七輪・練炭の初売り <C2448>
■安永7年(1778年)9月1日(太陽暦10月20日) 憑依230日目 晴天
千次郎さんが26日に輪王寺宮御門跡様屋敷を訪問されてから晴天が続いた。
それからの3日間、日本橋の萬屋では手代が料亭の事前注文に応じた荷運びをして外回りをしながら七輪売り出しの宣伝をする一方、店に残った丁稚等は初日売り出しの商品一組単位でまとめる作業をして店奥に仕舞う作業に忙殺されていた。
売り出しは個別に商品を扱うのではなく、七輪2個と普通練炭10個、薄厚練炭20個を組み合わせて組としてまとめ、金2両の現金払いする顧客に下げ渡す恰好と決めている。
ただ、この方法はその場で受け取った商品を買主が自分で運ぶ必要が出て来る。
予め話をする機会があった料亭には伝わっているが、これを聞き逃した者は買い付けた所で難渋することが見えてはいた。
何にせよ、店頭渡しを考えると、売出の初日が雨だと幸先が悪いということを心配していたのだが、爽やかに晴れたことに安堵したのだった。
この時期、日差しがある日中はふんわりと暖かいが、流石に朝晩は涼しさを通り越して寒さを感じることもある様になってきているのだ。
そんな気候で、萬屋から七輪の販売が始まったのだった。
練炭不足を考えていなかった頃は華やかな演出を伴う売り出しを考えていたのだが、この冬場を長期的に見て売出数量を抑制したほうが良いと判断したことにより、店先に幟を一流立てただけのひっそりとした門出となった。
瓦版による宣伝も9月3日までは控えるようお願いをしており、この日の売り出しを直接知っているのは仕出し膳の料亭と関係者だけとなっている。
にもかかわらず、料亭の主人や女将が顔見せに来てくれており、そこそこの賑わいとはなっていた。
八百膳と武蔵屋への店頭渡しとなっている43組・86個の七輪と練炭が、熨斗を貼り付けて店の入り口から見える場所に積み上げられ、そこに引き合いがあって後から持ち帰りとなった七輪・練炭に店に名を朱書きした熨斗を付けて積み上げられていく。
中には店の名前の宣伝とばかりに、翌日取りに来ると言い残す主人もいるが、萬屋ではそれも賑わいの一つとして歓迎している。
そういった喧噪も昼過ぎまでのことであり、料亭が忙しくなる夕方を前に賑わいは消え、代わりに同業者の薪炭問屋の番頭や丁稚が偵察に来ているのがそれと判るほどになっていた。
夕方になり、街道筋から脇に入った具足町通りの賑わいがだんだん落ち着いてきた。
「今日はもうここまででしょう。事前分と今日の売り上げ分を確認しませんか」
大番頭の忠吉さんが主人・千次郎さんにこう告げ、丁稚に指示を出して店仕舞いにとりかかった。
後は忠吉さんに任せ、茶の間に入って千次郎さんは集計を始めた。
とは言え、昨夜に事前分は帳簿に穴が空くほど見ており、今日の売り上げ分を帳簿に記入し現金を数えて終わりとなった。
「七輪は事前の予約掛け売りで512個、料亭が158店と幸龍寺・満願寺の2ヶ所。事前の暫定定価分が114個、料亭の4店と輪王寺宮御門跡様で、八百膳さんが26組の52個、武蔵屋さんが18組の36個、大七さんが7組の14個、平岩さんが1組の2個で現金先払い、輪王寺宮御門跡様には組ではなく10個掛け売りとなっています。大七さん、平岩さんは卓上焜炉の調達の時に真っ先に動いた向島の料亭です。武蔵屋の様子を窺っていたに違いありません。
それで、掛け売りは276両、現金は104両となっております」
ここまでは昨日聞いた通りとなっている。
ちなみに、料亭・大七さんは6組12個を本日持ち帰らず、七輪に店の名を朱で書いた熨斗をかけ、萬屋の店頭に並べてある。
事前の掛け売り分は半値にしたためほとんど利益がなく、利益と言えるのは現金で売った売り上げの半額52両(520万円)となっている。
「それで、本日分ですが、15の顧客に18組・七輪36個が出ました。売り上げた金額は36両で、利益は18両です。
