萬屋本宅での報告 <C2466>
安永7年9月12日が長くなり全部で4話となってしまいました。これを毎月曜に投稿するとそれだけで1ヶ月ということになるので、週半ばではありますが更新します。
佐倉から江戸への帰路で寒川湊(千葉)から早船を使ったため、江戸への到着が夕刻ではなく昼前となった。
そのため、義兵衛等は八丁掘にある萬屋本宅に寄り一息つくことにした。
千次郎さんと一緒に表門に近づくと、それを見付けた奉公人はバタバタと奥へ駆け込んで行くのが見えた。
そして、どこかに使いも出しているようだ。
門に到着する時には、お婆様と華さんが出迎えに出ていた。
「早い時刻にお着きになられましたな。皆無事に戻られたようで安堵致しました」
そして、足を洗い終わると奥座敷へ案内され、義兵衛・勝次郎さん・安兵衛さんの順で上座に座らされた。
格から見て、一番若い勝次郎さんが主客の位置となっているのだ。
次男坊とは言え曲淵様の子息なら、陪臣の義兵衛や安兵衛さんと扱いが違うのは当然である。
旅先の馴れ合いとは違う世界に放り込まれ、こういった些細なことから義兵衛はこの時代の本来の立場を再認識できたのだ。
萬屋主人から御武家様への挨拶という形式のため、お婆様や華さんとの歓談はその後ということでお預けになっている。
ただ、実のところ襖1枚隔てた隣の部屋に二人とも控えており、声は筒抜けなのだ。
「つい先程、具足町の本店に使いを出した様なので、大番頭の忠吉も間もなく来るでしょう。来てから不在だった7日から昨日までの5日間の様子を知らせてもらいましょう。
それで、寒川湊で出した問いですが、安兵衛様からお答えをお聞かせ頂ければと思います」
下座に座る千次郎さんが早速にも切り出すと、安兵衛さんはおずおずと話し始めた。
「いろいろと考えましたが、船に載せる前に購入するのは、その分安く手に入るというのが主な理由としか思いつきません。船による輸送は陸路より早く運べることと、運ぶ量に応じてそれなりの船を選べば良いので、結果として量がまとまればその分1個あたりに乗せる輸送費が少なくなるため、利益が増すというところまでしか考えられませんでした。
この船便を、佐倉藩が扱うか商家が扱うかの差かな、と思ったのですが、結局のところ自前の船が無ければ船問屋との契約者が変わるだけですので、決め手に欠けています。佐倉藩が船便で受け取ると、築地にある中屋敷(銀座2丁目)に運び込むことになるのでしょうが、ここへ萬屋が毎日受け取りに出入りするというのはちょっと想像ができません」
「うむ、船の利便性に着目したのですか。今回は順風で良いところだけ見たため、そう思ってしまうのも無理ないですね。義兵衛さんはどう考えていたのか、お教え願えませんか。おそらく私と同じ考えだと思いますよ」
「うむ。『寒川湊で佐倉藩の練炭を卸してもらうのは、萬屋で練炭の卸し先を独占するため』と見ました。今、佐倉藩は江戸まで練炭を1個運び130文で萬屋に卸しています。今、萬屋は1個単位での販売はしていませんが、当面1個300文相当で売り出すつもりです。この価格は需給を睨んだ金額ですので、最終的には1個200文で小売するつもりでいます。卸価格と小売価格の差が倍以上あると、安兵衛さん、勝次郎さん、どうなると思いますか」
ここは考えさせるため、義兵衛も千次郎さんを見習い、途中経過を問うことにした。
「『佐倉藩が作る練炭は全数萬屋が引き取る』という契約で済んでいるのではないですか。それが、椿井家から人を出して木炭・練炭作りに協力する前提でしょう。まさか、佐倉藩がその約束を反故にするとは思えません」
安兵衛さんからいろいろな経緯を聞かされていた勝次郎さんがこう反発した。
「いえ、証文がある訳ではありませんし、旗本と大名の関係です。御殿様や御家老様はともかく、勘定方や輸送を担当される方は抜け道を見つけるでしょうし、それを咎め立てすると些細な違約を見つけて、当初の約束を破棄するのは見えています。
それから当面1個300文ですが、需要に見合う供給の見込みが立てば、本来の値段である1個200文に戻すつもりなのです。300文と高値に設定することで、最初の需要を抑える働きを見込んでいるのですよ」
義兵衛が勝次郎さんと受け答えしている間に、安兵衛さんは考えていることを口にしながらまとめようとしている。
