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水運び試演開始 <C2473>

■安永7年(1778年)9月14日(太陽暦11月2日) 憑依243日目 晴天


 昨夜の月は十三夜ということで、これを豆名月・栗名月などと呼んで愛でる風習がある。

 8月15日は所謂いわゆる仲秋の名月と呼ばれ、団子やすすきの穂を供えて月を祭る習慣があり、こちらは中々の人気があるのだが、実はこの仲秋の名月を祭って9月13日の月を祭らない、もしくはその逆を行うのは『片月見』といって忌む風潮が、この江戸中期にはまだ充分生きている。

 くっきりと晴れた夜空に浮かぶ月、ということになると放射冷却を実感する季節なのだ。

 夜明け直後となる明6ツ(この時期だと午前6時前)には、もう寒さが身に染みる感じがする。

 太陽暦で11月ともなると、月の平均最低気温が摂氏10度を下回る。

 10度以下になったという計測こそできないものの、庶民は肌で感じており、こういった冷え込みが続くと、暖を取る製品の出番となりその準備を始めるのだ。

 この寒さを目論み通りとばかりに内心喜んでいる義兵衛であった。

 ただ昨夜、義兵衛から興業の行司予定者を聞いた御殿様は、この寒い早朝から実弟の磯野壬次郎へ文を持たせた使いを出し、それから登城していた。

 その御殿様の登城の列とすれ違うように、北町奉行所からの2人がやってきた。

 安兵衛さん、勝次郎さんは、今朝はすっきりとした顔で屋敷の長屋に顔を出した。


「義兵衛様、何も理解せず漫然と付き人をしておりました。今後は一層警護に励みますのでよろしくお願い申し上げます」


 昨夜の内に今までの義兵衛との経緯の概要を聞かせたそうだ。

 そして、おそらく御老中・田沼様から情報入手のためにある程度の自由を許されている、という事情も聞かされたに違いない。


「いや、難しいお役目と判っておりますので、こちらとしても出来る限り協力致します。ただ、何を知っているのかが自分でもさっぱり判らないので、いきあたりばったりとなることは御承知ください」


 この返答の反応でどこまで知らされているのかの判断ができるはずだ。

 果たして、勝次郎さんは判っている、という風に頷いた。


「八百膳の主人から、至急の伝言が入ってきておる。『今日午後に愛宕神社で試演するので、是非来て頂きたい』とのことであった。御殿様は不在ゆえ、ご自分で判断なされよ」


 門番が知らせにきた。

 義兵衛への用向きの有無や優先順位は、御殿様が把握されており、今朝は屋敷を出る時に指示はなかった。

 従い、特段の御用はないので、萬屋さんの本宅へ行きのんびりできる一日と思っていたが、興業のイベント成否の一翼・将来の見物客の多寡に繋がる新規競技の試演とあっては、実際に見るしかないだろうと応じることとし、愛宕神社へ向うこととなった。


「勝次郎様、義兵衛様、早速お越し頂け恐縮です」


 愛宕神社の男坂前にある円福寺前で、丁度出てきた神主さんに呼び止められた。


「善四郎さんは、必ず義兵衛様が来られると座る場所まで確保しておりました。まずは私が案内しましょう」


 前日の打ち合わせに出ていた神主さんは、義兵衛が言葉で語ったことを具体的に想像できるばかりでなく気配りもできるようで、出てきたばかりの別当円福寺の庫裏へと先導してくれながらその後の様子を簡潔に教えてくれた。


「この余興は、円福寺と当愛宕神社は大変乗り気になっております。料理比べの興業の折に行うだけでなく、幾多の縁日からこれぞと思う時にも実施したほうが良いと瓦版版元さんから進言されております。寄進が増えるきっかけにもなるので、早速にも詳細を詰めようと、まずは試演を早くしたほうが良いと判断しております。

 善四郎さんは、寺社奉行に行って参道の男坂を占有することの届け出をしたそうにございます。今回料理比べを行う4料亭には、百川の主人・茂左衛門さんが駈けずり回っていたのですが、料亭から応援団への打診が必要ということで、今宵改めてという仕儀になっております。

