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佐倉藩上屋敷再び <C2427>

「明日の午後であれば堀田様は屋敷に居り、いつでも御面会下される、とのことでございました」


 雨の中、伝令に飛んだ家臣はそう伝えてきた。

 義兵衛の年であれば、更に新参者ということもあり、本来は義兵衛が飛んで出なければならない役目の所なのだが、椿井家の財務を司る細江家の養子として、更には御殿様が抱え込んでいるという事情もあって、この手の役目は入ってこない。

 いつもであれば御殿様は、依頼した結果を報告をする小者にも直接軽くねぎらいの言葉をかけるのだが、横に付いている紳一郎様が軽く『了』と頷いただけだった。

 後で紳一郎様に事情を聞くと、御殿様の意を汲んで指示を出したが、命じたのは紳一郎様であるため直接の声掛けは避けた、とのことの様だ。

 奉行という公式の立場での振る舞いは、勘定奉行・勘定吟味役などの上役・上役相当の方だけでなく、新しく下についた者達も居り気軽な振る舞いは禁物となっている。

 そのような慎重な振る舞いが自然とできるように成るためには、まずは指示系統を意識し、指示者・指示受領者を見極めて、自分が該当しない場合は応答を避けるという配慮した所作が必要になるらしい。

 そして、御殿様は屋敷でその訓練をしているのだ、と説明してくれた。

 昼前に御殿様が色々と助言をしてくれたのだが、これは今までにない特別なことだと、紳一郎様はとても驚いていたのだが、雨で馬にも乗れず退屈していたのかも知れない。

 いや、家臣相手に苦行を強いていたのを、義兵衛相手に少しだけ緩めることで、失礼な考えだが、ストレス解消しようとしていた、とも考えられる。

 それとも、ここが正念場と知って手助けするついでに、武家の心得が全く足りていないことを見通して指導してくれたのか。

 どれもそうだと思えるのだが、そこはただただ有難く感謝の念を持ちつつ、御殿様が抜けた後の座敷から出た。

 雨が降っているので庭を経由せず、廊下伝いに長屋の部屋に戻る。

 屋敷の中の勝手をすっかりと知っている安兵衛さんも一緒につてきて、部屋に入るなりこう切り出した。


「義兵衛さんは、一度神様の依り代となったことで、運気が良くなったと考えると辻褄が合うのではないですか。御殿様が新参者を重用・贔屓していると、普通は家臣の者達から嫉妬されるものなのですが、嫌な目にあったことがないでしょう。

 おまけに、先ほどの件、御殿様が『助けよう』とまでおっしゃるなんて、随分と果報者に見えますよ。これは、普通のことじゃないですよ。義兵衛さんが御殿様の隠し子とか、ということならまだ判りますが、そんなことが無いのは里の様子でも判りましたから」


 確かに、竹森氏に憑依されてから多少の失敗はしているが、結果としては最善のものが出ているといってもおかしくない。

 憑依している竹森氏が言うには、飢饉で餓死者を抑えるという大きな目的が時期も含めはっきりしている、からではないかとのことだ。


「いや、大きな目的を持って動いているからだと思いますよ。私が依り代になった時、飢饉で餓死するものを減らす使命が与えられたのだ、と認識しています。ここからブレない限り、恩寵があると根拠はないですが信じています。

 その大きな目標に大義があることも相まって、御殿様や萬屋のお婆様は共感してくれているのだと勝手に思っています」


 事情を全部は知らない安兵衛さんは、判った様な、そうでもない様な、曖昧な表情をして頷いた。



■安永7年(1778年)8月3日(太陽暦9月23日) 憑依203日目 曇天


 数日続いた雨が一休みといった様相の午後、供周りを揃えて奏者番・堀田相模守様の御屋敷を訪れた。

 二度目の訪問だけに色々と観察する余裕が出る。

 御屋敷は猿楽町通り(現:猿楽町一丁目と神田神保町1丁目間の通り)に面しており、佐倉藩11万石の上屋敷にふさわしく敷地も約7000坪と広い。

 昨日の内に訪問の趣旨は届けられており、門番に声を掛けると直ぐに中に通された。

 前回同様に供の者達は玄関脇の中間溜まりで待たされ、紳一郎様と義兵衛、それに安兵衛さんの4人が上に通された。

 今回の要件が佐倉での練炭作りの件と皆承知しているため、この義兵衛が御殿様と一緒に上がることについて不審に思う者はいない。

 座敷で待たされることもなく、御家老の若林杢左衛門わかばやしもくざえもん様と堀田相模守様の順で座敷に入ってきて着座した。

 一同は深く礼をすると、堀田様が話をし始めた。


「2ヶ月程前に木炭加工の話を聞いておるが、それにかかわりのある話であろう。城下の村で何やら始めておることは聞いておる」


「はっ、勘定方の吉見様が木炭加工の殖産御担当となられ、佐倉の御城から南に一里ほど下った所にある木野子村に工房を建てておられます。先日来、この工房での練炭作りを指南すべく、当家より人を出しました。ここに居る義兵衛もその一人でございます。

