握り飯 <C2480>
控室に残る御殿様の兄弟間でどのような説明がされるのか、確かに気にはなるのだが、まずは現場の火消しが優先と割り切るしかない。
義兵衛は余興の指示を行っている円福寺の境内にしつらえた天幕の中に入り、指示が揺れている理由を権禰宜さんに聞いた。
「競技の中心となる男坂86段の石段ですが、この石段の両側に銭を取って観客を入れています。色々考えて、片側30人・全部で60人までなら大丈夫と踏んでいたのですが、席が早々に完売してしまい、買い遅れた人が無理難題を持ちかけてくるのです。それで、経理を見ている円福寺の和尚が『席を増やせぬか』とねじ込んでくるのです」
86段の5段を使って2人座らせるという判断をしている。
石段の最初と最後の段には、係りの者を置き、応援団からも介助できる人を座らせている。
これを『2段毎に一人座らせればもう20人は増やせる』と申し入れして来ている、とのことで、いきなり5両もの収入増になることから神社としては断り難い状況になっている、とのことだ。
「今の時点で変更すべきではありません。途中でこのような変更を受け付けてしまうと、先に満席と断ってしまった人は大いに不満を持つでしょう。それをきっかけに擾乱が始まる可能性もあります。最初の取り決めと異なる動きは断固として拒絶すべき、と諭してください」
義兵衛は八百膳の善四郎さんを呼んでもらい、事情を説明して善四郎さんから和尚さんと取り巻きに説明してもらうこととした。
「この段階での余興について、予め取り決めた時の経緯がござろう。直前になっての変更は悪手ですぞ。瓦版で事前に告知した事がその通りでなければ、この人波であれば騒ぎ始める者が出ぬともかぎりませぬ。興業の開始前でございましょう。少しの騒ぎが大きく広がることで、お集まりの方々に醜聞が伝わっては困りましょう」
善四郎さんの強い懸念表明と、将軍に極めて近い筋に迷惑がかかる可能性を匂わせると、和尚さんはあっさりと折れた。
愛宕神社の石段の下にあったことから別当となってはいるが、比較的小さな神社でしかなく、無理が通らぬことを肌で知っているようだ。
何はともかく余興指導層である和尚から出た異論を納め、愛宕神社の権禰宜さんに決定権があることをはっきりさせ、そしてしっかり主導権を握らせておくことを確認した。
「興業の終了に先立っての余興の完了と衆の解散を行ってはなりません。先に余興で勝敗が決しても、それに続く行事を押し立てることで群衆を少しづつ解散させるよう考慮ください。集まるときはパラパラと三々五々とやってきますが、終わりとなった瞬間に一度に人は離れていきます。この時が一番危ないのです。
なので、勝敗が決した時点で、結果を知りたいだけの人を散らさせます。その後に退屈な式をだらだらさせておき、ここを離れる口実を設ければ結構な人は離れていくでしょう。ただ、この場合でも一度に離れさせてはいけませんし、だからと言って最初に流れを作らなければ離れる機を失う方も出ましょう。
最初の離れる機を作る策として、料亭・坂本に握り飯を4000個ほど作らせました。金杉橋と芝口橋の所で芝から離れる人にこの握り飯を配れば、ここから離れる切っ掛けにできると考えたのですが、どうでしょう」
坂本に声を掛けていたのはこうした目論見があってのことだ。
「義兵衛様、それは一見よさそうに思えますが、実の所どうかと思います。両方の橋に向かって集まった衆は一気に進むことになりますが、おそらく握り飯が足りません。煽られて橋に向かったにもかかわらず、握り飯を手にできなかった者は不満に思うでしょう。
むしろ、何かの出し物を見せて引き留め、残った衆が4000を切る辺りで振る舞い、一気に解散せぬように仕向けることに使えれば良いかと存じます」
権禰宜さんの方が上手に扱えるように感じた。
神社の例祭ともなるとそれなりの人出があることから、人の流れに見当がつくようだ。
「余興が終わったら、観客を主会場となっている円福寺の境内から女坂へと誘導して順次神社の境内へ案内します。男坂は清めが必要という建前で一般の人の立ち入りを禁じ、女坂は登り方向だけにします。
神社の境内では、臨時に神楽の舞い所を2ヶ所設けてあり、奉納舞いを交互に行っていますので、ここを人の溜まりとします。その後で見物人は、裏手の天徳寺から西久保通りに流すか、青松寺の裏を通って青竜寺・光円寺の前へ流し増上寺へ送る手はずになっています」
