佐倉藩製練炭の納品 <C2443>
■安永7年(1778年)8月17日(太陽暦10月7日) 憑依217日目 雨天
義兵衛と安兵衛さんに吉見治右衛門様、それに荷駄3疋と馬子に奉公人2人が続き、佐倉街道を江戸へ向ってかなりの速度で進んでいる。
「練炭が雨で濡れぬように上面に油紙を載せておるが、水をかぶった練炭は問屋ではどのような扱いになるのかな」
今日程度で降ったり止んだりを繰り返す小雨であれば運んでしまうという判断はある。
蓑の中まで浸み通るような本降りであれば、輸送は見送るのが正しい。
「濡れてしまった練炭は不合格品の扱いとなり、引き取って貰えなくなります。重量が基準となる幅の中に収まっているかを調べます。検品をする台に濡れずに載せて検品が終われば、後は店側の責任となります。なので、検品台に置くまでは、濡らすことがないように注意してください。
検品前に濡れてしまったら、おそらく重量の計測で不合格となります。不合格の練炭は、買い入れてもらえません。その場で破棄されるか、返却され、一文の収入もない状態となります。
工房で不合格の練炭は、店でも不合格となり、一文の収入にもなりませんから、運賃だけが無駄となる結果となります。
なので、出荷にあたっては無駄なものを運ばないように仕分けをきちんとしなければなりません。また、大雨の時は無理に運ぶのは禁物です。途中で雨になりそうであれば、運ぶのをやめたほうが良いでしょう。また、生産側に主導権がある状態になるのであれば、薪炭問屋に佐倉まで取りに来てもらう、という手もあります。そうすれば、運賃分の値下げを迫られるかも知れませんが、輸送時の危険性を排除できます。また、不合格の練炭の引き取りも容易になります」
「生産側の主導権がある、とはどういうことですか」
聞きなれない言葉だったようで、治右衛門様が聞き返してきた。
「そうですね、江戸で練炭が不足していて佐倉藩に多量に練炭がある状況であれば、藩としてわざわざ江戸に持っていかなくても問屋が買い取りに来るでしょう。そうすると、今は薪炭問屋の萬屋が1個130文で買うという形でしかありませんが、複数の問屋が練炭を扱うことになったあかつきには『問屋から運賃を負担するから売ってくれ』という問屋も出て来るようになります。そうすると、選ばれる立場から、選ぶ立場に変わることができ、有利な条件で新たな契約ができる問屋を選べることができます。その条件として、納地や価格、場合によっては検品で不合格となった練炭の扱いまで、藩の都合が良いように取り決めることもできるようになるかも知れません。ただ、日産1万個未満では、そのような話はできないでしょうね」
日産1万個以上は必要と聞いて、治右衛門様はうなった。
義兵衛はそれにかぶせるように意見した。
「日産1万個を生産するには、原料となる木炭が毎日850俵も必要になります。木野子村では6基の木炭窯で毎日25俵しか生産できませんが、残りの825俵をどう手配するのか、そこが肝心ですよ。工房の生産力を強化しても、原材料が無ければどうにもなりません」
義兵衛の指摘に、治右衛門様が応えた。
「それゆえ、勘定奉行の金井様は今回工房から外れた面々に領内の木炭製造量の調査を命じておる。足りなければ百姓共に命じて作らせればよい」
藩の方針がそうであるなら、もはや義兵衛に言うべき言葉はない。
木野子村に相当量の木炭作りを根付かせるために行った義兵衛の事前活動は、治右衛門様には認識されていないようだ。
日産500個という壁で実感するに違いないのだが、そこまでの助太刀は余計なお世話と考え、あえて口にはしなかった。
昼過ぎには水戸街道から千住へ出て、金杉村にある萬屋の蔵へ到着した。
萬屋さんの小頭・久蔵さんと丁稚が番小屋から出てきて検品所で待機している。
「ここが、佐倉藩から運ばれてくる練炭の納品場所となります。蔵の前にある屋根の下の台が検品台です」
佐倉から馬の背に乗せられて運ばれてきた500個の練炭が、治右衛門様と奉公人の手で検品台に載せられると、久蔵さんと丁稚が素早く重量の上限・下限を調べる器具に載せ合否判定をしていく。
498個が合格し、2個が重量超過で不合格となった。
「お侍様、この2個はどうやら雨で水気を吸い込んだようです。こちらでは受け取れませんので、お持ち帰りください。
これから498個分の買掛の証文を出しますので、お受け取りください。金16両と740文になります」
「久蔵さん、今回は佐倉藩の初回納入なので、買掛証文の交付ではなく現金での支払いはできないだろうか」
その要請があることを想定していたのか、買取証と金子受取証、小判16枚と銀7匁、波銭10枚を直ぐに持ってきた。
金子受取証に治右衛門様が署名すると、現金と証書の控え、それに不合格の練炭を渡して納品は終了した。
「今回は実感して頂けるように現金で買い付けしてもらいましたが、通常は買掛の証文との交換となります。今からですと年末に佐倉藩の持つ買掛証文と萬屋の持つ買掛証文で、佐倉藩の負債の相殺が行われます。そこで相殺しきれない分が、現金か新たな借り入れ証文・手形となって佐倉藩と商家のそれぞれで預かる形になります」
納品が終わったら、治右衛門様と荷駄、奉公人はここでお別れとなる。
義兵衛と安兵衛さんは日本橋の萬屋へ向った。
「本日佐倉藩からの初荷498個を金杉村の蔵に運び入れました。まだ安定して生産するには至っておりませんが、10月に入れば日産500個にはなると思われます」
開口一番、義兵衛は番頭の忠吉さんにこう告げた。
忠吉さんは店先から中の茶の間まで義兵衛と安兵衛さんを案内すると、中では主人・千次郎が待っていた。
「佐倉藩の状況はどうでしたか。この冬を考えると、どうしても来年1月末に練炭の不足が出てしまうので、佐倉藩での生産に期待せざるを得ないのです」
千次郎さんはいろいろと書かれた図を義兵衛に示して説明をし始めたが、それらをざっと見て義兵衛は説明を遮った。
「佐倉藩の生産ですが、どうやら軌道に乗りそうな感じです。10月は日産500個程度ですが、11月には1000個、来年に入る頃には日産5000個はいけると踏んで良いかと思います。10月中旬には、再度現地へ行って確認して生産状況を確かめて来る必要がありますが、その時点で七輪の販売量を価格も含めて見直せば良いと思います。
そのような状況なので、折角いろいろと検討されているのは判りますが、生産量の前提が変わったので見直す必要があります。また、佐倉藩との取引契約についても、今一度確認をするために現地へ行かれてはどうでしょう」
義兵衛は、10月中旬に佐倉へ行く時に同行してもらうことを提案した。
「七輪の売れ具合にもよりますが、料理比べ興業の間であれば2~3日はどうにかなりましょう。
それより、今回幸龍寺で行われる浅草近辺の料理比べ興業、面白いことになっておりますぞ。事務方の寄り合いは、明日も武蔵屋で行われますが、明日から義兵衛さんに参加頂けると皆首を長くして待っております。
ああ、義兵衛様の名前を広げるのはご法度でした。この件は八百膳からきつくお達しが出ておりますので、ご安心ください」
萬屋での用事を終えると、義兵衛は屋敷へ戻った。
安兵衛さんと一緒に御殿様と紳一郎様へ今回の佐倉での次第を報告し、路銀を返却し、月末に萬屋へ詰めることの了解を得た。




