料理比べ浅草地区興業の準備会 <C2444>
■安永7年(1778年)8月18日(太陽暦10月8日) 憑依218日目 曇天
閏7月、8月、9月は3つに分けた地区で料理比べ興業を開催し、江戸全体での大会は10月の予定となっている。
毎月20日を料理比べの興業日ということはすっかり浸透してきたようで、瓦版の當世堂さんも毎月行われる興業でどの程度のスケジュール感で作業を進めれば良いかが判ってきたようである。
前回の向島での興業で、武家側行司筆頭に御三家の水戸様が参加なされるという噂が出るや否や、機敏に立ち回り余った瓦版を売り捌き利益を上乗せするという離れ業を見せていた。
明日19日は、会場となる幸龍寺で事前予行・リハーサルを予定しており、今日の寄り合いはその段取りを確認する目的で行われている。
だが、八百膳・善四郎さんと萬屋・千次郎さんから今日の寄り合いに義兵衛が出席すると聞かされている皆は、緊張していた。
特に、前回の武蔵屋の『幕の内弁当』、瓦版でも世間の噂でも武蔵屋が考案し売り出したと喧伝されてはいるが、事務方の面々は義兵衛の発案と知っており、そしてそれを口にしてはならないことも知らされていた。
最初から事務方として参加している面々はともかく、地区予選の興業として新たに加わった者の多くは、前回の満願寺での女将の怒りに対応すべく駆け寄った義兵衛をチラと目にしただけであり、義兵衛の人となりについての想像をたくましくしていたのだった。
「義兵衛と申します。事務方として今日からの参加となります。足手まといにならぬよう働きますので、よろしくご指導ください」
ど真ん中に用意された席には座らず、端の方に控えるように安兵衛さんと並んで座った義兵衛に、今回の興業の勧進元を務める武蔵屋の女将は深く頭を下げ真ん中の席に着くように促したが、八百膳の善四郎さんが『まあまあ』と手を振って抑え込んだ。
寄り合いの中身はほとんどが報告と周知・承認であり、義兵衛が口を挟むこともない。
協議対象の料亭は6個所であり、料亭毎の応援団の結成と組織化は結構順調に行えたとのことだ。
応援団の代表窓口と連携方法、待機場所・皆の居場所について示され、ここでは各料亭から応援団に提供されるサービス内容の報告と確認だけになっている。
このあたりは幸龍寺との連携が重要であり、社務所から派遣されているお坊様がしっかりと頷く姿を見ている。
「ここのところ、興業当日は晴天に恵まれておりますが、客殿外の観衆も応援団として意識するのであれば、雨天への備えもある程度は考えておいた方が良いでしょう。幸龍寺では、雨が降った場合に参拝客をどのように扱っておりますか」
この義兵衛の指摘に皆固まった。
「天気にかかわらず寺の行事は執り行います。雨の縁日だと参拝者は減りますが、各々が雨天を承知で来られますので、気にしたことはございません。
しかし、応援団という形にせよ関係者が境内の中で雨に打たれているというのは、確かに面白からぬ構図ではありますな。
雨天の場合は、本堂の庇の下を使うように予め場所取りしておく位でしょうか。客殿の傍ではないですが、雨に打たれるよりはましでしょう。興業の場所から離れますから、それなりの工夫は必要になりますが、それは幸龍寺側の責任でなんとかいたしましょう」
幸龍寺のお坊様の即座の返答内容に、義兵衛は了解の返事をした。
「本堂の庇の下に誘導するというのは、なかなか良い考えです。
こうやって、いろいろな事態を事前に想定し対応を決めておくだけで安心感が違います。どこが責任元となって動けば良いのか、ということが事務方内の皆が意識しておくだけで、非常時にも動揺せずに動くことができましょう。
雨天への備えとして料亭からも、名前入りの番傘を何本か出してもらい、本堂と客殿の間の往復はそれを使ってもらえば判りやすいでしょう」
あっさりと解決した。
「やはり、義兵衛様が入ると寄り合いの空気が変わりますな。決めなければならないことがすんなり決まります」
八百膳の善四郎さんが感心したように声を上げると、武蔵屋の女将も大きく頷いた。
