佐倉藩・勘定奉行の金井右膳忠明様 <C2438>
その後、義兵衛は吉見治右衛門様と金井新十郎様の二人を呼び出した。
「吉見様は佐倉藩の勘定方、金井様は父君が佐倉藩の勘定奉行様と聞いております。
前回までの私の説明ですが、練炭による殖産での利益については何度も語っておりますが、その利益を得ることで藩の何がどう変わるのか、という所にまで踏み込めておりませんでした。お二人は、他の御武家様とは違い、勘定に明るいため、こういった背景についてある程度ご存知なのではないかと推測しております。
そこで、その背景をお教え頂き、講義内容に含めれば、他の御武家様にも、もっと熱心に殖産興業に取り組んで頂けるのではないか、と考えております。
『一旗本の家臣に語る話ではない、また教えるような話ではない』ということであれば、そこまででございます。ただ、江戸で藩主・堀田相模守様と御家老・若林杢左衛門様から、再び工房の様子を尋ねられた際に『お二人からそう言われた』とお答えせざるを得ません」
いきなり御殿様と御家老の名前が飛び出したことに、二人とも、特に金井新十郎様は驚き、聞き返してきた。
「義兵衛殿、江戸藩邸で御殿様と御家老様から下問された、つまりお目通りされた、ということでございますか」
「はい、最初はこの佐倉藩で木炭加工という殖産興業をさせて頂くお願いをした時で、御老中・田沼主殿頭様からの紹介を頂き、我が殿・椿井主計助と一緒にお目にかかっております。
その後に御家老様が佐倉まで来られるのにご一緒し、この練炭作りの御担当として勘定方の吉見様を紹介頂いております。
次はつい先日でございます。工房が立ち上がり、数量はともかく『練炭製造の緒についた』ということで、ご報告をさせて頂きました。御殿様は、吉見様が私費を投じ、この木野子村に工房を建てたことまではご存知なかったようで、御家老様は『この行為は忠義の証、陣頭指揮も見事』と、その場で大層お褒めになっておいででした」
多分、勘定方としては目算の立たない新規事業に出す費用もなく、吉見様が勝手に何かしている、程度の報告しかしていなかったに違いない。
「それで、御殿様は私に直接御感状を下されたのか。御家老様は、城の大広間で御殿様の御感状の内容を皆に解る様に説明され、御殿様から預かったという『大判』を褒章として渡されたのだ。
あれは、私の一世一代の誉れの席であったが、それは義兵衛殿のお主・椿井主計助様の後押しがあったからなのか。
経緯は確認していなかったが、御老中・田沼主殿頭様がこの殖産興業を意識され、我が殿に声掛けした、ということが始まりなのか」
二人の会話で『御老中・田沼主殿頭様』が登場してきたことに新十郎様は更に驚いた。
「義兵衛様は、御老中・田沼主殿頭様にもお目通りされて居るので御座いましょうか」
「はい、長い話にはなりますが、当家と御老中・主殿頭様はいささかのかかわりがございます。
今、江戸では料理比べという興業が何度か開かれております。料理で卓上焜炉を使いますが、その燃料として当家の知行地で作られた小炭団を使う関係で、この興業に毎回目付役として我が殿が参加されております。その興業に、主殿頭様が行司として出席されたことで親しくお話をされる御縁ができております」
これは外から見える、表で確認できることなので、嘘ではない。
まさか、興業の席以外にも御老中様の御屋敷の離れで、御殿様共々難詰されていた、など口が裂けても言えるはずは無かった。
「吉見様、これは勘定奉行の父も知らない話なのではありませんか。佐倉藩の財務について知りたいという義兵衛様の要望に応えつつ、逆に江戸で何が起きていたのかを知る良い機会ではないかと思います」
まだ工房を閉めるには随分早い時刻であったため、吉見様は武家衆の一人に後を任せ、先に戻るという判断をした。
