江戸のお屋敷で『豪華幕の内弁当』を囲んだ一幕 <C2435>
■安永7年(1778年)8月9日(太陽暦9月29日) 憑依209日目 曇天・午後より晴
八百膳の小僧が7個の『豪華幕の内弁当』を届けてくれた頃には、久しぶりに雲間から太陽が顔を出すような天気となった。
流石にもう暑さはどこにもなく、雨さえ降らなければ、一番過ごしやすい時期となっていた。
昼食時となると、御殿様、奥方様、若様だけが一緒に食事をとる部屋に入られるのだが、今日は弁当を広げるため、宴会で使う板張りをしている部屋に紳一郎様の一家と安兵衛さんが控えている。
御殿様の一家が揃うと、女中が『豪華幕の内弁当』とお茶をそれぞれの前に配って回る。
御殿様が箱を手にとり蓋を開けると、奥方様や若様も同様に蓋を開けた。
「まあ、これは見事でございますこと」
奥方様がはしゃいで声を上げた。
「やはり義兵衛に行かせて良かったようじゃ。今評判の幕の内弁当じゃ。この確保には中々苦労したのであろう」
「はっ、八百膳では1ヶ月前からの予約注文で、毎日500個しか作っておらず、手配できない者が多いそうにございます。
今回は無理を通してもらいましたが、たびたびはできないかと思います」
「実はな、現金先払い先着順という話が御城の中でも噂になっておって、さる大名家で手配しようとしたが『先約があるため無理』と断られたという。ところが、ほれ先日の奉行所土蔵の集まりで『御奉行様が6名分の弁当を振舞った』と言うではないか。土蔵の集まりは萬屋で義兵衛がした暴走が契機で、急遽決まったことであろう。ならば、事前に予約とやらを入れる暇はないはず。であるにも関わらず、曲淵様が手に入れたということは、興行で武家側の行司席・目付席を握っておる関係者であるからに違いない、と踏んだのよ。しかも、おそらくは曲淵様ご自身で足を運び頼みに行かれたのであろう。ならば、こちらからは縁の深い義兵衛の口利きであれば無理が利くと踏んだのよ」
御殿様は事情を承知の上で、義兵衛を八百膳へ向かわせたようだ。
「ところで、お代はどうした」
家の財務を管理する紳一郎様は、単刀直入に聞いてきた。
「1個200文(5000円)なので、全部で1400文のはずなのですが、受け取って頂けませんでした。その代わりということで、興業の参拝客の新しい扱い方を一つ思いついていたので、それを伝え、お代の代わりとさせて頂きました。善四郎さんは大変有難がっていたと思いますよ。次回の興業は11日後ですから、どうするのかが今から楽しみです」
御殿様はギョッとした顔で義兵衛を睨み、横に居る安兵衛さんがこっそりとため息をついたのが判った。
その反応を見て、義兵衛は小さいけれど、またやらかしてしまったことに、遅まきながらやっと気づいた。
そして、その思いついた概要を説明した。
「発端は、満願寺での興業で、おそらく勝負にかかわっている料亭の常連客なのでしょう。境内の一角に集まっていたのを見つけたのです」
それを切っ掛けに思いついた施策が、私設応援団の編成なのだ。
対象となった料亭の常連客をまとめた集団を組織化し、まとまった固まりである応援団として扱うことで人の制御がまとめてできるため管理が容易になること、普段顔は見るが話す機会もない者が集まることで参拝客の満足度が上がることが期待できる、という見込み効果も含めて善四郎さんに説明したのだ。
「その口振りからすると、仕掛けを作り、先頭で旗振りをするという予定は義兵衛の中には入っておらぬのじゃな。20日の幸龍寺で行う興業にワシは目付役で入っておるが、先の『幕の内弁当興業』と同様に、義兵衛が裏方として何かするという訳ではない、で間違いないか」
「はっ、幸龍寺を使った興業は、これで3度目です。関係する者は皆慣れてきておりましょうし、裏方は大勧進元の善四郎さんが引き受ける、とのことです。今回の行司はどなたが出席されるのかは聞いておりませんが、正勧進元が武蔵屋ですから、また女将が何かあれば伝えてくれると思っております。
