管財人の案 <C2458>
義兵衛の説明に沈黙している曲淵様に代わり、安兵衛さんが声を上げた。
「昨日聞いた話と数字が違いますが、どうしてでしょうか。
確か、市中で借りた時の利息は1割(10%)、お上が用立てるようになった時の利息は5分(5%)と椿井様の前では言っておりませんでしたか。例えば100両借りた時の利息が、10両から5両に減り従来より5両浮く、と理解していたのですが、今の説明では利息分が15両から2両に減ることになり、13両浮くとなります。より都合の良い方向、施策が採用されるように進めておりませんか。それでは信用されませんよ」
「安兵衛さんは、どうやら随分と利についての忌避感が無くなってきたようですね。話が大変やり易くて助かります。
説明する相手によって数値を差し代えたのは、意図を伝わりやすくするためです。昨日の殿への説明は、金策で苦労しており、実態を肌で感じておられるので、1両の差という重みを知っていると見て、制度が成った時の実効利率と考え得る数字を述べております。
ただ、御奉行様の前では、理屈を理解頂くための例として限界点の数字を使いました。この方が理屈を判って頂くのに良いと考えたからです。一応、お上が定めた利息の上限が1割5分なので、それに沿っています。そして、制度を運用してかかる費用を乗せると2分が必要最低限の率と見たのです。
どの利率を採用するかは、実態を調べ、お上の金蔵の中との相談になるのではないか、と想定しています」
曲淵様は大きく息を吐き出した。
「義兵衛の申すことの、おおよその中身は理解しておる。方向さえあっておれば、細かいことは勘定奉行が判ればよい。
ワシはただそれを論ずるには誰が相応しいかを推し量っておった。少なくとも、町奉行の立場では、旗本・御家人は範疇外であろう。
旗本・御家人の借財を扱うのであれば、責任を持って進めるのは若年寄となる。ただ、今の若年寄連中は今進めておる施策検討の段階から参画してはおらぬ。御老中様が主体となって大名に進める『囲い米』の施策、町奉行が大きくかかわる『町会所』、勘定奉行が抱える『江戸・蔵前の米会所』に今回新たに若年寄の差配する旗本・御家人の救済策であろう。どう考えてもそれぞれが独立した施策ではなく、緊密に連携してかからねば上手くは回らぬ。ことが公儀の根幹にかかわることゆえ、上手い手はないものか、上手く進めるための方策はないものか、それを思案しておった」
町奉行である曲淵様は、旗本・御家人への施策に関する責任者・当事者ではないが、迂闊に口を出すとある程度加増の上、若年寄にして責任者となってしまう可能性まである、と考えているに違いない。
義兵衛は、これができるかどうかは判らないが、最適な人物が居ることに気付いた。
「今は奏者番でございますが、田沼様の御子息である意知様を若年寄に昇進して頂いてこのお役目の責任者となされてはいかがでしょうか」
通常、世子(世継ぎ)が公儀に勤める際には、世子がその家の当主となっていることが前提である。
ただ、この時点の田沼家については、当主である意次様が老中職にありながら、世子の意知様が詰所に出仕し、つい先ごろ奏者番となっている。
親子同時に出仕するという異常な事態が、一歩進んで親子同時に公儀要職にあるという状態になっている。
ここで、息子のほうが更に要職である若年寄になるとなれば、田沼一族が公儀を牛耳るという図式があまりにも鮮明となり過ぎるに違いない。
だが、このような図式は実際に5年後の天明3年(1783年)に起きている。
この時は、老中首座の松平右京太夫輝高様が気鬱の病から在職中に死去し、権力の中枢・老中首座が田沼主殿頭意次様に移ったからこそ出来た業に違いないのだ。
ただ、もう言ってしまったことは取り返しがつかない。
後は曲淵様がどう考えるのかで、義兵衛がからむことはない。
「なるほど、それは一考の余地があるやも知れぬ。6席ある若年寄は今満席だが、若年寄格・若年寄並という位置づけであれば、多少は受入れ易いであろう。『新しい御用であるから、今までの職務に被せる訳にはいかぬ』と言えば通りもよかろう。新しい御用で訳もわからぬ事態の責任を負わされることを考えれば、枠外に同格で独立した責任者を置くというのは、上手い手じゃな」