顧客は先に事前掛け売りとなった13料亭と2つのお寺です。大勢の方においで頂いたのですが、単品での販売はまだしない旨説明すると残念がっておりました。組みで2両という販売を早々に変えたほうが良くありませんか」
忠吉さんが珍しく商売方法についての意見を述べた。
「いや、今の時期から七輪を大量に売り出しては先に信用を失いかねない。旬日毎の累計出荷数と最初の計画を照らし、出荷数量が著しく少ない場合に考慮することになっておる。輪王寺宮御門跡様に献上した分を含めて今日の締めで664個出ておる。七輪の単品売りは、9月10日までの出荷数量が1000個に届かない場合に取る策となっておるので、しばらくは組み販売しかしない旨徹底してもらいたい。
あと、今得ている利益の70両だが、半分の35両は義兵衛さんの権利分ということで、そこはきちんと分けて管理しておいてもらいたい」
千次郎さんは状況を俯瞰している。
そして練炭の供給が鍵を握っている今、この需要の頭をどうやって抑えるのかが、この冬の長丁場を乗り切るために必要なことなのだ。
「ただ、早く解除するためには、佐倉藩の生産量の実態をこの目で見るほかない。
11月からは日産3000個は可能と聞きましたが、やはり実態を見ておきたい。
義兵衛様、現地で指導している助太郎様はもうじき江戸へ戻られるのでしょう。まずは様子を直接聞きたいので、その折には私も同席させてください。また、近々佐倉へ行くのであれば、同行させてください」
先の佐倉から帰る時の様子であれば、助太郎は8月一杯木野子村に詰めた後は佐倉藩から暇をもらい、名内村の状況を確認した後に江戸に寄るよう指示を出している。
その通りであれば、今日は木野子村から名内村に移動しているに違いない。
前回は、合格品の全数確認を指導したため5日ほどかかったが、近蔵がしっかりと仕切っていれば問題は少なく、明後日には江戸に戻れるに違いない。
助太郎の報告するであろう内容が気になり始めた。
「名内村の生産に問題が無ければ、3日の夜には江戸の屋敷に帰着するでしょう。4日に御殿様への報告が終わり次第こちらに連れて来ますので、まずは見込みを確認しましょう。それから販売計画を見直しても間に合います。
それより、七輪を単品売りした時に、練炭の売り方をどうするか考えていますか」
「そこについて、バラ売りはせず1両単位で売ることにしたいと考えています。
普通練炭は1個300文ですが、4000文(1両)で14個と考えています。7個を1まとまりにして2段重ねた固まりを扱いたいのです。練炭は皆同じ大きさの円柱ですから、7個を2-3-2と並べてくくると安定して横に縛ることができます。
また、14個をまとめて4200文ですが、これを1両で購入した薪炭問屋が200文(5000円)の手数料でバラ売りすれば良いのです。そこまでは萬屋は独占せず、同業の商家が儲ける機会を残しておくのも良いと判断しています」
手元に良い商財があるので、販売量をまとめることで手数を省き、小判・両の単位を意識した取引に集中するというのは理解できる。
また、同業者にも儲ける余地を残しておく、というのは考え抜いた案に違いない。
「なかなか良い考えと思います。
あと、手数はかかりますが、出荷時に7個単位で重量計測し、基準範囲内のものだけ出荷するようにしてください。範囲外であれば代わりのものを出荷し、不合格な組みは一旦バラして個別に測定し直すなど、できるだけ不具合品を抑えるようにしてください。
手数はかかりますが、これが練炭商売での萬屋の矜持を示し暖簾を守ることになります」
義兵衛の言葉に千次郎さんは大きく頷いた。
実際は1両が4000文ではなく6000文になる場合もありましたが、この変動を考え始めるとさっぱり訳が判らなくなるため、1両=4000文の固定相場で考えて執筆しています。銀も1匁=100文としています。銀40匁が1両というのは違和感がありまくりですが、ご容赦ください。




