所領安堵のために <C2450>
佐倉藩の木野子村工房から戻ってきた助太郎の報告は一息ついた。
「そうすると、名内村で7000個、木野子村で5000個、金程村で5000個の計17000個が毎日作られているとなる。千次郎殿、月に直すと50万個にもなろうという練炭の量であれば、もう少し派手に七輪を売り出しても差支えないのではないかな。
たかだか1000個程度の七輪ではとても消費できる量ではなかろう。市中に2万個の七輪があっても間に合う勘定ですぞ」
紳一郎様が萬屋・千次郎さんに喰ってかかった。
当屋敷に何万個もの七輪が堆く置いてある状況を見れば、これを早く売り捌きたいという気持ちも良く判る。
寒さが厳しくなる内は売れるが、春の兆しが見えれば売れ残りとなる運命なのだ。
屋敷に積んである在庫は、別会計とは言え椿井家にとっては借金でしかない。
230石旗本の杉原家が手にする利益が1万両と聞いた後では、500石旗本の椿井家が余計な借金を背負わされているという思いが先に立っているのだろう。
その実、椿井家は金程村の工房に戻す分も半分はあるのだがそれを含めて毎日175両の売り掛け金を得ているのだ。
そして、それ以外にも小炭団の売り上げも入ってくる。
これから年末までの4ヶ月で2万両を超える金額になってくるのだ。
ただ、これらは全部萬屋の借金であり、椿井家分だけでなく杉原家、名内村・富塚村、佐倉藩分を入れるとおおよそ8万両にもなろうという膨大な借金を年末までに負うことになる。
ただ、萬屋が売り切ることができれば、萬屋の利益は2万両を下回ることはない。
「はっ、佐倉藩の生産をあてにしていなかったため、かなり抑制した売り方になっておりました。佐倉藩からの搬入が毎日5000個という水準になることが確認でき次第、売り方を含めて方針を変えましょう。
それで、以前も申しておりましたが、私も佐倉藩の練炭作りの状況を一度見てみたく、義兵衛様が佐倉に行かれる際に同行させて頂きたいのです」
千次郎さんは慎重な姿勢を崩さない。
うかつに七輪の販売口を開けてしまうと、冬場に練炭が枯渇するという最悪の事態となり、結果として店の信用を失うのだ。
信用が無ければ萬屋としての将来もなく、何万両という多額の借金をかかえたまま一家は路頭に迷うこととなる。
「うむ、それで良い。佐倉藩へ見に行くには、機会を窺う必要もあろう。
佐倉藩では炭焼きの窯に手当てが必要とは、これは恩を売る良い機会かも知れぬ。
視察に行く時期はワシから指示する故、それまで佐倉藩と接触することは控えおけ。練炭搬入時に何某かの要請を受けるやも知れぬが、安易に返事はせず、江戸藩邸を通しての話とするように伝えおけ」
御殿様には別の思惑があるようで、気軽に木野子村へ行く訳にはいかないようだ。
「助太郎。里へ戻ったら細山村の佐助に再び佐倉へ向かう可能性があることを伝え、準備させよ。
それから、名内村・木野子村に出張った時の給金はどう手当てしたのかを語れ」
ここは、助太郎ではなく義兵衛が手当した所なので、助太郎は首を横に向けてきた。
「樵家の派遣の手当は私が行いました。佐助さんへの給金は1人1日で600文です。宿泊と食事については私のほうで手配し、給金には含んでおりません。
資金は、名内村・木野子村の練炭売り上げで得られる指導料の1個10文から充当されるであろう費用が該当すると踏んでおり、私の手元金から一時的に出費しております」
「ほう、6人を50日も送り込んでいたのであれば、45両にもなろう。宿や食事まで手当したとなると、合わせて60両位か。そうであれば、1分に延べ人日を乗じた費用を依頼元には用意してもらうことが必要じゃな。あとは、秘訣を教えることの対価か。これは算出が厄介じゃな。窯を一回使う毎に幾らという取り決めをしても、監視する訳にもいかんからなぁ。練炭とは事情が異なるので、そこは恩着せがましく言っておくしかないか。
本来であれば、練炭製造の秘訣についても対価を貰いたかった所なのだが、こちらから製造を頼んだという事情があるから言い出せなんだのが悔やまれるところじゃ」
御殿様は、佐倉藩から木炭作りの指導を求められた時に、人を派遣することに対する対価をどう取るかを考えているようだ。
