寛政改革を先行する試み <C2451>
■安永7年(1778年)9月4日(太陽暦10月23日) 憑依233日 雨天
雨降りの早朝、傘を差した安兵衛さんが屋敷へ駆け込んできた。
「義兵衛さん、昨日ここで話された内容を御奉行様に報告したところ、興味深い話を聞けました。
椿井庚太郎様など関係される御武家様、萬屋さんに限ってはお知らせしても良い、とのことでございます」
長屋口で義兵衛を呼び、告げられた口上を聞き、義兵衛は急ぎ紳一郎様に御殿様の都合を聞き、急遽座敷で安兵衛さんから報告してもらうことになった。
御殿様と紳一郎様が上座に着席すると、安兵衛さんが口を開いた。
「申し上げます。御奉行様へ昨夜この座敷で行われた話の内容を申し上げた席にて、飢饉対策に関してお上がどのように進めようとしているかの話を聞きました。田安家の定信様が臨席する中、御老中様と勘定奉行様、南北町奉行様が同席された場所で話し合われた内容ゆえ、これを詰めた内容で近々お触れが出されることになると思われます。
私に話された後、『話したことを椿井家へ伝えよ』という趣旨である旨を確認しましたので、ここで報告させて頂きます。
まずは『各領地にて100石につき5石を目処に飢饉対策として蓄えよ』との触れを出す予定とのことでございます」
どうやら、天明の大飢饉後に老中・松平定信様が発した対策、寛政の改革の事案を前倒しして出すことになったようだ。
史実では『囲米の制』として知られているが、寛政元年(1789年)に出された触れ『1万石につき50石を5年かけて各領内に備蓄し、飢饉に備えよ』を11年も先走って発したものとなる。
ただ、寛政の改革では、質素倹約を全面に打ち出し、これを推進することで浮く費用をあてに備蓄を進めるものであったはずが、予算の手当てが全くできていない。
史実の触れでさえ0.5%の量を備蓄させるのにも費用に裏付けを添えて触れを出すよう考えていたのに、それをいきなり10倍の5%もの量を指定し、なおかつ飢饉が始まるまで4年を切っているのだから、実施は容易ではない。
「触れの内容には、費用の裏付けがないように思えますが、そこはお聞きになられましたか」
義兵衛が思わず口にした。
「さすがに義兵衛様ですね。
享保7年(1722年)に出された『上げ米の制』を再び出して費用を捻出することをお考えです。それゆえ慎重に吟味されておられるようです。旗本については、知行地を持つ者について『棄捐令』を出し、軽くなった負担で各知行地に義倉・社倉を設けさせる方向で検討を進めているそうです。代官が治める場所については、別途検討されるようです。
この件で、定信様が『椿井庚太郎様とお話したい』というようなことを申しておった、と聞いております」
性急に進めては、大名はともかく旗本は厳しいに違いない。
せめて、椿井家と杉原家の献上金を回すことを匂わせたほうが良いと思いついた。
「恐れながら申し上げます。旗本の知行地に義倉を設け米を蓄える触れについて『棄捐令』ではなく、当家が出す献上金を基にした貸付金を起こすことを検討して頂く旨言上されてはいかがでしょうか。そして、知行地安堵の一札を頂ければ、杉原家も安泰になるのではないでしょうか」
御殿様は鷹揚に頷くと、安兵衛さんに先を続けるよう促した。
「はっ、概要についての説明を続けます」
策自体は現老中の田沼意次様が詳しく書いたものを持参して説明されたそうだ。
巫女から得た情報から、後世から見て有効とされた策だけを抽出すれば良いので、中身には苦労しなかったものと推測される。
この説明にあたっては、田安家の定信様が臨席され強く支持されたそうだ。
「それから次に江戸市中に対する施策を話されたようです。
内容は、各町内に救荒米を蓄えることの検討であり、こちらは町奉行への宿題となっております。
