましょう」
昼食後、義兵衛達が八百膳を辞する時に、勝次郎様が八百膳の丁稚を借り、安兵衛さんに代わって随所への連絡手配をしているのに気付いた。




