磯野壬次郎様の問い <C2477>
■安永7年(1778年)9月16日(太陽暦11月4日) 憑依245日目 雨天
冷たい小雨が降る朝にもかかわらず、安兵衛さんと勝次郎さんは義兵衛の居る屋敷内の長屋にやってきている。
昨夜の御奉行様への報告は特段に突っ込まれることもなく終わったようだ。
ただ、浮桟橋という妙案は、まずは勘定奉行配下の蔵奉行・川船奉行に伝えられることになるようで、それ以降の質疑は勝次郎さん主体で対応したいそうだ。
これは、義兵衛の名前や顔が広がることを防ぐためであり、そのため予め勝次郎さんに技術的な案の詳細を理解させ、安兵衛さんを加えて利点・課題点を議論してまとめておく指示が出された、とのことだ。
しかし、義兵衛の見るところそれだけではなく、勝次郎さんを表に出すことで旗本としての立身を目論んでいるに違いない。
勝次郎さんは次男であるため現在部屋住みの立場であるが、才覚がありさえすればどこかの養子となって旗本として立身できる可能性がある。
どこかの旗本との縁戚関係が成り立てば、万一本家に男子後継者が絶えた場合でも、養子先家で血筋が続いていれば、そこから養子を迎えることで現当主の曲淵景漸様の血筋を残すことが出来る。
そして、そのための売り込みを前もって行う、というのは親として合理的な手段なのだろう、と納得した。
「それで、義兵衛様。例えば500石積の菱垣廻船が直着けできる桟橋を実際に作るとすれば、どの辺りがよさそうに思えますでしょうか」
勝次郎さんは直球を投げ込んでくる。
大きな海船が東京湾で直着けできる場所として思い浮かぶのは、竹芝桟橋や築地になる。
築地と言えば本願寺で、その海側に南小田原町がある。
ここは明暦の大火(1657年、明暦3年)のガレキ処理も兼ねて作られた土地と聞いている。
それから浜離宮庭園があり、竹芝桟橋となるが、竹芝桟橋あたりはまだ海の中だ。
「そうですね、浜御殿(現浜離宮恩賜庭園)と築地・南小田原町の間にある一ツ橋様の浜屋敷の沖あたりが適切ではないかと考えます。
ただ、喫水の深い船が岸近くまで安全に来るためには、海中の浚渫が欠かせません。隅田川が運んでくる土砂を鉄砲洲の手前で沖に流すようになっていれば桟橋も岸壁の近くにすることができます」
江戸市中の絵図を前に、未来の東京の地図を頭の中で重ね合わせながら最適地の説明をする。
そこへ突然父・紳一郎様が現れた。
「義兵衛、今日は御殿様の実弟の壬次郎様がこの屋敷に来られる。例の興業の目付・事務方の供ということで参加されるが、その実は一ツ橋様へのお目見えが狙いなのじゃ。
そこで、料理比べ興業のことやそこで行われる余興など、一通りのことを予め教えておいて貰いたいという指図が殿からあった。裏方を務めておるその方が詳しいので『義兵衛から説明させてよい』とのことである。
殿様は今日も登城じゃが、ワシが供から外されておるのは、壬次郎様への説明をせよとのことでござろう。
壬次郎様が来られて説明が必要になったら座敷に呼ぶゆえ、今日はこのまま長屋に控え居れ」
どうやら一ツ橋様が興業に参加することが決定したという話を受けて、御殿様は急遽対応するべく動いたようだ。
今日は屋敷内で過ごすことになりそうだが、雨天だけに義兵衛にとっては都合が良い。
「それから、絵図で何やら説明しておったようだが、勝次郎様や安兵衛さんに話すと必ず町奉行様や御老中様に伝わる。それで済めば良いが、いつもそれだけで終わらず殿の後始末が必要となっておろう。先を見て、安易な知識の流出は避けることが肝要ぞ。とは言え、もう間に合わぬか。
安兵衛さん。せめて報告にあたっては、殿が呼ばれることのないように配慮くだされ」
