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田安家屋敷での相談の始まり <C2454>

■安永7年(1778年)9月5日(太陽暦10月24日) 憑依234日 晴天


 北町奉行所の明るくなった座敷で、ぐったりとしたまま仮眠している義兵衛のもとに御殿様からの伝令がやってきた。


「お疲れの所でしょうが、殿がお呼びです。『定信様からの呼び出しの件もある』とのことなので、至急お戻りください」


 どうやら新しい施策にかかわる面々が一斉に動き始めたようだ。

 まだ疲れが抜けきっていない体を起こして伸びをした。

 家臣として新参者の義兵衛であるにもかかわらず、年上の伝令が敬語を使ってくることに違和感があるが、これは重臣・細江家の養子とは言え嫡男であることと御殿様に重用されていることが浸透しているからに違いない。

 安兵衛さんは平然と見ているが、義兵衛にしてみれば、細かいことに恐縮してしまうのだった。

 しかし、安兵衛さんの視点では、御老中・田沼様や今や田安家の当主となった定信様と平然と会話するほうがよほど不自然と思えるに違いない。

 まだ頭が充分にまわりきらないまま、義兵衛と安兵衛さんは奉行所を後に屋敷へ急いだ。


「私の言ったとおりでしょう。そこに知恵袋があると判ってしまうと、事情はともあれそれを手放すとは思いません。御老中様や庚太郎様は義兵衛さんに甘く、自由を認めていますが、その庇護から離れるとそうは行かなくなります。『行方をくらまして、華さんのところでのんびりしよう』なんてことは、今更ですがもう許されませんよ。

 定信様に義兵衛さんの真相が判ってしまうと、今所ではない大変なことになるに違いありません」


 安兵衛さんの言う通り、言動を慎重にしなければ使い潰されてしまう。

 屋敷へ戻ると『午後には田安御門内・北の丸にある定信様の御殿に呼ばれている』ことを伝えられ、その支度に皆が奔走していた。

 通常の登城は、皆が一斉に通ることから供の人数などの制限もかけられ、500石並みの供奉要員数からかなり少ない人数でも許容されて、いや奨励されているのだが、田安御門から城内へ入るにあたっては古式に沿った供揃えが必要と御殿様は判断されたようだ。

 幸い、夏場に里へ戻る折に古式に沿った行列を組んでいたため、旗指物などの道具類は一応揃っている。

 馬も幸い昨日江戸に到着した便があるため、調整が可能な範囲となっている。

 問題は人員なのだ。

 慶安軍役令が活きており、500石では旗持を兼ねた供侍2人、甲冑持1人、鉄砲1人、弓持1人、草履取1人、挟箱持1、馬口取1人、槍持1人、小荷駄2人の計11人が同行する定めとなっている。

 これに、行列の先ぶれとして中間の2人も必要なのだ。

 戦国の世であれば、実戦可能な若い者をこの人数揃えるというのは当然のことであるが、乱世ではない今、名目は甲冑持がかなりの御老人であったり、まだ里に居る寺子屋入塾前の子供が鉄砲の係だったりする。

 当然間に合わないので、屋敷塀が接している旗本の冨永家や間宮家、中野家など隣接する家に説明をして、その家から郎党を借りることになる。


「義兵衛は旗持ちをしてもらおう。申し訳ないが、安兵衛様には鉄砲持ちになってもらいたい。鉄砲の実物は小荷駄の中にあるので、一応物だけ確認しておいてくれ。後で甲斐守(曲淵)様には事情を説明しておくので、了解してもらいたい。定信様との話で同席が必要なのであろう。臨時に義兵衛同様の家臣扱いにしておく方が、門番の所では都合が良かろう。