「佐倉藩の人は、練炭を江戸に卸して130文の売掛証文を持って帰るが、これが同じ萬屋から300文の値で売られていることを知る訳ですよね。ならば、もっと高く買って欲しいと思うのが自然だ。だが約束の手前それが出来ない。それならば、萬屋さんに隠れて他の炭問屋へ練炭を横流しする算段をするだろう。130文より高く売れれば、差額は輸送方の取り分・藩の利益となる。
これを防ぐには、佐倉藩の力を使って江戸まで来るという事態を止めさせれば良い。
なるほど、輸送方を江戸まで来させない段取りなのですね」
安兵衛さんから正解が出たようだ。
「安兵衛様、その通りで御座います。今はまだ売り出し始めで、練炭の値段は店の表に出ておりませんし、他の薪炭問屋も50文分相当の粉炭の固まりを130文出して隠れて買おうと言う店は、今はありません。
ただ、今後七輪・練炭が普及し、需要が喚起されると他の薪炭問屋も練炭に目を付けることになります。それまでに、早急に寒川湊で商売できる段取りをつける必要があります。保険となる陸路の輸送も、萬屋で手配する必要がありますな。何やら忙しくなりそうです。20日に愛宕神社・円福寺で行われる興業も迫っております。
今月の料理比べの興業は、八百膳の善四郎さんに丸投げしておりましたが、興業も5回目ですから、そろそろ仕出し膳の座の事務方だけで回せるようになってきておりましょう。あまり協力できぬようであれば、萬屋が頂いている行司の一席を返上せねばならないことになります。前々回は御三家の水戸様、前回は御三卿の田安様と武家様の大所が参加するという目玉がありましたが、今回はどうなっておりますでしょうか。いや、突然気になってきましたぞ」
千次郎さんの話が微妙な方へ振れていく。
留守にしている間のことを気にし始めると取りとめもなくなる。
義兵衛とて、田安中将(元松平定信)様のその後の動きや北町奉行・曲淵甲斐守様から御老中・田沼主殿頭様への答申など、気にかかることは多いのだ。
安兵衛さんもこれを思い出したのかうんざりとした顔つきをしているが、安兵衛さんと勝次郎さんは報告にしか過ぎず、判断を求められることはない分気楽なはずだ。
もっとも、勝次郎さんは初の報告となるに違いなく、その洗礼は安兵衛さんから聞く限り、本人にとっては厳しいものになるであろうことは想像に難くない。
そこへ忠吉さんが入ってきた。
「無事のお帰り、心待ちにしておりました」
喜色満面の言葉を聞くと、これは何か進展があったものと思われ期待してしまう。
「不在の間に、輪王寺宮様の所からお使いが参りまして、50組のお買い上げがありました。そして『掛売りはせぬと聞いており、今は100両しか用意できない故これだけとする。季払いで良ければ今直ぐにでもあと200組頂きたいのだが、金子の都合がつき次第順次買い入れする。従い、その分は輪王寺に売る分として確保しておいて頂きたい』との申し出でございます。
とりあえず200組は輪王寺様分として熨斗を貼り、分けて取り置きしておりますが、これが大層目だっておるのです」
この輪王寺様分での50組、七輪100個を除くと、45組、つまり七輪90個が売れているとの報告だった。
前日までに萬屋から出荷された七輪は全部で1004個となる。
ただ、無償提供・献上分もあるため、萬屋としての売り上げは480両止りとなっていた。
「忠吉、佐倉藩で練炭作りの現場を見てきたが、どうやら思った以上に生産できるようだ。佐倉からの練炭入手見込みを日産3000個から8000個に増やしても差し支えない。運搬量は漸次増やす形になるが、七輪の販売量をどの程度まで増やして良いか、計画の練り直しを行うぞ。そして寒川湊での準備だ」
千次郎さんの宣言に喜ぶと思いきや、忠吉は顔をしかめ、深い息を吐いたあとぼやいた。
「はあぁ、また算盤達者の者達で徹夜ですか」
Excelシートならできる自動計算が、ここでは全て算盤を用いた手動計算になっている。
このため、計算条件や出だしの数字・係数を少し変えるだけで、その都度かなりの回数の計算を延々しなければならないのだ。
忠吉さんがついたため息で報告会がお開きとなったことを察知したのか、隣の部屋に居たお婆様から昼食の支度が整ったことを告げられ、皆は台所に隣接する別間へ移った。




