寛政の改革内容を曲淵様へ披露 <C2453>
北町奉行所内の曲淵様私邸座敷で、御奉行様と義兵衛、それに安兵衛さんが向き合って会談している。
「だが、まず御老中の説明された中身を理解しておきたい。義兵衛もそう考えここに来ているのであろう」
曲淵様は都合の良いように解釈してくれているが、断じて違う。
「いえ、私は御殿様の指示で大坂・堂島の米相場のことを知りたく、話が聞ける方を紹介してもらうためにここへ来た次第です」
「ははぁ。定信様対策か。あれだけの話から先を読んでおるのか。主計助(庚太郎)様も目端が利いておるのぉ。
大坂では、そこの与力・同心に任せておったゆえ、現在の配下に適任者が居らぬ。ただ、勘定奉行配下には堂島米会所に多少詳しい者もおる故、引き合わせよう。
ああ、もう知っておったか。あの土蔵で会った関川庄右衛門殿じゃよ。勘定組頭となっておる。
話を通しておく故、安兵衛から訪問して良い日時を伝えようぞ」
関川様は、あの土蔵での説明会の時に『江戸で米相場会所を建てようとしたが上手くいかなかった』と話し理由を聞いてきた人だ。
難儀なことになってきた。
「それで、義兵衛の用は済んだのであろう。
萬屋と町年寄を呼んで話しを聞くときに、主計助様と義兵衛の同席は不要としたい要望は受ける。だがその代わり、後日の策をまとめるときに義兵衛の協力をしてもらいたいことと、今宵はこの奉行所に留めいろいろと話しを聞きたい旨申し付ける。
だれぞ、椿井家に使いをせよ」
安兵衛さんが奉行所私邸の用人へ文を持たせ、椿井家の屋敷へ使いを出した。
どうやら、何が何でも全部聞きだす心算のようだ。
「さて、これで心置きなく話しもできよう。
御老中の示された策の中で、江戸市中の飢饉対策について何が課題なのかを聞いておきたい。時間が無いことゆえ、要点を絞って話しをしようではないか」
巫女・富美が田沼様にどう話したかの内容にもよるが、日本史の教科書・便覧と入試用の参考書から得た情報でしかないだろう。
概ね、寛政3年(1791年)に出された町法の改正を指した内容に違いない。
『寛政の改革では江戸町会所が設置され、町入用(町費)の節約分の7割が積み立てられた』
『七分積金とは、江戸の町入用を節約し、その額の7割を江戸町会所に積み立て、貧民救済資金を捻出しようとした施策である』
だが、実際は単独で施行されたものではなく、他の政策との組み合わせから成り立っている。
なので、この数文字から背景を読み取り、形にするのは困難を極めるだろう。
それゆえ、大まかな方針だけ伝え、現状に合う企画をまとめるように下達したに違いないのだ。
正直自分の手に余ることなのだが、下達された曲淵様は直接の担当だけに追い詰められているのかも知れない。
「本来の狙いは、非常な事態に陥った時に、江戸市中の町民や流れ込んできた農民・浪人・浮浪者などが騒動、つまり商家の打ち壊し、果ては武家屋敷への不埒な真似など、お上のお膝元で起す騒動を予め防ぐのが目的でございましょう。
飢饉対策はその中の一つにしか過ぎないのです。
騒ぎが起きる大枠から考えてみることが必要かと存じます。
どのような場合に、どういった面々が規律を乱すのか。特に、市中の米が不足し、市中では値段が高騰して手に入らなくなった、という状況を考えてはどうでしょう。そこから、非常時に取る施策、常時に取る施策を決め、それを無理なく維持するための施策と順を追って抜き出していけば良いのです。
喫緊の課題は、御老中様からの宿題への回答となりますが、指示された『各町内に救荒米を蓄える』は、解決策の一つでしかなく、『複合的に関連する施策を打たねばならず、そちらの検討から深めていく必要がある』として、検討している課題を答申し、その各々に専任が必要なことを具申して、詳細を詰める時を稼いではいかがでしょうか」
曲淵様は渋い顔を見せた。
義兵衛は、示された案に具体的な金額が無い点を強調して説明を続けた。
おそらく、巫女の富美(中の阿部)は『七分積金』のことは知っていても、金額にあたる数字を意識して覚えていなかったに違いない。