 御殿様からは定信様に、安兵衛様が義兵衛に付けられた付き人と説明すると聞かされておる」


 紳一郎様は供侍筆頭であり行列の指揮を取る関係で、集めた人へ細かく意見しながら走り回っていたのだ。

 やがて刻限が来て、先ぶれと共に仰々しい行列が出立した。

 正午丁度に田安御門に着き、検められることもなく御門を通過し、右手の田安家正門から屋敷に入った。

 行列で引き連れていた大方の者は玄関横の小部屋で待たされるが、通常の供待ち部屋ではなく、その次の間で歓待を受けるようだ。

 御殿様と予め指定していた義兵衛、安兵衛さんが小姓の先導を受け奥座敷へ案内された。

 そこには既に勘定奉行の桑原能登守様と、勘定組頭の関川様が控えていた。

 最下座にあたる座敷の入り口で御殿様は平伏し、義兵衛と安兵衛さんは廊下の板敷きで平伏する。


「主計助殿、共に呼び出しを受ける身であろう。そのように端で畏まると話も遠い。勘定方として聞きたい話もある故、もそっと近く寄れ。横に控えておるのは、配下の勘定組頭・関川庄右衛門じゃ。

 おお、そうじゃ。関川は田沼大和守(意知)殿のところに居る椿井甲三郎と懇意にさせてもらっておるが、彼の者は主計助殿の弟と聞いておるぞ。どこかで見知っておるのではないかな」


 御殿様は勘定奉行配下の油奉行であり、桑原能登守様は直接の上司であり約2ヶ月程その配下としてお役を務めていたので、初ではない。

 そして、勘定奉行の支配という序列から見れば、直接・間接の差はあるが勘定組頭は油奉行と同列に近いのだ。


「はっ、初にお目にかかりますが、関川様のお名前は伺っております。私の後ろに控えておりますのは、義兵衛と安兵衛と申します。丁度1ヶ月前、北町奉行所の土蔵で関川様とお話させて頂いた、と報告を受けておりますので、この両名は初対面ではないはずです」


「義兵衛様、あの折にはいろいろとお教え頂きありがとうございました。

 米価について成程と思う所もあり、良い機会があれば、と思っておりました。座敷と廊下では話がし難いので、皆様中へ入られてはいかがでしょうか。まもなく、定信様もお越しになると思います」


 御殿様が座敷の中に入り、義兵衛と安兵衛さんも続き、御殿様と並ぶように進言され右から順に座ったのだ。

 良く考えると、義兵衛を中心に左右に御殿様と安兵衛さんが座り、右横側に縦列で関川様と勘定奉行・桑原能登守様が座っている。

 おそらく正面には定信様とそのお連れの方が来るのだろうが、ある意味義兵衛を中心に皆が諮問する場とも見えなくはない。

 そんなフラグめいた思いをしていると、果たして定信様が家臣を4名も連れて入室してきた。

 内、座卓を持参してきていた2名は左側に座り、筆記できるよう卓を広げ、紙と硯・筆を揃えておいた。

 定信様は義兵衛の正面に座り、その左右に、以前八丁堀の屋敷で見た御家老と、もう一方には同じような歳と思われる家臣が座った。

 一同は平伏して、定信様の声掛りを待っている。


「皆の者、顔を上げよ。挨拶などはせずとも良い。時がないゆえ、率直なところを聞きたく、この場を設けた。

 ことの次第は知っておると思うが、老中・主殿頭が提示した飢饉対策のことじゃ。以前、椿井家の里近くの神社におった巫女の話をしておったであろう。主殿頭が保護しておる巫女と話をして、飢饉対策を練りこれを検討すべく執政を行う者たちへ披露しておった。

 大名へ『上げ米の制』で発した参勤負担軽減による浮いた費用で『囲い米の制』による米備蓄奨励がまずある。そして、江戸町内での飢饉対策米の備蓄という2点を進めておった。

 わしが気にしたのが、勘定奉行が申しておった米価の安定策じゃが、どうも裏づけが乏しいまま勘定奉行への宿題となったように思えた。果たして、勘定組頭で米相場のことを気にしておる者が『椿井家の知恵者と話がしたい』と言っておると聞き、この際、わしが仲介し、ついでに話を聞こうとしたまでじゃ。

 まずは、勘定奉行から話を始めよ」


 いきなり、王手がかかってしまったような感じなのだった。


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