その上、製造の秘訣まで対価を得ることを考える、という普通の武家では考えもしないことを平気で口にしている。
安兵衛さんはボソッと呟いた。
「椿井家の御殿様は、商人のような考え方をする方とは。金を稼ぐことを何の抵抗もなく口にされるのは驚きだ」
義兵衛もこっそり返す。
「このような考えを持たぬ旗本が多すぎるのですよ。だから、札差や両替商に大きな顔をされてしまうのです。
椿井家の里では、年貢の一部を米ではなく金で済ませる方法になり、里を治める武家の意識も他の旗本と違ってきているのでしょう。御殿様だけでなく、御兄弟も他の旗本とは少し違っておりましょう」
多少顔を見知った杉原様と、御殿様のご兄弟である甲三郎様や壬次郎様とを比べると、生活の姿勢が随分違うように感じており、それを率直に口にしてしまった。
このやりとりが聞こえてしまったのか、御殿様が安兵衛さんの顔を直視した。
それに耐え切れず、安兵衛さんは声を絞り出した。
「先ほど、年末時点で杉原様の所に約1万両の売り掛け金が入るという報告がございましたが、これを私は御奉行様や御老中様に報告することになります。こちらの家はともかく、直接の面識を持たない杉原様の扱いについて何か策を示しておかないと、まずいことになりませんか」
厳しい視線をそらすに充分の意見だった。
紳一郎様が身を乗り出した。
「殿、杉原様の所だけではございませんぞ。当家とて、同じ立場でございましょう。確かに、名内村だけで日産7000個、里では4村で日産5000個であり、見かけ上の実入りは杉原様のほうが目立ちますが、同じ仕置きが下されることは充分あり得ます。せっかく日の目が見え始めた里を、一言で召し上げられる様なことがあってはなりませぬ」
紳一郎様の悲痛な訴えに場が沈んだ。
「義兵衛、練炭を140文で卸しておるが、実際の所当家としての取り分はいかほどになる。もちろん、原料となる木炭購入の支払いや工房の取り分、輸送の費用を除いてじゃが」
「はっ、おおよそ40文の利益はあります。これは毎日50両という金子になります。月1500両で、年に直すと18000両でございます。当初お約束しておりました利益5万両という金額には至っておりませぬことをお詫びいたします」
当初の目論見では、5万両を運用して、その利息の2000両を椿井家の収入の柱に据える構想だったのだ。
そうすれば、練炭作りを焦る必要性が大きく減る。
「いや、それは現状が続きさえすれば、いずれ達成できよう。それに、売り掛け金は、諸々の費用を含んでおり、利益のことではなかろう。それよりも、安兵衛殿が懸念したように、先に渡り現状を確実に保持することこそ重要である。杉原殿の所も当家も、俄かに裕福になっては他の旗本から嫉妬されることは間違いなかろうし、良く思わぬ者も多く出よう。
そうさのぉ。最終的には当家の利益の半分をお上に献上することで、『今の状況を続けても良い』という言質をお上から頂くしかなかろう。
椿井家の里は、神君家康公様から領地永代安堵の御字御判付き書状を頂き、さらに家光様からの書状があるゆえ取り上げられることは防げるとしても、杉原家の名内村は朱印状だけであるため難しかろうなぁ。まずは、杉原殿にも相談して、そこへ落とし込むための方策について口裏を合わせておかねばならぬな。これはワシの役目じゃな。
あぁ、その相談に義兵衛は参画不要じゃ。お前がおっては、安兵衛殿を通して秘策が御老中様に筒抜けじゃ」
安兵衛さんが苦笑いしている。
皆がそれぞれ思う所を語り終え、報告と今後の方針のすり合わせは終わった。
いずれにせよ、御殿様からの指示待ちとなっており、どのような指示でも対応できる準備が必要となったのだ。
書状の格ですが、印と花押があるものを御字御判と呼びとても珍しい最上格のものです。通常、10万石以上の大名に与える書状に見られることがあると聞いております。続いて、御判という正式印が押された書状で、大名クラスの書類には使われています。低い格のもの(旗本や寺院相手)には、朱印・墨印が押されています。
こういった背景から、椿井家の所領はかなり強力に保護されていると思われております。
つい最近仕入れた情報です。