義兵衛も不在となることを助太郎に伝えた。
まだ、昼八つ過ぎ(午後2時半)であるが、ここから1里ほどの所にある城下の金井家の屋敷へ向った。
幸いに、勘定奉行の金井右膳忠明様は在宅であり、新十郎様の口利きで面談の場を設けてもらった。
吉見治右衛門様は、まず工房の控え室で義兵衛から聞いた話を説明した。
「この興業については新十郎から話を聞いておるが、よく判らんところも多い。
今般吉見殿へ御殿様が感状を与え、御家老が褒章を手渡した件について、裏で糸を引いておったのが旗本・椿井家とはのぉ。それではワシに見当もつくはずがない。
この佐倉藩が抱える借金を一掃できるほどの殖産計画になっておるのは、新十郎から聞いておる。ただ、この新しい練炭だが、それを作った分全部を売り切れれば、だがな。まずは、義兵衛殿が佐倉藩の財務状況を聞きたい、という訳を知りたい。旗本の椿井主計助殿が、これほどまでに当家に肩入れしてくれる理由が、ワシには思い当たらんのだ」
断片的な部分だけ話を聞かされていると、何のために義兵衛や助太郎が佐倉の地までやってきて、練炭を作らせようとしているのか理解できないのも無理はない。
「佐倉藩の財務のことの前に、椿井家の財務のこと、それをどうしようとしているのかを説明させてください」
義兵衛は、まず自分が椿井家の財務担当と目される家であり、次世代の若様に仕えるべく動いている者であることを話した。
次は、実績・成果である。
知行地での殖産興業として、木炭を薪炭問屋に卸すのではなく、木炭を加工し付加価値をつけて卸すことを考案。
夏場でも売れる卓上焜炉という器と、その燃料となる小炭団という組み合わせを見出した。
そして、江戸にある木炭問屋と組んで料亭を狙った企画があたり、多くの料亭を集めた興業に御殿様もかかわれるようになったこと、小炭団を作り売った得た利益で家の借財を前倒しして完済できたこと。
そして、現段階での構想。
次の木炭加工製品として、冬場に暖を取る七輪という器と、その燃料となる練炭という組み合わせを中心に据えた取組みの説明。
江戸市中に5万個から10万個程度の七輪を売ることとし、9月1日の販売開始に向け、既に七輪の製造と積み上げを実施中。
一方、燃料となる練炭は、椿井家知行地では1日5000個しか作れず、冬の最中に燃料不足となることが確実視されたこと。
このため伝を辿り、同じ旗本の杉本様の知行地である名内村でも練炭作りを始めたが、ここでも1日5000個程度の生産能力しかないことが判明。
「実際に七輪が売れた後、本格的に使用されるであろう冬場に燃料となる練炭が無い状態となると、七輪・練炭を売り出した薪炭問屋とこの状況を作り出した椿井家の信義にかかわります。そのため、練炭作りに適した場所がないか下調べしたところ、この佐倉の地に行き当たったのです。
そこで、我が殿が御老中・田沼主殿頭様を頼り、佐倉藩主・堀田相模守様に木炭加工の殖産興業の話をさせて頂いたのが、この地で工房を開き練炭を作ろうとした経緯でございます」
義兵衛は、御殿様が御老中と話ができるようになった縁として『料理比べ興業』のことの説明をし、この縁から実弟の椿井甲三郎様が奏者番・田沼意知様に仕官していること、七輪・練炭について御城でも扱うことを目論み、その目的を全うすべく油奉行に御殿様が任じられたことなども話した。
「御城・特に大奥ですが、そこでも七輪・練炭が使われるようになると、この燃料が来る冬場に手当てできなくなるという事態は、絶対に避けねばなりません。そして、この鍵を握っているのが佐倉の地での生産量・日産量なのです。我が殿もそのことを大層気にしておるのです」
義兵衛が力強くそう言うと、右膳様は頷いた。
とうとう小説中の季節に追いつかれてしまいました。




