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八百膳での聞き取り <C2470>

 安兵衛さんはいつもと違う追求に疲れていて、気が緩んだに違いないのだろう。

 気を取り直して、まずは日本橋の瓦版・版元の當世堂さんの店に向う。

 版元の主人は、今日一日八百膳へネタ集めに行っている、とのことであった。

 しかし、義兵衛が料理比べ興業の発案者・黒幕であることを知っている数少ない一人、3月末に料亭坂本で『しゃぶしゃぶ』を披露した時に版元主人の連れとなっていた者が留守を預かっていたことから、まだ表にできないことをこっそりと耳打ちしてもらえた。


「今回の料理比べ興業について、御武家様側の行司として一ツ橋家の当主である治済はるさだ様となる方向で調整に入っております。版木も武家側行司欄だけはまだ彫り込まず、決まり次第刷る手はずを整えておるのです。今宵あたりの八百膳の宴席で決まるようにも聞いており、主人はそれもあって八百膳に入り浸っておるのです」


 これはある程度予期したことだが、そうなるように事を運ぶのは並大抵ではなかったに違いない。

 初回5月は南町奉行・牧野様、二回目6月は寺社奉行・太田様と目付役に御老中・田沼様、三回目閏7月は御三家・水戸様、四回目8月は御三家・田安様と武家方の行司・目付役の面々が凄くなってきている。

 同時に、こういった幕府要職の面々とねんごろになれる良い機会という認識が醸成されつつあり、特に商家は行司・目付の席を望むようになってきている。

 このため、9月20日の興業で誰が武家側の行司・目付となるのかに関心が集まってきている。

 当初の目論見では、江戸全体の興業はともかく、地区興業は目立たないためさほど苦労することは少ないと踏んでいたのだが、地区興業でも有力者が飛び入りという格好で参加したことから、盛り上がってきているのが実情なのだ。

 このため、商家側席の入札にとんでもない値がついていると耳打ちされた。

 これについては、善四郎さんに確認するのが確かだろう。

 武家側の参加者について、寺社奉行枠・町奉行枠以外は地方興行は勧進元が決めればよかろう、となっていたのだが、水戸様が出席したことから勧進元では扱うことが難しくなり、最初の興業のように参加者の選定を北町奉行・曲淵甲斐守様に丸投げしてしまった。

 武家側でも、城中の詰所では興業のことが話題になっているようだが、この興業に参加したいと思う大名・旗本から曲淵様がどのような攻勢を受けているのかを想像すると、少し愉快になってしまう。

 そして興業では常任目付として1席を与えられている椿井庚太郎様への圧力は、かなり下がっているに違いない。

 必要なことを聞き取ると、義兵衛らは瓦版屋を出て八百膳へ向う。


「勝次郎様、料理比べ興業の武家席でお父上は随分困っておられるのではないですか」


 安兵衛さんとは違い、親子であれば少しは様子が見えるに違いない。


「夏頃は大層苦吟しておりましたが、御老中様へお願いして決めて頂くようになってから楽になったようです。

 しかし、なぜ興業の席次を義兵衛様が気になさるのですか」


 曲淵様が田沼様に丸投げするとは思い切ったことをしたものと思ったが、御老中が決めるのであればどこからも文句は出ないに違いない。


「知る人しか知らないことですが、義兵衛様はこの料理比べ興業の本当の裏方・黒幕なのですよ。

 仕出し膳の座はご存知でしょう。この設立も義兵衛様の発案です。流行の『しゃぶしゃぶ』や『幕の内弁当』も義兵衛様の発案ですが、こういったことは伏せられております。

 こういったことの詳細は、歩きながら説明することではありませんので、別途お話する機会もありましょう。

 ただ、こういった話は御殿様からの指図で、直接関わる者以外には伏せておくことになっています」


 安兵衛さんの説明を聞いて、勝次郎さんは変な顔をしている。

 勝次郎さんの頭の中には、木炭加工業の義兵衛という図式が出来上がっており、なぜ料理や料亭・仕出し膳の座に義兵衛がかかわっているのかの接点が見出せていないに違いない。