いつの間にか宙を見ていた目が義兵衛をしっかり睨んでいる。
「それで、その新しい御用の中身は、借財で困窮した旗本・御家人に御公儀から金子を貸し付ける、ということで良いのかな」
どうやら義兵衛の言った内容を取り込む方向にしたようだ。
「外目にはその通りです。しかし、充分な事前検討が必要です。本当に必要な活動は、金子を貸し付けることではなく、貸した金子を無事回収するところなのです。
この話は、田安中将様(元松平定信様)から提案されると思いますので、御老中への答申の中には含まれないようご配慮ください」
これで内容まで御老中様に筒抜けだと、寄り合いの席で田安中将様の顔が立たない。
責任範疇外とできる目算に安堵したのか、曲淵様は鷹揚に頷いた。
「まずは、金子を貸し出す旗本の借金状況を調べます。この調査結果から、10年~20年で完済する方法を検討し、それを旗本に指導するという業務がつきまとうのです。
最初に『武家が困窮し商人が栄えるのは、武家が金銭に疎いことと借金の利息が高いこと』お話しましたが、本当の問題は『金利に疎い旗本』なのです。おおよそ2万家ある旗本・御家人の家で困窮する家が8割程度あるかと思います。もともと知行が少ない家や支給が100俵未満と少ない家は、それなりの工夫をされておりましょう。知行地が100石から1000石の1500家、100俵から1000俵の3500家が一番苦労しているのではないかと推測しておりますが、併せて5000家に対しての財務指導・金銭教育、および借財返済をそれぞれの事情に応じ、細かく入り込んで指導していくことこそ必要と感じています。
もちろん、副業による収支改善も認める必要がありますし、どうしても、という場合にはその家の取り潰しも覚悟させることも起きましょう」
義兵衛は、自己破産による借金清算方法に至るまで、困窮旗本に管財人を立てる策まで、それぞれ細かに語った。
忠義と報恩を基礎とする武家の関係を背景に、御公儀からの指導は絶対という原則に照らしてどうにか行けるのではないかと思われた。
「うむ、そのように詳細な施策まで考慮しておるとは感心する。ただ、人が足りんのではないか」
「はっ、それ故に安兵衛さんが商人の発想を忌避しないようになったことに感心したのです。若い人なら、環境で考え方を変えることができるようです。御公儀が進めている朱子学では、労せずして金銭を得る商人を卑しい者と蔑視する風潮が見られますが、この中で利息を得ることを嫌悪する感情を否定することが必要になるやも知れません。
今若年寄のお役に就かれておられる御大名の方々は、金銭の多寡を口にすることは武士にあるまじき行為と思うかも知れません。しかし、『金がないのは首を取られたのも同然』という世の中になっているのです」
奉行所からの帰り道に安兵衛さんはいつもの様に同行している。
「今日のことを御殿様にどのように報告されるのか、実のところ私は楽しみです」
屋敷で聞き取りをした時に新しいことが出てこなければ、曲淵様への報告は簡単に済ませることが出来るのだ。
すっかり安堵したのか、いつもの口調で安兵衛さんは語りかけてくる。
軽口に生返事をしている義兵衛は、その実、しゃべりすぎた自分にすっかり腹を立てていた。
そして屋敷へ帰り着くと、助太郎、樵家の佐助さんとその仲間2人の計4人が長屋で義兵衛が来るのを待っていたのだった。
田沼意知様の奏者番就任は天明元年(1781年)なので、この時点(安永7年:1778年)ではまだ未就任です。ただ、小説の途中で、安永7年の時点で既に奏者番を務めている記述があるため、どうすべきか随分悩みました。とりあえず今の時点ではお目こぼしください(修正方針を考えあぐねております)。
いろいろと感想をお寄せ頂いておりますが、コメントがトラウマになって対応ができておりません。ご容赦ください。心に余裕がなく、週一の投稿すらギリギリといった感じになっています。