 ただ、面白い余興に直接かかわることが出来る、ということもあり、応援団からの反対は出ないのではないか、といずれの料亭も申しておったそうです」


 おおよその状況は把握した。

 寺の境内・神社の参道を、その神社・仏閣の都合とは言え一般人の往来を制限して専ら使うことになる。

 そこを先回りして、寺社奉行に届け出たのは元締め八百膳の主人・善四郎さんとしてはもっともな配慮に違いない。


「勝次郎様・義兵衛様。試演に参加頂きありがとうございます。今日は、この試演にかかわる方々へのお礼の気持ちを込め、八百膳から『特製幕の内弁当』を用意しておりますぞ。

 試演に参加する競技者は、実際には各応援団から4人選出の予定ですが、今回は、百川と八百膳の丁稚から各2名、愛宕神社と円福寺のそれぞれの氏子から各2名を出し、競う格好で行います。走る人数は全部で8人ですが、彼等にも弁当を振る舞いますぞ。弁当代は八百膳持ちで、これが膳の座からのお礼分ですよ」


 それからは、競技規則とコースの説明など、事前に検討しなければならない事項も含めて、検討した結果の報告が行われた。

 特に問題はなく思われたが、念のため、男坂を見にいく。


※東京愛宕神社の男坂の石段は86段あり、全体は幅6m長さ28mと短いようだが折れ曲がりもせず真っ直ぐな上に傾斜が40度と急勾配。石段の1段あたりの高さは22~24cmと通常15cmのものより高く、その分急坂になっている。

 三代将軍徳川家光公が増上寺を参拝した帰りに、愛宕神社のある山上に咲く梅の美しさに惹かれ「誰か馬で階段を駆け上り、あの梅の枝を手折(たお)ってまいれ」と命じた時、あまりの急な階段に皆が尻込みをする中、讃岐丸亀藩の家臣・曲垣平九郎まがきへいくろうが見事に馬で石段を駆け上がって枝を持ち帰り、馬術の名人として大いに賞賛されて面目をほどこしたことから、『出世の石段』と呼ばれている。


 石段の参道下から見上げると、確かに坂はずんと真っ直ぐに突き上がり、傾斜はかなり厳しいが、義兵衛でもどうにか登ることはできそうだ。

 ただ、下りは坂の下を覗き込む格好になるので恐怖心がおきる。

 ここを早駆けすると転げ落ちる者も出るに違いない。

 だが、こういった常にないことだからこそ見物人が集まるのだ。

 ここまで見取ると庫裏へ戻り、皆で揃って八百膳特製幕の内弁当を平らげた。


「では、皆様。これから愛宕神社・円福寺・百川・八百膳の4組で競技を行います。それぞれの組へは、存分に声援をおくってやってください。

 上で見学される方や、また下に戻る方は女坂を使ってくだされ。始まりは下の太鼓、終了は上の太鼓ですぞ」


 善四郎さんの仕切りで、円福寺境内の太鼓が叩かれ、水運び競技が始まった。

 柄杓は同じ大きさのものが取り揃えられており、これ一杯に水を入れるとおおよそ3杯でたらい一杯分の水量となる。

 柄杓から若干の水がこぼれるとすれば、4番手が運んで盥にあけた時が勝負の決する時と見込まれる。

 太鼓の合図と同時に、この柄杓を各選手がつかんで池の水を汲み、4名の走者が一斉に石段を登り始めた。

 この柄杓がバトン、タスキの代わりなのだ。

 柄杓を手にとった場所が、選手交代できる場所となっている。

 今回はなり手が少なく、各2名が交互に務めることにしているが、何人を選手として準備するのかは各応援団に任せている。

 そして、神前の盥に水が満杯となった時が終了としているのだが、柄杓に汲む水の量は選手に任されており、目一杯汲んで慎重に運ぶか、少なめに汲んで回数で稼ぐのかは、それぞれが攻略の方針を決めてかかれば良いと、これまた任されている。

 また、この競技の試演でも男坂を占有するため、石段の手前から参拝者を女坂へ誘導している。

 関係者以外が男坂を使うとともかく危ないのだ。

 興業実施当日は、この石段にも有料で観客を入れる予定と聞かされており、今回はそれを想定した綱が石段の両脇に張られている。

 事前に見当し準備は終えているはずなのだが、いざ競技が始まると思った通りにはいかないものなのだ。


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