 そう考えると、萬屋が興業の目付・事務方の一部を担っていることも、きっと勝次郎さんは理解できずにいるのだろう。


「そのような誉れをなぜ隠そうとするのですか。私には訳が判りません」


「それについては、まず勝次郎様に考えて頂きたいと思います。御殿様がどのような意図で、指図されたのかをお考えください。

 これは萬屋だけではなく、関係する八百膳にまでわざわざ足を運んで通達されております。そういったこともあり、義兵衛様のなされることは、決して他言してはなりません。語ることを許されているのは、御殿様の前だけですよ」


 どうやら安兵衛さんは勝次郎さんを鍛えることにしたようだ。

 勝次郎さんは早速困った顔をしているが、戸塚様からろくな引継ぎをしないまま義兵衛付きとなった安兵衛さんが歩んだ道だ。

 安兵衛さんは、勝次郎さんを鍛えるという立場を楽しんでいるのか、もしくは同じ立場の人が増えたことを喜んでいるのか、判然とはしないが説教をしながらも微笑ほほえんでいる。

 道々の茶屋に立ち寄って軽く昼食を済ませ、それから八百膳の店先まで来た。


「これは義兵衛様、こちらにお上がりくださいませ」


 義兵衛とそれほど歳の差は無い様に見える店の小僧達が、店に近づいてきた義兵衛達を見てバタバタと慌て出し、店の暖簾の前まで来た時には女将が出迎えにきていた。

 女将の案内で、これまた奥の座敷に通されると、バタバタと板長が現れ廊下から声を掛けてきた。


「お昼の膳の用意、幕の内弁当の用意ができておりません。まだお昼が済んでおられないなら、当店内でのみ作っております特製の賄い飯でよければ、これから私が準備致しますが、いかが致しましょう」


 今は丁度昼過ぎで、特段何の通知もせず突然の訪問であるため準備ができないのは仕方のないことだし、予告もなく突然店に来た義兵衛側の無礼であることは間違いない。


「いえ、事前の連絡もせず突然に訪問したこちらの非です。昼食は軽く済ませておりますのでお構いなくお願い致します」


 板長が引っ込むと、善四郎さんが入ってきた。


「おや、新しい方がおられますが」


 安兵衛さんから勝次郎さんを『義兵衛様の警護として自分同様の扱いを』紹介すると善四郎さんは驚いた。


「北町奉行様の御子息が付き人になるとは、あらためて驚かされました。義兵衛様の秘匿をどれだけ重視しているのか、あらためて認識した次第で御座います。でも、お立場上、曲淵勝次郎様が主客ということでよろしいのでしょう。そのほうが、ややこしいことを考えずに済みます」


 行動や言動が安兵衛さんを通して御奉行様に筒抜けになることは判っているのだが、それを安兵衛さんひとりに任せるのではなく、息子という最強の札を投入したことに驚いているのだ。

 その上で、3人揃っている場合について、体面上では勝次郎さんがメインとなる扱いをすることで、義兵衛がより一層目立たなくなるという効果まであることを善四郎さんは口にした。

 確かに、今までとは違う付き合い方になる様だ。


「今日は20日に開催される愛宕神社別当円福寺での料理比べ興業の準備状況を聞きたく、こちらに寄せてもらいました。瓦版版元の主人も瓦版の記事のためこちらに伺っておる、と店で聞いてきました」


 それを聞きつけたのか、瓦版版元の當世堂さんも顔を出した。

 情報で食っている者が様々な動きに敏感でいたる所で聞き耳を立てている、という図式はいつの時代もそう変わることがない。

 竹森氏がいた時代になると『誰でもが気軽に世間へ情報提供できてしまう』という環境なのだが、それとは違い情報発信者が瓦版屋に限られてしまうところが全く違い、限られた情報しか庶民に伝わらないという点で感覚が随分違っているようだ。


「ここの中で話された内容で、広めても良い分は瓦版に載せさせて頂きますよ。良い宣伝にもなるでしょう。お役に立てて、こちらも儲かる。これは嬉しいことです」


 遠慮なく踏み込んできた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] インターネットが普及するまでは、現代のメディアも瓦版と大差は無かったように思っています。 カメラ機能が付随した携帯電話の普及で情報拡散の速度は格段に高まりまし…
[一言] そろそろ何らかの食材をテーマに勝負をするといったことも必要な段階かもしれませんね。 番付ではなく番外的な扱いになりそうですけど。
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