「まず、提示された案は飢饉時の米対策に特化して説明されております。このため、背景が抜け、具体策に欠けています。
本来は、物価安定と困窮町民対策の施策です。そのための施策はともかく、提示された案にある『町会所の積み立て金で米穀を蓄える』ところだけまず考えましょう。
うろ覚えの数字なので、実際には江戸1600町を対象に綿密な調査と突合せが必要なのですが、まず江戸市中の町民が支払っている地代・店賃、これがおおよそ年間40万両と考えております。この中からおおよそ15万両が町を維持するための費用でしょう。この町入用の費用ですが、これを費目毎に点検し不要と思われるものを省くと、おおよそ3万両を浮かせることができます。この年3万両という金を原資に物価と困窮町民の対策を行うというのが筋となります。
3万両の内、2割は地主へ戻すことで地代・店賃の安定を図ります。そして、1割を町入用の予備とし、残りの7割に相当する2万両を積み立てて運用します。
最初の1年は、浮いたお金を集める必要がありますので、使うことはできません。費用の不足はお上から2万両の御下賜金を頂く形となりましょう。
それで、まず1万両を使い蔵を建て、備蓄する米を確保します。単年では米の量は不十分なので、数年かけて貯めていくことになります。残りの1万両は、町民に貸し付けする資金となります。ここから上がる利息で町会所を運営する恰好になるでしょう。
いずれにせよ、今言った概算金額の裏付けをきちんとする必要がありましょう」
安兵衛さんが驚いて声を上げた。
「1600町で町を維持するためのお金の動きを、概算にせよ把握されているのは驚きです。地代・店賃で毎年40万両(400億円)もの銭が徴収されている、というのは初耳です。どうして判るのでしょうか」
曲淵様も頷いた。
「そうですか。先に述べましたが、これは確かな数字ではありませんので、詳細を詰めるには調査が必要です。
数字自体は、具足町の実績を萬屋さんで聞き、大体1000倍したものです。日本橋は賑やかなところなので、1600倍では大きな数字が出すぎると考え、1000倍を選んでいます。あとは3割の比率が妥当と見て設定しています。
なので、江戸市中の1600町全てに収支・費目の調査を至急行い、数字を確定する必要があります。この作業を含め、町年寄に丸投げしませんか。町奉行所では、必要な触れを出し、これが守られていることだけに集中したほうが良いと思います」
「うむ、なるほど。最初の答申はその線で詰めるのも手か。
それで、提示案にない検討案とは何と考えておる」
ここで義兵衛は、『旧里帰農奨励令』『札差他国出稼制限令』の2点を挙げ、内容を説明した。
「江戸の町民を減らす工夫です。里がある者は多少の援助をして里に戻らせ、また農村の振興により人が江戸に出るのを防ぐことで、浮浪者となりやすい者を江戸から減らします」
次いで、『人足寄場』の策について説明した。
「江戸の治安を脅かす無宿者・刑期満了者で引取り手のない者などを強制収容し、大工・建具・指物などの技術を与えたり、普請人足として働かせる場を作ることで、潜在的な扇動者を排除する狙いです。
こういった策も同時に講じて、非常時の城下の治安維持を少しでもやりやすくするのです」
その後は、夜が更けるのも忘れたかの様に発せられる曲淵様からの質問に、義兵衛は澱みもなく答え続けた。
そしてうっすらと夜明けが近いと感じられる気配が漂う頃、義兵衛はやっと解放されたのだった。
「義兵衛さんは今夜だけかも知れませんが、私は毎晩こうなのですよ。しかも、質問に答えることもできずに宿題だけが積もっていくのです。殿様からの質問を切り返すことができる義兵衛さんには、本当に凄い人です」
そう言って安兵衛さんは曲淵様が去った座敷にグテッと転がったのだった。
寛政の改革を調べるのに手間取っており、ギリギリの投稿となりました。正直、政策観点で執筆すると速度が極端に落ちます。次回は2020年12月21日投稿を予定していますが、まだ2行しか手がついておらず、苦しんでいます。




