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棄捐令回避の為に <C2456>

2021年もよろしくお願い致します。

 椿井家屋敷の座敷で、田安家御殿で行われた会談の中を総括して話をする御殿様の前で、思わず深いため息をついた義兵衛のことを御殿様は見逃さなかった。


「義兵衛、今何を考えた。隠さず申してみよ」


「はっ、旗本・御家人の対応について、あまりよくない施策を出すことを懸念致しました。

 旗本・御家人はおおよそ2万家程御座いますが、その内知行地を与えられている家は2500家でございましょう。知行地を持つ家を優先した施策は、蔵米取りの者からは決して良く思われないことから、全ての旗本・御家人のためとなる施策を考えるに違いございません。

 今、旗本・御家人が困窮を極めている理由の一つに、商家からの借財があります。旗本・御家人の財政の入りは、基本は現物の米でございますが、米だけでは暮らせないことから自家で消費する分を除き、米を金銭に替えております。当初は替えることができた金銭だけで済んでおりましたが、入りを上回る出費があると、不足分を借りることとなります。この不足分については、これから先に入るであろう米を見込むことになります。そして、この米をカタにして借りる先は、あらかたは米を扱う札差か金を扱う両替商でございましょう。1年2年程度先の分の禄米切手を担保に借りる分はともかく、5年・10年先の禄を差し出して借りている武家は利息で首が回っていないでしょう。

 懸念するのは、足利様が将軍であられた時代に出された『徳政令』と同じことをなされるのではないか、ということです。

 ご存知とは思いますが、お上の権威でもって商家から武家に対する借財の証文を無効とする所作でございます」


 これを聞いた紳一郎様は首を捻った。


「金で武家の首根っこを押さえていた商家に鉄槌を下すことを懸念するとは、不思議なことを言う。当家もつい先頃まで出入りの米問屋に少なからぬ借財があって、勘定を合わせるのに汲々としておった。これを『お上の一言で帳消しになる』ということであれば、武家にとって、真に喜ばしいことではないか。贅沢をしておる商家の主人達が慌てる様を見て、溜飲を下げる御家人も多かろう」


「借金を重ねている旗本・御家人は、借財が雲散霧消した瞬間は喜ぶでしょう。しかし、それは次に金が必要となる時までです。

 証文を反故にされた商人は、武家に金を貸さなくなります。そして、必要な金を手に入れる方法がなくなったことに気づき、以前より首が回らなくなってから『徳政令』の過ちに気づき、お上の施策を、そして施策を打ち出した執政の面々を恨むこととなるでしょう。そうならないように、商家が直接被害を受けるような施策は避けねばなりません。

 札差が持つ旗本・御家人の10年を超える負債証文の合計は、100万両位でしょうか。問題は利息が1割以上、おそらくは1割5分と高いことです。仮に1割としても、毎年利息だけで10万両の金が、いや支給した米が商家に流れているのです。

 10年未満の負債の利息まで入れると、30万両以上はあるでしょう。まずは、実態を調べ、総額にもよりますが、勘定方が用意した準備金を5分程度の低金利で貸付する仕組みを作ることで、商家の利息を下げるよう誘導する、という案が考えられます」


 義兵衛が述べた懸念と施策に、安兵衛さんは目を丸くした。


「勘定奉行所に、札差や両替商の代わりとして金貸し業をさせるのですか。とても勤まるとは思えません」


「いえ、そこは田安御殿で説明した『米会所』を使えば良いのです。米会所を維持する最初の資金をお上が用意し、それを原資として旗本・御家人へ貸付します。お上は借金していることを把握しておりますから『米会所からの借金を予定通り返さない家は取り潰す』という噂や見せしめをすれば、米会所より若干利率は高い商家から、従来と同じように借金することになるかも知れません。ただ、今よりは低い金利になるとは思いますがね」


 御殿様は手の平を立てて義兵衛の発言を止めた。


「義兵衛、そこまでで良い。懸念する所があるのは理解した。対策を考える前に実態を把握せねばならぬのであろうことを、まずは伝えればよかろう。各家には紳一郎のように勘定を専らに扱うものもおる故、そういった金銭の扱いに聡い者を集めて協議させれば良いこと、までをまずは伝えよう。借財の苦労を定信様に知ってもらうには、白川藩の勘定方から教われるほうが、より真実味が増すであろう。