ちなみに、副勧進元に指名されております料亭・百川は、田安家の定信様御贔屓の料亭でございます。前回は御三家の水戸様でしたので、今回は新たに御三卿の田安家の当主となられた定信様となってお見えになられても不思議はない、と愚考致しております」
「うむ、では帰着は17日がギリギリの所でよいか」
御殿様は突然訳の分からない事を言い、義兵衛は首を傾げた。
「そろそろ頃合いじゃろう。
明日から佐倉へ行き助太郎を助けてこい。ただし、17日までには屋敷に戻れ。そこから興業にかかわるが良い」
御殿様の説明だけでは見えていない内容を紳一郎様が補足した。
「先日8月2日、佐倉藩主・堀田相模守様にお目にかかり、吉見殿の褒章の件を依頼しておろう。御家老に早速の手配を指示しておった。あれからもう7日経っておるゆえ、佐倉との往復を考えれば既に何か行われておる、と見て良い。それで、御殿様は何がどう変わるのかをお前の目で見て来い、とおっしゃっておるのだ」
義兵衛はその時のことを思い出した。
たしかに御家老の若林杢左衛門様からの下問に応える時に『自ら粉炭にまみれ』をあえて強調し、そうまですることが忠義の証となるよう小細工をした答弁をしたのだ。
「はっ、それでは明日10日に出立し、17日に帰着予定で佐倉藩の木野子村工房への支援を行います。帰着後は、幸龍寺での興業支援に尽力致します」
「うむ、それでよい。
先の弁当興業後の宴で武蔵屋の女将が『義兵衛様がその場に居るだけで興業を進める時の事務方の安堵感が随分変わります。今後も興業には必ず派遣して頂きたい』と願っておった。その後、八百膳・主人も同じことを言っておった。目付役席からワシを抜かんのは、義兵衛を確保するための方策ではないか、とさえ疑ったぞ。
興業も何度か繰り返すと、必ず緩みが出る。そろそろ危ない時期かも知れぬゆえ、前々日から危なげなところがあるかを見聞きして回れ。
そして、興業が終わればいよいよ9月の本番じゃ。更に一層気を引き締めてかかれ」
義兵衛は、確かに歴史を知ってはいるが、人の営みに関する限りこれからどんどん乖離していくに違いない。
それに比べて、少ない情報から類推を重ねてから先手を打つという、御殿様の先を見通す目の確かさを信じるようになってきていた。
奥方様、若君様が『豪華幕の内弁当』に満足し昼食を終えると、御殿様一家は退席する。
「折角の昼飯時に難しい話しを聞かせてしもうたのぅ」
「いえ、殿が心配りされておることが良く判りましたよ。若も殿を見習い、立派な御当主とならせられませ」
退席がてら話す声が聞こえ、なごやかな雰囲気が伝わってきた。
「それで、義兵衛。今回も御殿様の指示じゃ。路銀を遣わすゆえ、大事に致せ。ああ、安兵衛殿の分は、御奉行様から頂いておくのじゃぞ。
それから、今回は褒章がらみの案件ゆえ、祝い金が必要なことも考えられるゆえ、特別に20両分準備した。小判で金5両の包を2つ、それに南鐐二朱銀を40個、つまり5両分を包んだものを2つ用意した。場所に応じて使い分けせよ。
無理に使う必要はないぞ。どうしても必要な場合、ということじゃ」
南鐐二朱銀は、丁銀や豆板銀のような秤量貨幣とは異なり刻印された金額による計数貨幣である。
この市場流通にあたっては、両替商から激しい抵抗を受けているが、世の中の趨勢としてはこの流れになっていく。
ただし、この銀を素材とする計数貨幣の扱い・不理解が幕末に諸外国との交易で深刻な問題を引き起こすのだが、これは別の話。
今はお上が強く勧める政策での受けを狙え、という紳一郎様の心遣いをありがたく受け取っておくこととした。
後は、7日間とは言え、この重要な時期に江戸を離れることによる影響を最小化するための根回しに、午後は駆け回ることになる。