これは、以前に義兵衛さんが萬屋のお婆様に話されていたことと同じで、お上がお墨付きを与えたようなものです。とは言え、実際にことが成るための課題は多いでしょう。ただ、『萬屋さんが先行して足場を固めておられるので、町奉行としては大変助かった。町年寄りとお婆様を奉行所に呼んで話を聞きたい』と申しておりました」
この費用の裏付けは『七分積金』という名前で有名な仕組みであり、江戸市中の町経費の節約によって浮いた金子の3割を地主に還元して店賃を下げさせる一方、残りの7割とお上からの下げ渡し金を町会所で積み立て災害時の共済に当てるもので、おそらくこの共済金で江戸市中で米の備蓄を計るものだろう。
果たして、安兵衛さんはその通りの説明をした。
「こちらの案については、勘定奉行・桑原能登守様が強く支持されておりました。勘定組頭の関川様が『米価の安定のためには、町民の間に価格調整することができるほどの量の米を備蓄させることが肝要』と強く進言しており、これを受けたものと推測されたそうにございます」
どうやら、奉行所の土蔵で説明した内容を理解した上、価格安定のためにはバッファを持つことの重要性に気づいたようだ。
「そして、勘定奉行・桑原様から『奉行所内の土蔵での説明会について継続開催を』との強い要望が出されましたが、町奉行・曲淵様はこれを丁寧に断っております。ただ、このやりとりがあったことで、同席されていた田安家定信様は興味を覚えたようで、後ほど桑原様を呼び出し事情説明を求めた、と聞いております。
今、私が聞いた話はこれですべてでございます」
これは厄介なことになりそうだ。
「うむ、執政される方々の施策動向をお教え頂き、誠にありがたいことじゃ。
勘定奉行様の件は、近々定信様からの呼び出しとなるか。なかなかご機嫌伺いもできておらぬから、心しておく必要もあろう。旗本・知行地の飢饉対策について、まずは話を求められることになるのであろうな。
それから米相場についての話しを求められるのであれば、流石に義兵衛抜きではまずかろう。
前回の説明会の場では『大坂のことゆえ知らぬ』で切り抜けたと報告しておったが、定信様に呼び出されての説明では、その言い訳は通らぬじゃろう。多少訳を知っておるものから今の内に話を聞いておくのもよかろう。
安兵衛殿、北町奉行の曲淵様は大坂西町奉行に就いておられたのであろう。大坂・堂島の米会所の相場のあり方について知っておる者を紹介頂く様に頼んでもらいたい。
ああ、それから奉行所に萬屋のお婆様を呼んで話を聞く時に、ワシや義兵衛の同席は不要と思っておるが、それでよいかも確かめておいてほしい」
安兵衛さんからの報告が終わると御殿様は退出し、それから紳一郎様から指図が出た。
「この件の有無にかかわらず、萬屋に出向く予定であったのであろうが、より重要性は増したと思うぞ。急ぎ行け。それから、北町奉行所様から米相場を知る者を聞きだすのは重要ゆえ、こちらも急ぎ手当てしてこい」
雨が降る中、義兵衛と安兵衛さんはまず萬屋の本宅へ顔を出した。
玄関先でお婆様に要件を伝えるだけにするつもりが、華さんが玄関先に出てきて応対を始めると、座敷へ上がるしかなかった。
「義兵衛様、お忙しいこととは存じますが会えてうれしゅうございます」
横に控えている安兵衛さんの視線が痛い。
せかされているのは判るが、こうなると腰を据えて話をしていくしかない。
「華さん。この秋が勝負所なので、あまりゆっくりも出来ないのが残念です。冬場に向けて、あまりにも多くの課題が一度に押し寄せてきているのです。もっとも、御殿様の重責に比べれば、私の頑張りなんてまだまだ軽いものです。
今日はお婆様が携わっておられる飢饉対策について、お知らせすることがあってここに寄った次第です。でも、こうやって華さんに会えたことは喜ばしいことです」
婚約者が居ることを失念していたのではないが、あまり良い言い訳にもなっていない。
給仕された茶を頂きながら華さんと世間話をするうちに、お婆様が座敷へ入ってきた。