 あと、この件で義兵衛が定信様の前面に出てはならんぞ。先読みもあまり過ぎると、問題が大きくなり過ぎるし、お前は口が軽い。当家としては今、義兵衛を定信様に取られる訳にはいかぬ」


 この一言で御殿様の前での整理打ち合わせは終わった。

 紳一郎様はまだブチブチと言いたげだったが、ふらつく義兵衛を見て解放してくれた。

 普通ならこの時点で安兵衛さんは奉行所へ戻るのだが、今日は家臣長屋の義兵衛の部屋まで付いてきた。


「義兵衛さん、御奉行様に報告するためどうしても聞いておかねばならないことがあります。

『米の空売』を禁止するというのは、どのような意味なのでしょうか」


 気力を使い果たして眠気が襲ってきている義兵衛だが、同じ時間を過ごしている安兵衛さんはまだまだ気力があるようだ。

 安兵衛さんにはこの後に御奉行様への報告、いや質問責めが待っている、ということに気付いて義兵衛は気力を振り絞った。


「米の需要は通常一定ですよね。そしてそれに見合う米が供給されて価格が形成されています。そこへ実際には現物がない米を売りに出します。これが『米の空売』です。

 先に現物を出すという約束ではありますが、市場では供給が増える見込みとなります。

 需給曲線のこと思い出してください。供給が増えると米の価格は低い方へ動くことになります。

 そして『空売』した者は、値が下がった米を同量買い付け、これを先の売り分に充当して差額を手にするのです。『安く買って、高く売る』というのが商売の基本ですが、先物を扱うとこれを逆順にして儲けることができるのです。

 この操作は、米の実物が増えている訳ではないので、いわば博打と同じです。価格を不用意に下げさせる働きがあるので、禁止したほうが、価格が安定すると考えた次第です。

 もちろん、これは論理の上での動きですから、実際にはなかなか思った通りに動かないことも多いでしょう」


 単純な理屈のところだけ取り出して説明をしたのだが、どうやら理解はしてくれたようだ。


「それでは、先物での買いも同様ではないですか。さすがに『空買い』とまでは言えないのでしょうが、実際には使わない米を買う、という行為もありましょう。供給が一定の所に『買い』を出せば需要が増加します。そして米の価格が上がったところで、買った米を売れば差額は儲けとなります。買い側は良く、売り側が問題ということでしょうか」


 安兵衛さんの指摘を聞いて、先物取引を充分理解していることが判った。


「先物について、おおかたその理解であっています。先物を売りで始める場合に、現物を持っていれば空売りではありません。帳簿上で市場全体の米の総量は変わりません。買いから始める場合も同様です。ただ、現物を持たずに空売を承知で『売り』から入る場合は、帳簿上で市場全体の米の総量が『空売』分だけ増えるところが問題なのです。

 帳簿にしかない米は、実際に食べることができません。

 また、狙い通りに米の価格が下がらなかった場合、損を承知で高い米を買い決済する必要があります。実際に米が無いのですから、それを当てにしていた側は、金銭で決済することになります。そう、実際に米が渡される訳でもないのです。

 買いから始まった場合米の現物ありきなので考えにくいことではありますが、売り側が突然の不作などで現物を渡せない状況が考えられます。この場合は飢饉になる可能性が高いので、生産者側への支援をすることになります。

 とりあえず、この程度の説明しかできません」


 安兵衛さんは義兵衛の締めの言葉を聞くと、これ以上の無理は禁物とばかりに椿井家の屋敷を急いで出て行った。

 そして、この時は実の所安兵衛さんも限界が近かった、ということを後から聞かされたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「棄捐令」は、よく混同されますが「徳政令」とは全く別の政策なんですよね。 「徳政令」は『借金は全て帳消し』なのに対して、「棄捐令」は『借金の元本分』を返済し終わっているものには『ついている利…
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