愛宕神社は台地の突端に作られており、その西側には段差もない台地が広がっている。
そのため、奥である西側や南へ向う分には、台地から坂を下るようなことにはならない。
神社だけあって、神楽の奉納舞いを使って人を吸引し、しかも2ヶ所の舞台で分断してからそれぞれの道へ流し込むという方法を編み出したのは、義兵衛から見ても流石と感じた。
懸念していたのは、群集が下りの坂道で押し合うことなので、そこが配慮されていたことを知らされ、義兵衛は安堵した。
「では、坂本の握り飯は神社の社務所に預けますので、人の流れを制御するために上手に使ってください。
代金についてですが、坂本から『今回は寄付としたく、支払う必要はありません』と申しておりましたので、そのまま使って下さって結構です」
「しかし、寄付となると、これを売って収入を得るという訳には行きませんな。1個数文でも良いので受け取ってもらえれば、我が物として利を得ることもできますのに、残念なことです」
「いえ、もし売り出すことが群集の制御に役立つのであれば、販売しても良いと思いますよ。代金は、料理比べ興業の勧進元となっている料亭・百川に事情を説明して相応の金額を渡せば済みます。そこで受け取らないなら、仕出し膳の座あてに渡しても良いと考えます。一見損をするように見えますが、長い目で見れば江戸の料亭に恩義を与えることになりますよ」
義兵衛の言に権禰宜さんは少し考える風に腕を組み、やがてニコリとして頷いた。
「ありがとうございます。寄付頂いたものは有効活用致しましょう。人が集まって、余興のために身動きもできなくなる前に、こちらから取りに伺います。案内には迂回路に長けた者をつけましょう」
今朝ほど借りた人を含め3人が義兵衛の供に加わり、坂本へ向う。
料亭・坂本では沢山の握り飯を持ち運びしやすい様に木箱に詰め終え、義兵衛からの指示を『今や遅し』と待ち構えていた。
「余興終了間際と言っておりましたが、準備があるので余興開始より1刻程早いですが頼んでおいたものを引き取りにきました。
運ぶ先は、橋の袂ではなく愛宕神社の境内の社務所となります。代金については、私の一存で坂本から興業へ寄付された扱いとさせて頂きたく、ご承知ください。実際には愛宕神社から興業勧進元か仕出し膳の座へ渡すことになりますが承知頂けますか」
「いえ、私どもとしましては義兵衛様からの恩義を少しでも返すつもりで握っております。差し上げたものですから、どのように使おうとも勝手ではございましょうが、これを坂本からの寄付扱いにするというのは、ちょっと趣旨から外れますね。正直なところ、料亭・百川に利用されるという図式は、心外ですな。義兵衛様が神社から受け取ってそれを寄進するということであれば、まだ納得はできますがね」
どうやら複雑な心境なことが伝わってくる。
「判りました。では、神社に持ち込んだ握り飯は、必ず私の役に立つ方法で使わせて頂く、ということで承知ください。忙しい最中に本業でないことを急に頼んで申し訳ありませんでした。この握り飯を興業・余興の成功に向けて有効に使わせて頂きます」
どうにか納得してもらい握り飯を持ち出すことが出来て、義兵衛は安堵することが出来た。
色々な競合する店がからむ興業や余興は、一筋縄ではいかないことを実感した。
しかし、ある程度の規模の料亭であれば4000個という大量の握り飯を一晩で用意することができる、ということが確認できたことは、万一飢饉により発生した暴動を抑えこむ有効な手段として使えそうなことが判明したのも良い経験となった。
コロナ禍の中、芝の愛宕神社へ行ってきました。実際に見て、男坂の傾斜には驚かされました。石段に座ったりして、場面を想像したりしました。女坂は意外に狭いので、こちらも驚きました。あと、神社のある場所まで登ると、その横や後ろは結構広い場所になっていることも実感できました。参道横の円福寺はもう無く、令和4年3月まで「埋蔵文化財の発掘調査」が行われています。なかなか地図では判らないことが現地へ行くと見えてきます。
こういった現地確認も面白いのですが、一向に場面も筆も進みません。難儀なことです。
次週も飛ぶかも知れませんが、何卒ご容赦ください。