 吉見様は大変御苦労を重ねられております。私財をなげうって工房を建てられ、自ら粉炭にまみれて練炭作りに励まれておりますものの、後に続く有意の人材がなかなか得られず、進む道の遠さに困惑しているかの様に見受けられた、とのことで御座います。

 そこで、差し出がましいこととは承知してはおりますが、御殿様より吉見様あてに感状を出して頂ければ、皆が木炭加工という殖産に意識を向けやすくなろうと愚考した次第でございます」


 ここで、紳一郎様が袱紗に包んだ70両を恭しく差し出した。

 杢左衛門様がにじり寄って袱紗の中を検め、大判の入った化粧箱2個の中を見て『ほう』と息を吐いた。


「これは些少ではございますが、相模守様の御手を煩わせることになる迷惑料として御収めください。また、工房で作る練炭の日産数量が、目標を達成した折にも、そのことに言及頂ければ幸いと思っております」


 御殿様が要件を言い終わると、杢左衛門様が相模守様に袱紗包みの中を披露し、付け加える小声が聞こえた。


「殿、お上からの下賜品でも滅多に見られぬ大判でございますぞ。それも2つも。これは意に沿うのがよろしいかと存じます」


「うむ。献策の件あい判った。早速にも工房を立ち上げた吉見に直接感状をやる手配をしよう。

 杢左衛門、疾く、しかと致せ。

 願いの件は以上であるな」


 御殿様は平伏し、今回の要請の公式ともいえる部分は終わった。


「して、義兵衛殿であったかな。実際に木野子村の工房はどうであった」


 相模守様と杢左衛門様も公式には終わったという表情に変わり、杢左衛門様がくだけた様子で義兵衛に尋ねてきた。

 ここからが義兵衛の本番なのだ。


「はっ、勘定方の吉見治右衛門様は私財の金100両を投じて見事な工房を作っておりました。しかし、初めての練炭を作るという作業を直接なされる傍ら、奉公人への指図にもご苦労なされておりました。私の同胞である宮田助太郎が、今尚木野子村にてお手伝いさせて頂いておりますが、工房の開設時点で直ぐにでも出来ると思っておりました日産500個の目標にも大きく届かず、工房の最終的に目指す日産5000個は、今のままでは難しいように思われます。そして、木野子村に続いて計10ヶ所設け、もって日産5万個とする方策も、木野子村の工房が最初の目標の所で頓挫してしまうと、これに続こうとする者も出ず、大きな目標が達成できなくなってしまうことを懸念しております」


「なるほどのぉ。それで発破をかけたいという訳か。それから、吉見が金100両を投じたのは、忠義の証であろうなぁ。それほどゆとりがある訳でもない中、よう調達したものよ。更に自ら進んで粉炭にまみれての作業、陣頭指揮も見事であろう」


 話が終わってみると、大判2枚の威力・破壊力は有無を言わせぬ、思った以上の効果があったと言えそうだ。

 両替商での引き取り値では1枚につき7両ちょっとの交換比率だが、お上からの下賜品として扱われることも多い品は、大名家で家臣への褒章として使われた際には額面の10両では済まされない、それ以上の価値ある品となるのかも知れない。

『この大判を褒美として与えるのが良い』という御殿様の隠れた意図に気付いた義兵衛は、ここでもまた愕然がくぜんとしたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 現時点では感状として、日産五千個を達成したら大判を渡すなんて如何かな。
[一言] 二回目の感状の時に「書」を手ずから記した「扇面」あたりを下賜すれば末代までの誉れですね。
[一言] 石高から老中を狙う事の出来る家であるものの奏者番という幕府の役職のやっと一歩目で老中の田沼がらみの案件には成功へどん欲になるかといえばなかなか腰が重いように感じる。 この辺り前話でお殿様が…
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