「今回の行司はどうなっておりますでしょうか」
義兵衛の質問に武蔵屋の女将が応えた。
「今回は大きな番狂わせはなく、大所が揃ってしまいました。先の満願寺の興業で御三家の水戸様が参加なされたことを受けて、地区興業でも格の高い方々がお集まりになることが定着した感があります。
まずは御三卿の田安家・定信様、寺社奉行は戸田因幡守(宇都宮藩7万7千石、39歳)様、南町奉行の牧野大隅守(旗本2200石、63歳)様が武家行司席でございます。商家席は、町年寄地割役・樽屋三右衛門様、札差・笠倉屋平十郎様、鰹節問屋・高津伊兵衛様となっております。商家席の一つは薪炭問屋・萬屋の指定席ですが、事務方として商家目付役となるため返上し、行司席は入札としました。町役人席は町年寄りの持ち廻りですので、それ以外の2席を入札とし、興業の費用に充当しております。笠倉屋様と高津様が落札し計420両(4200万円)の収入がございまして、興業費用はあらかたこれで賄うことができております。
料亭席は、芳町・櫻井、湯島・松金、上野・宝来亭の3料亭にお願いしており、目付役には八百膳にお願いしております。
武家側目付は、いつも通り椿井様でございます」
地区興業となっているが、なかなかの人物が集まっている。
瓦版版元も今回は直前変更がないことを承知しているようで、話かけて来る。
「義兵衛様、今回は勝手知ったる幸龍寺で安心できますよ。ところで、前回披露した『幕の内弁当』のような隠し玉はないのでしょうかね。あの弁当の威力は凄くて、大分儲けさせて頂きました。『本邦初の武蔵屋考案の幕の内弁当』という掛け声が良くて、前回興業は『幕の内弁当興業』と呼ばれてしまっていますよ。今回はさしずめ『料亭応援団』でしょうな」
「各料亭の応援団の中に聞き取りする者を手配しておりますか。
今回対象となる料亭は6個所ですよね。それぞれの支持する料亭への思いやおすすめ料理を聞き出し、うまくまとめると良いですよ。後から聞き出すのではなく、料理比べをしている間に聞き出すのが味噌です。最初は無理でも、何度か実施すれば料亭に掛け合って宣伝費用として多少でも費用負担して頂けるかも知れません」
「なるほど、応援団の方々は後で確実に瓦版を買ってくれる訳ですな。料亭にとっても良い宣伝になりましょう。応援団の中に記事を取れる者を混ぜておくことまでは考えておりませんでした。早速に段取りしましょう。
6料亭でそれぞれ瓦版を起すとなると、これはひっきりなしに出すしかありませんぞ。他の瓦版屋には真似できない特別版なので、これは大当たりでしょう」
「いままでの料理関係の瓦版をまとめて冊子にしておきませんか。今年の分をまとめておいて、蔵書形式にして保持しておけば、好事家が思わぬ高値で買い入れるかもしれませんよ」
折角の資料が散逸することを憂いた義兵衛は、後世の資料価値として高いものがあることを指摘し、これの保持・保存を持ちかけたのだ。
瓦版版元の當世堂さんは、しっかりと頷いた。
どこかから『流石、座の知恵袋』という声が上がったが、善四郎さんがあわてて手を振って抑えた。
「これっ、それは言わぬ約束であろう。戸塚様、このことは御奉行様には御内密にお願い致しますよ」
武家側の取りまとめは北町奉行の曲淵様だが、この事務方の席には代理として同心の戸塚様が出席されていたのだ。
戸塚様は善四郎さんの要請に頷いて応えた。
義兵衛も久々ということで深々と目礼したのだが、横に居る安兵衛さんは毎日会っているせいか軽い会釈をしただけだった。
こうして、事前の寄り合いはもめることもなく、あっさりと終わった。
明日は、幸龍寺で実地確認となる。
やはりストック無しで直前に仕上げたものを投稿するというのは難儀なもので、後から反省することしきりです。(10/6、442話以降がこの状態で、手直ししたいところが多数)
なので、少し落ち着いて投稿したいと考えております。次の445話は、多分12日0時投稿となる予定です。よろしくご理解ください。