「紳一郎様、あらかたの報告はもう済ませております。その上でわが殿は内容について『義兵衛様と議論してまとめて来い』との指図でございます。今回ばかりは御心配にならなくても、こちらに居ります勝次郎様が椿井家の盾となるよう含み置かれております」
安兵衛さんの返答に渋い表情を残して紳一郎様は屋敷に戻っていった。
「勝次郎様は、磯野壬次郎様のことはご存知でしょうか。殿の実弟で、2歳年下の弟が壬次郎様で、4歳年下の弟が甲三郎様です。
御兄弟の名前について、産まれた年の十干に産まれた順を付けるという単純な規則ですが、これをどう考えて、どんな発想で思いついたのか、仕える主家でありながら椿井家は旗本にしては不思議な感じの御兄弟ですよね」
「はい、大方の事は安兵衛さんから聞いております。部屋住みをいやがられ、養子先を自ら見つけ、そこの家の立て直しから着手されているとか。今時の旗本にはない底力に溢れている方と思っております。甲三郎様には、すでに田沼意知様の御屋敷で御挨拶させてもらっております。その時に会話されていた内容から、非常に怜悧な方と思いましたが、その兄である壬次郎様がどのような方か興味があり、今回御挨拶できることを楽しみにしております」
「なかなか面白い人物眼をお持ちですね。殿、庚太郎様はどのように映られておりますか」
「これは厳しいことを聞かれますね。そうですね。先を見通して普通には打てない手を打つ方ですが、とてもそのような手を打つとは思えない隙だらけの人物に見えます。一見怠け者でお人好しですが、実の所長い目で見て実利を得ようとする策士でしょうか。
義兵衛さんを上手く使っている、という印象は拭えません」
勝次郎さんはやはり独特な人物評眼を持っているようで、安兵衛さん経由で自分の評を聞いてみたくなった。
こういった雑談をする内に紳一郎様から呼び出しがかかった。
「義兵衛に御座います。同席しておりますのは、北町奉行・曲淵甲斐守様の次男・勝次郎様と配下の安兵衛様です。
今回は、20日に行われる興業への参加にあたり、これまでの経緯等裏事情をご報告せよ、と指図されております」
ここでの話は町奉行に筒抜けになることを知らせたつもりの挨拶をした。
壬次郎様の横に座る紳一郎様も頷いた。
「うむ。磯野壬次郎である。義兵衛や興業について、おおよその所は聞いておるので、改めて一からの説明は不要である。それよりも、こちらからの質問にきちんと応えてもらえれば良い。
まずは、料理比べ興業の大義名分を聞かせてもらいたい」
これは表面だけの説明では済まない、難儀な質問だ。
仕出し膳料亭の座や、料理比べ興業の大義名分は、勧進元である八百膳・善四郎さんがきちんと詰めるものなのだが、これをはっきりと意識して行動したことはない。
「木炭を扱う萬屋と椿井家がこの興業に深くかかわっている経緯は聞かせてもらったが、参加するにあたりそもそも大義名分と目的が合致せねば、萬屋と椿井家が早晩排除されるのは見えておる。そして、この興業が長く続かせたいと思っておるのであれば、お上が行う政と歩調をあわせておらぬと、とんでもない事にも成り兼ねぬ。先々代将軍のおり、奢侈禁止令が出されたであろう。そのような折に、料理の豪華さを競うような興業では関係する者にどのような影響があるか判らぬ。
そして、椿井家が長く事務方や目付などという席を維持できるか、もしくはそもそも維持するつもりなのかをまず問いたい」
どうやら椿井家が深入りしすぎていることを懸念しているような口調なのだ。
返事の内容次第では、殿の意見を必要とするかもしれない。
「ああ、まずは義兵衛の存念だけで良い。どこまで考えて肩入れしているのか、ということじゃ」
恐ろしいことに、先読みまでされてしまった。




